第46話 『姑息』
30.
数学の小テストなるものがあった。
とりあえずの形で解けるものだけ解き、見直しは特にしないで校庭をぼんやりと眺めていた。
気候は夏に向けて腕まくりを始めるような頃で、外では楽しそうに高校生たちがサッカーをしている。体育の授業だ。
暫く見ていると、こぼれたボールを押入れ、ゴールネットがふわりと揺れた。
ゴールを決めた生徒は嬉しそうに何かを叫んで走り回っている。
言葉は具には聞き取れないが、あまり意味を持たないことを叫んでいそうだ。
そうして窓の外の方をだらーんと眺めていたら、時間切れの合図が聞こえた。名前が書いてあるかだけを確認する素振りだけを見せて、『後回し』にされた空白を持つ解答用紙を前に送った。
教室の中にいる高校生たちはというと、吸い込んでいた空気を一度に吐き出すかのように各々の手応えを口にしていた。教壇に立つ教諭も彼ら彼女らを微笑ましそうに見ながら解答の回収を急かしている。
それでいて数学の授業はというと、小テストを忘れてしまったかのように、新しい分野の内容に足を踏み入れていった。
かといって、残りは高々一〇分の授業。僕は結局チャイムが鳴るまで、窓の外の方を眺めていた。
31.
あれから香流からのコンタクトはない。僕は無責任なことに界との関係取り持つと約束をしてしまった。とは言え、わざわざ実質的に第三者の僕が取り持つ必要のあるものでもない気がしているのだが。
でも、一応、やることはやっておくか……。
僕は蒼空を見上げて、視線を合わさぬまま、界に訊いた。
「界、香流となにか賭けでもしたのか?」
「……ん? 何の話だ?」
言っておいて、カマをかけているかのようなぶっきらぼうな質問だったと思う。別にそんな意図はない。少し考えていることがあったから、ぼんやりとした言葉になってしまった。
「将棋の決勝戦で勝ったらどうとか、負けたらどうとか」
「……ん、ああ、そのことか。香流から聞いたのか? 別にあんなのどうだっていいんだけどな。あいつも変なとこで律儀だなァ、ハハハ」
界は笑ってから、パックジュースの内圧をずずっと下げた。
「なら、界は香流と関わりたくないと思っているわけじゃないんだな?」
「ああ、俺が取り付けた条件でもないしな……でも、将棋部には戻らんがな」
「そうか。なら…………」
僕は歩みを止め、界の方を向く。横並びだった位置が前後にずれる。
「明日の試合、E組が勝ったらその約束を
「……ほぉ?」
界は咥えていたストローを口から離す。僕の少し前で立ち止まってこちらを向いた。
「つまり、楓雪。お前は俺に勝負を持ち込んだってことだな?」
「ああ。個人戦ではないが、僕は
「ッ、ハハハハハ……HAHAHAHAHA!!」
界は哄笑した。それは嗤笑の類ではない。だとしても道中でやるのはやめてほしかったが……。
「いいね! 乗った!」
界が向けてきた双眸は睨む猛禽の炯々としたもので、興奮を反射させていた。
「界からはなにか要求はないのか?」
「いらないね! 楓雪から勝負を持ち込まれたそれだけで満足だ! ハハハハッ! 楽しくなりそうだ!!」
「そうか。なら良かった。明日はどうぞよろしく」
「ああ。楽しみにしてるぜ」
「それじゃあ、僕はこっちだから。また明日」
「ああ。気をつけてな!」
界はもうすでに満足したようだった。
でも僕はそうじゃない。
界に
いいや、
そもそも界と香流のことなんて別にどうだっていい。かのささやかな約束を取り消す方法なんていくらでもあるだろうし、わざわざ僕が介入しなくても二人はまた搗ち合うはずだ。学校はさして広くない。
でも、もし、卒業まで二人の関係が凍結したままだったら……。
いいや、そうじゃない。僕は大義名分が
もし、界が「僕が界に勝負を挑んだ」と明言してくれなければ、本当に無駄な宣言になってしまっていた。
そもそもバスケットボールはスポーツだ。端から「勝ち」に執着すべきだ。界があのように言い直したのは思えば「不自然」なことだった。
僕は『勝とう』としていいのか。僕が勝利を求めることは允許されたものだったろうか。
『勝とう』とすれば、僕は、消えてしまうのではないか?
「醇乎たる勝利」への
香流を勝手に利用した。真実の解を『後回し』にした。
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