第38話 香流vs楓雪

22.



 なんだ。界が言うほど強くないじゃないか。

 序盤の定跡は合ってるけど、所詮は初心者かな。その後は平凡だよ。凡凡。



 おい、界。見ていてどうだいこの局面? お前のお気に入りの結江楓雪という男はこんなもんだぞ?



 全然大したこと無いじゃないか! 

 まぁ、趣味でやってます程度かな! まるっきり下手とかじゃないだけ、まだ褒めてやろう。



 ほらほら界、どうだい? お前が見捨てたオレに、お前のお気に入りがボコボコにされてるぞ〜!



 というか、対局が終わったからって、みんな寄ってたかってオレたちの盤面を見に来ちゃって……こいつが可哀想じゃないか。


 ああ、でもこいつ全敗とか言ってたから、ある意味慣れているのかもな。



 ふと、目の前にいる敵の顔を見た。

 

 こいつと知り合ってから大体二週間くらいか? 相変わらず表情が無いやつだ。

 ここ最近はなんでかこいつと一緒にいることが多いけど、それといって個性がないし、魅力もないやつだ。いまだに界が惹かれた理由がさーっぱり解らん。



 喜怒哀楽も乏しいし、なんかいつもぼーっとしてるし、影は薄いし、オレより身体は大きいくせして、声は小っせぇし。


 無個性が個性みたいな。こうしてじんまり顔を見ても目を離すと、「あれ? どんな顔してたっけな?」というレベルだよ。


 ただ、こういうボードゲームは無個性が光るね。オセロやったときもそうだけど、まじで表情が変わらん。ポーカーとかをやらせたら強そうだなぁ。


 もう一度、こいつの顔を見た。


 そのぼんやりとした眼はちゃんと盤面を向いてるけど、表情も仕草も雰囲気もぽわわとしてるよ。緊張感のないやつだな、本当に。


 ああ、でもこういう人畜無害そうなところがある意味、普段アグレッシブな界に合ったってことかな。


 ま、もういまさらどうでもいいけどね。どうせこれから界とは盤の上で対話することになんだから。


 2−Eだけが残ってるってことは界はちゃーんと決勝に進んだってことだし!



 なら、ちゃちゃっとこいつを倒しちゃって――――



……というか、秒読みに入ってから、なんで急にこいつ守らなくなったんだ?


 こいつの性格的にはめちゃめちゃ守って、攻め手をなくしてゆっくり仕留める、真綿で首を絞めるような戦い方しそうなのに……。で、結局攻め切られて負けるっていう……。


 実際、受けは初心者の割にはうまいし。こいつ果たしてマゾか?



 なんでもいいや。要するに諦めたってことだろ。根性なしめ!


 まぁ、それも無理はないけどな。なんてったって相手がこのオレなのだから!



 オレは駒台に手をのばす――が、やめた。



 あ、でも安直に歩を成っても三手すきだ。これがいいか?

 別に急ぐ盤面でもないしな………。



 それとも、逆にこいつの攻め駒全滅させてやろうか―――!?



「――あ、れ……!?」


 なんか、こいつの攻め……刺さってないか?


 ああ、えっ、これがこうなって、こう打って……んん?


 なんか初心者特有の変な攻めをしてるなと思ってたけど、妙に複雑になってて意外と受けにくいか?

 

 いや、ちょっと時間使わんと読み切れないな。とりあえず駒を一枚貼っつけときゃ安定かな……。


 ああ、でも待てよ……?



『ピピッ!! ピピッ!! ピピッ!!』


 げっ! もう秒読みか!


 まずい、なにか守らないと! オレは駒台から適当に駒を取って、自陣にペタリと貼り付ける。


 すると、すぐにこいつの手は動いた。



「―――――ッ!」


 "銀"からか――!



  ピピッ!! ピピッ!!



―――――――!


 そうか! 王手飛車がかかるのか! 


 なんでこんな簡単で、やばい手を見逃していたんだ? 油断してた――!



  ピピッ!! ピピッ!!!



 まずいまずいまずい!!

 どうする? と、とりあえず飛車を切る―――!


 

  ピーーー!!



 バタンッ! とチェスクロックを叩いた。残り一秒。



  パタン……。



 早ッ! ノータイムで指してきやがったッ――!


 何? もう読み切ってるのか? ああ、解らん。


 なんでそんな早く指すんだよ! 終盤戦だろッ?

 しかも全然複雑じゃないか!


 とりあえず、飛車が消えたから、こいつの玉をすぐには詰められない。


 守るしか――。



  ピーーー!!



 クッソ! 時間がない!



  パタンッ!! 



――パタン。



 だから早いって!!

 なんでそんな迷わず……!



 なにこれ! 詰めろになってんのか? ああもう解らん!



 ふざけんなよ、なんなんだよ急に。


 これで適当に指してたとか言ったらぶっ飛ばしてやる!



 今すぐにでもこいつのいつもの済ました顔を睨みつけたいけど、そんな余裕は全くなかったし、たぶんいま、こいつの方を見たら呑み込まれそうな……そんな感じがした。


 オレはと金を寄せた。



  ピーーー―――パタンッ!



  パタン……。



「――――ぁ」


 金打ち? 同桂か、同玉か……。いや、玉なら詰まなくないか? 

 同桂は流石に退路がなさすぎるしな……。



 それともどっちでも詰むってことなのか? いや、そんなはずは……。

 でも、こいつの早指しは読みきったって……。



  バチンッ!!



「ふゥ――」



 落ち着いて同玉。


 詰ませられるなら詰ましてみろ! どうせ適当に打ってんだろ!


 このあと容赦なく詰ましてやるからな!!



―――――パタン。



 しかし、とんでもない手を、やはりノータイムで打ってきた。



「―――は?」



 思考が一瞬停止した。



 歩の前に飛車の打ち捨て? なんだこの手……。てか、打ち捨てるだけなら香車あるじゃん。


 別にこいつの玉は必至でもなければ、詰めろもかかっていないのに……?


 まぁ、飛車だからこれはこれで詰めろだろうけど……。こんなの同歩で何も……………。

 



 パタンッ!


 あぶねッ! 秒読みだったこと忘れかけてた。もしかして、混乱させて……これが狙いだったわけじゃないよな?



  ピピッ ピピッ



 こいつの早指しが急に止まった。



 やっぱミスか?



 ちらりとこいつの顔を見た。さっきより少し前屈みになっていて、絶妙な長さの前髪が顔を隠しているせいで、どんな表情をしているかは解らん。


 ま、どうせぼーっとしたような真顔か……もしかしたら本当に飛車と香車を間違えて青ざめているのかもな。 


 残り五秒で、のんびり座布団に座り直すときの衣擦れの音が聞こえた――――。


 けど、投了ではなさそうだ。



 かたんっ。



 将棋は木製のちゃんとした駒ならパチンって鳴るけど、これは安っちいプラスチック製だ。

 それにこいつの指し方もどことなく覇気がないから、腑抜けた音が際立つんだ。



 が、オレの玉には王手がかかっていた。



「――――え……」


 

 オレの中で何かガラスか、それとも水晶かが、零れて割れて、砕かれて、耳の内側から撫でるような音がわんわんとこだました……。



 ああ、ああああ、いや嫌……。そんな……?


 なんでだ? どこでオレは間違えた?



 これは、詰み……だ。



 いや、オレは別に悪手らしい悪手は指してない……。だって、こいつの攻めは遠かったし、稚拙だったし……。


 まさかその稚拙とか杜撰とか見える手がいま、オレの玉を貫いているのか?

 オレはそんなに弱いか……?



 あ、いや、でも、こいつもしかしたら詰みを読み切っていないかも……。


 嗚呼、でも読み切っていなかったらこんな手は指せるわけがないんだよ。


 や、やめて……。やり直したい。



  ピピッ ピピッ ピピッ ピピッ……。



 ああ、嫌。やめろ。どうして。こいつ、どんな気持ちでそんな手を指したんだ?


 この対局でいまが一番思考が速くてクリアになっている……。


 諦めたわけじゃないのに、オレは理解しただけなんだ。


 いま、一番言いたくない言葉が、オレの身体の中と外で黒い渦を巻いている……。



  ピピッ……ピーーーーー!



 クッソ……………。



「負けました…………」



 項垂れたまま……。オレはがくりと頭を垂らしたまま盤の横を見た。


 そこにある、パタリと音が止んだチェスクロックはゼロを表示していた……。

 


 それから視界は、震える膝と、その上で虚しく蹲っている潤んだ両の拳を無意味に映し続けるだけ……なんだ。

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