42.アルス王崩御の話
教皇が破門を告げた瞬間、アルスは玉座から立ち上がった。
「くそっ! どいつもこいつも!」
教皇につかみかかろうとばかりにアルス王が玉座の乗った台の階段を下ろうとしたそのとき。
酒が切れていたのか、大きくアルス王の指がびくり、とはねた。
脚もつったかのような動きを見せ、アルス王の足が踏み段から大きく外れる。
まるで中身がいっぱいに詰まった麻袋のように、ずるりとアルス王の体は滑り、勢いよく玉座から落ちた。
明らかに人体のどこかがひどく傷ついたような音がしたが、誰もアルス王に近寄らない。
「どどど、どういたしましょうか、皇太子殿下」
教皇はおろおろ右往左往するばかりだ。「発言してもいいでしょうか」と、レミー。
「破門された人間だとしても、慈悲を与えるほうが神の教えにかなってるんじゃねえの? よきサマリア人、だったっけ? 誰もいかねえなら俺が行くよ。構いませんよね、皇太子様」
「許す。教皇、わが従者は応急処置なら可能だが、専門的な治療はできない。医学の知識がある者がいれば、アルス王の容態を見てほしい」
「こ、皇太子殿下の、仰せのままに!」
教皇の裏返った声を合図に、レミーがアルスに歩み寄る。その後ろをぞろぞろ聖職者がついていき、アルス王の姿は人垣に隠されてしまった。
「脈がない。医者はいるか!」
「私が医者です!」
レミーの呼びかけと、あわてながらも慣れた聖職者たちの対応によって、アルスの手当てが曲がりなりにもひと段落ついた。
「レミー様、これ以上の手当てをするには薬も道具も足りません。場所を変えなければ……」
レミーにたずねることで、皇太子側にアルスの身柄を押し付けようとしているのが見え見えの問いかけ。
「助かった! こちらに医者はいないから、アルス王の手当ては教会に任せる!」
「じ、従者様だけの判断では……」
感謝で見事に身柄を押し付け返され、聖職者が助けを求めるようにディアナを見る。
「私からもお願いする! 私には医者の心当たりがない。医者がいる教会なら、安心して父上を任せられる!」
ディアナからの口添えもあって、アルスは聖職者たちに担がれて、どこかへ連れていかれた。
教皇もそれについていき、大広間の中には、ディアナとレミーだけが残された。
「真逆だね。あのときと。絹を、奪われそうになった時と」
がらんとした大広間は、貴族たちで満たされていたにぎやかさなど、初めからなかったようだった。
翌日。
「聖職者たちの看病の甲斐なく、アルスは死んだ」
「なんでサイファーさんが伝えてくるんです?」
サイファーが全身甲冑を着たまま、ディアナの部屋にいた。仕事を片付けながらディアナは首をかしげる。鉄がこすれあう音がガチャガチャ言って正直、うるさい。
「教会が伝えに来るより先に伝えておこうと思ってな」
「あ、ありがとうございます……?」
「こっけいな死にざまだ、今までの報いを受けたのだろう」
サイファーは低く笑っている。人が死んでいるのに全く悲しんでないどころか笑ってるよこの人。
「サイファーさん? 頭大丈夫ですか?」
「ああ……まだ話していなかったな。私は、女だ」
ブリュンヒルドはかぶとを脱ぐ。赤い髪がこぼれ落ち、女性らしいあでやかな顔があらわになる。
ちょっとはびっくりしたけど。この状況では驚くどころではない。
「それと、人が死んで笑ってることとどういう関係が? 男性でも女性でも、人が死んで笑っているのは正気とは思えませんよ」
「皇太子様は肝が据わっているな。自分をはずかしめた男が死んだんだ。これ以上に愉快なことは無いだろう?」
「あ……はい……」
いや、男とか女とか以前に、あなたのセンスが理解不能すぎて実は女って言われても反応に困る。
ディアナはひたすら困惑していた。
はずかしめた、ってどういうことなんだろうか。ディアナは気になったが、確実にろくなことではないので愛想笑いにとどめておいた。
自分の周りの大人、商人のキーツさん以外闇背負いすぎじゃないかな。セリカも、日本にいたころ大やけどしてるし、オーランドさんも、詳しくは知らないけど女性が苦手どころか悪夢に出てくるようなつらい思いしてるし。教会に殺されかけたフォーサイスさんが一番マシに思えるのが、自分の周りの大人がおかしい証拠のような気がする。
「私だけではなく、ディアナ様の母上、ナオミにも関係のある話だ。あれは、私たちがまだ若かったころ、ナオミも私も男装していてな―—」
「皇太子殿下! 教皇
ブレナン先生が入ってきて、サイファーの話がさえぎられる。
「サイファーさん、そのお話は、後でお願いします」
そう断って、ディアナはブリュンヒルドを置いて教皇の待つ部屋へと向かった。
背後から、「サイファー様……ブリュンヒルド様?」というブレナン先生の声が聞こえてきたが、それどころではない。
アルス王が死んだ話なら、ここで根回しをしておく必要がある大事なことがある。
あいさつをして、教皇がディアナへ述べた内容は、アルス王が死んだこと、国葬を行うから皇太子との打ち合わせを行いたい。
「あ。アルス王の国葬の事なんですけど。儀礼に使うお金は、召使いたちのお給金とははきっちり払ったうえで最小限にしたい、ってことと」
「ですがそうなると、儀式の物品にはそれぞれに意味がありますから、変えるとなると色々と不具合があるのです。例えば―—」
「破門された男の葬式だ。最小限がいい。あともう一つ」
ディアナは、儀式について長々と話しだそうとした教皇を止める。
「教会に、女性が入っても問題ないですよね?」
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