第56話

「夕闇の魔女様、折り入って相談が……」

 目の前の女が口にしたのは、恋の悩みだった。黒いローブを身にまとった老婆の姿をしたスカーレットは、ふうっとため息を漏らす。

 巨木をくりぬいて作った元の自分の家には、時々こうして客がやってくる。その家に誰かが尋ねてきた感触があったので、こうしてウィスティリアの王城から戻ってみたのだが……戻らなくてもよかったかな? とスカーレットは思ってしまった。

 うん、まぁ、今はそういった時期だものね?

 老婆姿のスカーレットは、そう自分を納得させる。

 もうすぐ聖ヴァレンティノの日だ。

 にぎわう町中の若い男女はどちらも落ち着かない。

 愛する者にチョコレートを渡し、永遠の愛を誓い合うっていう、あの甘ったるいイベントである。もちろんスカーレット自身もこういったイベントは大好きなので、今はウィスティリアの王城の台所で、ベアトリスと一緒に菓子作りの練習なんぞをさせてもらっていたりする。オスカー殿下を巻き込んだ一大イベントだ。

 そう、嫌いじゃない。むしろ、恋バナは大好きだ。きゃいきゃい言い合う女達の中に自分も進んで混ざる。でもこの流れで行くと大抵……。

「恋の秘薬、譲っていただけませんか?」

 ほうらね、こうなる。つい目線が冷たくなった。

 ちまたの魔女のイメージって大抵こんなんだ。怪しい薬を垂れ流す怪しげな女、みたいな? 人の意志を無視して、薬で相手を思い通りにするって、最低だって思わないのかねぇ? んなもん融通するわけないだろ、このあんぽんたん。つか、このあたしを一体何だと思ってんだよ? 恋のキューピットじゃないっての。魔女だよ、魔女。それも大魔女。何でそんな阿呆らしい相談に乗らなくちゃならないんだよ?

 例の老婆の姿で、恋に悩む女性を尻目に、スカーレットは手にした茶を口にする。そんでもって、自分で買ってきた煎餅をばりばりとかみ砕いた。手土産もないなんて気が利かない客だ、そう思いながら。うまいな、これ……。

 ウィスティリアじゃ、もちろん女が口にしたような魔法薬は違法だ。あそこは魔術に対する規制がやたらと厳しい。魔術に長けた奴が多いから、なんだろうけど。規制しないと、被害に遭うのは一般市民だもんな。

 んでもって、ここはそういった規制がゆるっゆる。つか、魔法薬の効き目とか怖さとか、まったく分かってないんだろうな、って輩ばっか。ま、エミリアンがらみのゴタゴタでウィスティリアに居づらくなって、こんな辺境の地にまでやってきたあたしもあたしなのか……。自業自得だけど。一番気の毒だったのはオスカー殿下だったね。

 つい、遠い目になってしまう。

 ま、転移魔法が使えるから、距離なんか関係ないけどさ。

 ウィスティリアに行こうと思えば、ひとっ飛びだ。

 あたしの肩にいるカラスがカァ! っと威嚇するように鳴けば、目の前の女性がびくっと身を縮める。おや、怖いのか? まぁ、正解だけどね。こいつら怒らすと、肉片にされる。こいつらは単なるカラスじゃなくて、使い魔だからね。猛獣だって集団でつつき殺す。つまり魔獣ってわけだ。ま、めったなことじゃ、んな真似させないけど。

「あのう、夕闇の魔女様?」

 あたしが口を利かない事にびびったのか、恐る恐る依頼主の女性がそう言った。

「どんな奴なんだ?」

 あたしは一応そう聞いてみる。

「あんたが恋した相手だよ」

「それはもう! 素敵な方ですわ!」

 途端に女性の顔がぱあっと顔が明るくなり、美辞麗句を並べ立てる。ハンサムで優しくて上品で金持ちで……うんうん、良い男の条件全部そろってるね? でも、それを薬でどうこうしようなんてやめたほうがいいぞ? 恋敵にめっちゃ恨まれる。それこそ呪われるんじゃないか? それでもいいのかね? 恋は盲目とよく言ったもんだ……いや、やらかしたあたしが言っても説得力皆無か。使ったのは恋の秘薬じゃなくて、呪いだけどな。

「好きになった奴に告白はしないのか?」

 それからだろうにとスカーレットは思うも、

「しましたわ! ふられたんです! どうしてだかわかりません!」

 ずいっと女が身を乗り出した。

「これでも私は料理上手の家庭向き! この美貌にこの気配り! こんなにいい女なのに、どうしてふるんですの? ありえません!」

 自信たっぷりに女が言う。いや、ふられるだろ。めっちゃ傲慢。いや、いいけどね? どうせ他人事だしな。あたしを巻き込まないで欲しい。こういう場合……。

 トントンというドアを叩く音。ついついため息が漏れる。

 ほうら、迷惑がネギしょってやってきた。クローズの札を立てて今度から無視しよう。どうせ今はウィスティリアの王城で暮らしているんだしな。そうしよう、それがいい。嫌々ながらもドアを開け、目を丸くした。女の恋敵が押しかけてきたのかと思いきや、違った。布で顔隠しているけど意味ないね。有翼人なんて、ルドラスの皇族以外いやしないだろうに。丸わかりだ。

「入ってもよろしいでしょうか?」

 有翼人の男が遠慮がちに言う。皇族にしては珍しく腰が低い。いや、臣籍降下した奴か? ま、どっちでもいいけどね。

「天使様?」

 有翼人を目にした女が目を丸くした。

 おや、有翼人を目にしたのは初めてか? いや、天使様なんて可愛いもんじゃないぞ、こいつら。性根なんざ普通の人間となんら変わらないのに、神徒の末裔だなんて言って、えばり腐ってる。本物の天使様が聞いたら怒りそうだ。ま、天使様なんて代物は、善良な人間にしか見えないらしいから、あたしとは一生縁がなさそうだけど。

「どうぞ」

 そう言って中に招き入れ、布を取った男の顔を見て、女はまたまた驚いたようだ。

「まぁ、素敵!」

 ん? ああ、そういや、確かにハンサムだな。

 けど、あたしは何故か冷めた目で見てしまう。うーん、何だろうね……オスカー殿下の顔を見慣れてしまったせいか、最近は、こういったのを見てもあんまり感動しなくなったって言うか、平凡に見えちまう。あの凄まじい美貌を見慣れるのも考えもんだね。目の保養になるから、ついついつけ回しちまうんだけど。

「こちらの方は?」

「ああ、依頼主。もう帰るところだよ」

 男の問いにあたしがそう答えると、

「じゃ、じゃあ、薬を都合していただけるんですね?」

 女は喜ぶも、あたしはそっぽを向く。都合なんかしないよ、もう。

 嬉々とした女の言葉を遮り、さ、帰った帰ったと女を押し出した。魔女様ぁという甘えた声ごとドアの外に閉め出す。んでもってクローズの札をかけた。こうすると外からこの家が見えなくなるから、接触不可能になる。しばらくはこうしておこう。オープンになるのはいつになることやら……。

「で、あんたは?」

 あたしが男に向き直ると、

「あ、初めまして。私はオルノ・ディラーノと申します。あなた様が夕闇の魔女様、でよろしいですか?」

「そう、正解。茶でも飲むか?」

「いいえ、お構いなく」

 そう言って男は断り、椅子に腰掛ける。

 ディラーノ……ルドラス帝国のディラーノ公爵家のお坊ちゃんか、スカーレットはそう理解する。高位貴族が身分を隠してこそこそやってくる場合、政敵を呪ってくれって依頼がほとんどだ。この男もその類いかね? けど、そういった依頼は十中八九引き受けない。くだらないから。

 あたしが呪いの依頼を引き受けるのは、依頼主が酷い目にあった場合に限られる。つまり復讐だ。復讐なんかしたって、むなしいだけだという奴もいるけれど、あたしはそうは思わない。酷いことをしたら、それ相応の報いを受けるのがあたりまえだと、そう思うから。恨みに凝り固まった心が、少しでも軽くなるようにしてやるんだ。自己満足って言いたい奴は言えばいい。あたしはやりたいようにやる。

「で、要件は?」

 自分用の茶を入れ直し、向かいに座ると、

「呪って欲しい方がいまして、ですね……」

 やっぱりねと思い、手にした煎餅をまた口にした。先程と同じようにばりばりとかみ砕く。老婆になっても歯は健在だ。


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