第12話
「ねぇ、ビンセントはどこにいるの?」
ウィスティリアの王城に到着するなり、十六才の美しい娘に成長したエレーヌが、そわそわしつつ甘えた声を出す。彼に気があるのが丸わかりだ。
今回で何度目の訪問になるだろうか、いつものようにウィスティリアの王城に赴けば、いつもと変わらないオスカーが出迎えてくれた。
「弟なら剣の稽古場にいるけど、ちゃんと節度を守ってね?」
エレーヌの態度に対し、オスカーがそう釘を刺す。
「弟にはもう婚約者がいるの。今までのように馴れ馴れしい態度は許さないよ? 君はもう子供じゃないんだから、名前にはきちんと敬称を付けること。じゃないと滞在は認めないからね?」
笑っているけど、有無を言わせないいつもの態度だ。
エレーヌが気分を害したように言う。
「分かってるわよ。ほんっとあなたってば、お兄様より口煩いわ。あれをするな、これをするなって、顔を合わせるたんびに小言ばっかり。どうしてそうなのかしら……。わたくしに優しくされないからって拗ねてるの? 不細工な上に意地が悪いって最悪よ」
オスカーが笑った。笑顔が引きつっているようにも見える。
「拗ねてる、ねぇ。君の発想って本当、斜め上過ぎてどう言えばいいのやら……。君が一回できちんと理解してくれていれば、ここまで言う必要もないんだけどね? 一々言わなくてもいいことを口にしなけりゃならない僕の身にもなって。こんなの常識だよ。君の顔を見るたんびに何で僕が説教たれなくちゃならないのさ。ほんっと勘弁してよ。君が耳たこだっていうのなら、僕は口たこかな? 我が儘もいい加減にしないと、今度は入国禁止にするからね? うんざりなのはこっちもだから」
とんっと杖を突くと、リーンという例の妖精が嫌う音が鳴り、エレーヌがひるむ。これを何度も繰り返しているおかげで、いまじゃすっかり
「分かったわ、分かったわよ、ビンセント殿下! こう言えばいいんでしょう?」
毛を逆立てた猫のように怒鳴り、身を翻す。侍女を連れて、足早にその場を離れた。
「妹がすまない」
連れてこないようにしたのだが、陛下の権限を使って押し通した。まったく頭が痛い。
「いいよ。あれくらいならまぁ、許容範囲内だから」
オスカーの指示に従って、護衛騎士の一人がエレーヌを追って動き出す。そこへ、
「オスカー、ご機嫌よう」
ふっと柔らかな女性の声が耳朶を打つ。
目を向けると侍女を連れた、エレーヌと同じくらいの年頃の少女がこちらへ向かって歩いてくるところだった。澄んだ黒い瞳が愛らしく、頬が嬉しそうに上気している。
大人びた美しさを発揮するエレーヌとは打って変わって、こちらはまだ幼さが感じられた。長く艶やかな黒髪が肩からこぼれ落ち、笑う顔が春の日だまりのように温かい。オスカーと会えたことがよほど嬉しいのか、全身からはち切れんばかりの喜びがあふれ出ていた。
彼女の姿を目にしたオスカーの顔にも笑みが広がった。
「ご機嫌よう、ビー。ダンスのレッスンはもう終わったの?」
「ええ、たった今。お客様?」
少女の黒い瞳がこちらへ向く。
何故だろう? どきりとした。少女の黒い眼差しが吸い込まれそうなほど深い。もしかして彼女も魔術師か? そんな風に思うも、彼女は杖を持っていない。多分、違うのだろう。神秘的な眼差しだけれど、魔女のような迫力を感じない。優しい春風のような子だ。
オスカーが笑った。
「そう、話したこと無かったかな? クリムト王国の第一王子、アルベルト・ラーナ・クリムトだよ」
「まあ、チェスの相手をして下さってる方ね?」
そう言って少女は笑い、
「初めまして、アルベルト殿下。私はベアトリス・リンデルと申します。お会いできて嬉しいですわ」
そう言って彼女は、薄紅色のドレスの端を少しつまみ、淑女の礼をとった。
柔らかな仕草がまた可愛らしい。そう、美しいというより可愛らしい、そういった表現が彼女にはぴったりだった。
「初めまして、ベアトリス嬢。こちらこそお会いできて嬉しく思います」
アルベルトがそう挨拶すると、
「僕の婚約者」
オスカーにそう紹介されてびっくりした。それであんなに親しげだったのかと理解する。彼女がオスカーに向ける喜びの意味もまた……。
後方に控えていた侍女が申し訳なさそうに進み出た。
「ベアトリス様、急がないとマナーのレッスンに遅れますわ」
「ええ、そうだったわね。オスカー、ごめんなさい、また後で」
「うん、行っておいで?」
オスカーが笑って彼女を送り出す。
「可愛い子だね」
アルベルトが廊下の向こうに去って行く彼女の背を見送りながらそう言えば、
「うん、幸せになってもらいたいな」
オスカーが頷く。
「君と結婚するなら、絶対に幸せになるよ」
アルベルトはそう請け負った。オスカーが相手なら絶対だ、そう思ったのだ。
「いや、それは逆かなぁ」
そう言われて、アルベルトは首を捻る。
「僕は彼女と結婚しちゃいけないんだよ」
その言葉に仰天させられた。
「どうして!」
「以前、僕は王座を継げないって話、したよね?」
「え? あ、ああ……」
意味が分からなかったけれど。良い王になるにはどうしたらいいか、そんな話題の中、彼がぽろっと漏らしたのだ。王座は継げないと。あの時も仰天して理由を問いただしたら、子供を作れないからだと言う。不能か? とも思ったけど、流石にそんなデリケートな問題を突っ込んで聞けるわけもない。何やらうやむやで終わってしまったけれど、あれ、やっぱり本気だったのか。
「王座を継げない理由は、呪われているから」
オスカーがそう言った。
「呪われている? どこが?」
「夕闇の魔女にね、人間としての機能の殆どを奪われているの。眠れない、泣けない、食べれない、人間としての触れ合いは皆無。夜なんか退屈でさぁ、本を積み上げて朝方まで過ごす。まぁ、そのおかげで魔術の腕は格段に上がったけどね? そして、もちろん子供も作れない。僕は今そういう状態なの。これで結婚なんかできるわけないでしょ? 絶対相手が不幸になるよ」
眠れない、泣けない、食べれない?
「……ごめん、よく分からない」
そう言う他なかったが、オスカー自身も理解を求めていたわけではないらしく、
「うん、そうだよね。単なる愚痴だから忘れて? 僕も本当の姿を見せる気はないしさ」
そう言われてしまう。本当の姿?
「あんな目をされるのは父上と母上だけで十分だよ。師匠は……一番人間できてるね。僕の姿にも境遇にも動揺しない唯一の人かなぁ。だから、僕も遠慮なんかしなくてすむんだけど。ああ、でも……」
彼女だけは違う……そんな風に呟いた。
「ハンサムだってさ」
オスカーが楽しそうに笑う。
「この僕を見てハンサムだって。美人だって言ってくれる。骨格美人ってどこからああいった発想がでてくるのやら、本当わからないよ」
笑っているのに、何故だろう? 泣いてる? そんな風に見えてしまう。幸せになってもらいたいんだと彼は再度言った。だから手放すんだと。
アルベルトには、誰の事を言っているのか何となく分かってしまって、
「……婚約者の事が好きなんだろ?」
そう言えば、
「うん、好きだよ?」
「彼女は何て?」
「大好きだって言ってくれてる」
何だ、やっぱり両思いなんじゃないか。それでどうして……。
「アル、この話はもうおしまい。何を言われても僕は気を変える気はないからね? 彼女の一生を犠牲にするなんて、この僕自身が許さない」
「婚約者なのに……」
「解消予定のね」
「結婚する気がないのなら、どうして婚約なんてしたんだ?」
アルベルトは事情を聞いて、これまたびっくりした。彼女の親が決めた酷い縁談から彼女を守る為って……けど、ああ、貴族なんてそんなものだよなと、ある意味納得もしてしまった。情よりも利益を優先する。オスカーのように情に厚い人間の方が珍しい。
彼女が立ち去った方角を見ていると、
「……もしかして狙ってる?」
そんなオスカーの声が聞こえた。
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