第41話

 流石に驚いた。まさかエレーヌ王女が一服盛った? エレーヌ王女の様子に目を向ければ、やはり挙動不審だ。平静を装っていても、僕には分かる。

 カップの縁に口を付け、魔法薬を分析してみる。

 どうやら無味無臭の魔法薬らしいが、やはり魔術の痕跡が感じられる。魔術の残り香という奴だ。まぁ、これを嗅ぎ分けられる奴は少ないだろうが。ここウィスティリアでも、これに気が付くのは、もしかしたら僕と師匠くらいかもしれない。それくらい微かな痕跡だ。かなり腕の立つ魔術師が作ったものに違いない。

 アロイス・フォレストか? そんな考えが浮かぶ。

「あの、どうかなさいましたか?」

 僕が紅茶を飲まないことに不安を覚えたか、エレーヌがそう問うた。

 毒入りなんだけど? と言いたいところを、オスカーはぐっとこらえる。毒薬だとは思いたくなかったが、さてどうしたものか……。たとえ暗殺を企んだわけではなかったとしても、王太子であるこの僕に一服盛れば国交問題だ。このお姫様は、そこんとこちゃんと分かってるんだろうな? クリムト王国内では、傍若無人ぶりが陛下の権限でまかり通っても、他国ではそうはいかない。

 いや、国力が物を言うから、クリムト王国がここウィスティリアの力を凌いでいればまた違ったのだろうが、実際は違う。なのに、一体何を考えているんだ、この浮かれ半妖精は……。

 杖に触れて紅茶を飲み干す幻視を作り出し、紅茶の中身はこちらで保管することにする。後で何が入っていたのか調べさせよう。

「あのう、眠くなりませんか?」

 エレーヌ王女が僕の様子を眺めつつ、おずおずとそんな事を言い出した。

 なるほど、入れたのは睡眠薬だったのか? いや、強力な魔術の痕跡があった。あれが単なる眠り薬だったとは思えない。ここは一つ乗ってみるか。

「ええ、少しばかり。ですが、お客様の前で居眠りは無作法でしょう?」

「いえ、そんなことはありませんわ! お疲れなんでしょう! こちらの長椅子に横になって下さいな」

 いそいそとエレーヌが長椅子へと移動する。

 いや、膝枕はどうかと……。彼女ってこんな性格してたっけ? エレーヌが頬を染めて自分の膝をぽんぽん叩く。うん、まぁ、本当にこの僕に傾倒してるのは分かったけど、止めて欲しいかな。相手がビーなら喜んでそうしたけれど。

「エレーヌ王女。流石に未婚の女性にそのような真似をさせるわけにはいきません。どうかお立ち下さい」

 丁寧に辞退すれば、

「あ、そ、そうですわね。少々はしたなかったかしら」

 急ぎ立ち上がる。よかったよ、彼女に淑女の恥じらいが残っていて。じゃなかったら魔術で強制排除しなけりゃならないとこだった。杖を持って移動し、長椅子にごろりと横になる。眠くなどなかったが目を閉じ、寝たふりをした。

 さて、彼女がどう出るか、だが……。

「殿下、殿下?」

 エレーヌ王女が何度か肩をゆすって、僕が寝入ったかを確かめる。

 僕が完全に寝入ったと判断した時点で、彼女が動いた。いや、彼女がというより、彼女に付き従ってる小妖精フェアリー達がやらかした。催眠作用のある妖粉をウィスティリアの侍女と護衛騎士にぶちまけたのだ。

 が、侍女はともかく、そんなものにやられるほど護衛騎士はやわじゃない。王太子のこの僕の護衛だぞ? そういったものの対策はきっちり取っている。ウィスティリアも舐められたものだと思うが、今反撃されては困る。

 もうちょっと泳がせないと……仕方なしに僕が止めた。

 悪いね、二人とも。二人を魔術で昏倒させ、心の中で謝っておく。

「さ、運んで頂戴」

 運ぶ? エレーヌ王女の指示で、傍に控えていた二人の侍女に、肩と足を掴まれ、反射的に抵抗しそうになったが、何とかこらえた。危ない。触れられた箇所が肩と足首だけだったのが幸いだった。箱のようなものに入れられたが、体にあたる感触は柔らかく、クッション材が敷き詰められていることが分かる。

 蓋が閉められ、困惑を深めた。

 どういうことだ? 暗闇の中、箱の蓋がびくともしない事実を確かめる。

 まさかこの僕の誘拐を企んだのか? ウィスティリアの王太子のこの僕の? 目的は? ビーとの交換? それは、あり得ないか。こんな真似を城内でするくらいなら、直接本人を狙って動くはずだ。なら……身代金? いや、そんな真似をすれば、クリムト王国はウィスティリアに確実に叩き潰される。戦争不可避だろう。

 ふっと、アロイス・フォレストの姿が思い浮かぶ。

 まさかルドラスと結託した? ルドラスとウィスティリアは隣り合わせの大国だ。平和な時代が長らく続いているが、領土拡大を狙って動く可能性は捨てきれない。長く続いたこちらとの友好関係を捨てて、あちら側と手を組んだということなのか?

 いや、しかし……。

 エメット王太子は今こっちにいるぞ?

 疑問符が山のように浮かんだ。妙な擬音付きで……。

 開戦目的の誘拐を企んだのなら、何故クリムト王国の王太子が、ここウィスティリアを訪問したんだ? 王太子がその国を訪れるのは、仲良くしましょうという意思表示だ。敵意はない、信頼しているという証である。国とエレーヌ王女の行動がちぐはぐだ。

 何、この状況……。

 よしんば、これが敵の目を欺くためだと仮定しても、普通なら実行の時期をずらすはずだ。でないと、エメット王子を拘束する理由ができてしまう。自国の王太子を敵国に引き渡してどうする。自爆もいいとこだ。エレーヌ王女の行動、可笑しすぎだろう。

 駄目だ、頭が混乱する。

 とにかく、今の事態を師匠に知らせて対応してもらうとするか。それと紅茶の中身、あれも調べてもらわないと……。蓋部分に魔術印を描き、エレーヌ王女を見張らせている使い魔とは別の使い魔を召喚し、師匠に伝言を届けさせる。壁をすり抜け、一直線に師匠の所へと向かうだろう。

 あとは……。

 夕闇の魔女から怒声が返ってきたが無視する。ビーの安全を考え、伝言を一方的に送りつけた。やり方が使い魔にやる方法と同じだから、大魔女のプライドを傷つけるんだろうけど、うっかりとはいえ、名前を漏らしたのはそっちのミスだから勘弁して?

 師匠から反応があって、直ぐに助け出すと言われたが、もう少し待ってもらうことにする。小妖精フェアリーの妖粉で眠らされた侍女と護衛騎士の回収を頼み、捜査班にエレーヌ王女とルドラスとの関係を調べるよう指示を出す。さらに、紅茶に盛られた毒物を特定できたら知らせるようにと言い添え、通信を終えた。


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