第12話

「いい気味だわ」

 小舟に乗ったマリエッタは、こんこんと眠り続けるベアトリスを見下ろしながら言う。

「あんたには、王妃なんて役目は絶対に相応しくないもの」

 そう、まったくもって相応しくない。

 ずっとそう思ってはいたが、父親に進言しても、お前が殿下の花嫁になるとでもいうのなら考えてやると、そう言われてしまっては、どうしようもなかった。誰があんな辛気くさい男の花嫁になどなりたいものですか。地位も才能もあったが、あんな男に触れられると考えただけで吐き気がする。

 そう思っていたのに……。

 あの場で目にしたオスカー殿下の美しさといったらなかった。

 思わず、ぼうっと見惚れてしまったほどで……。まさか根暗殿下が、呪われてあの容姿だったとは露知らず、悔しさで歯がみした。自分こそ彼に相応しいと、心底そう思った。家の恥知らずには、王妃の座も、あの美しい王子も似合わない。何とか自分が取って代われないものかと、目を光らせていて正解だったと思う。

 ――ベアトリス・リンデルを人買いに売り払ってちょうだい。

 魔術で王妃の話を盗み聞きした時は耳を疑ったけど、王妃の密命を受けた者が、眠らされたベアトリスを運び出すところを目撃し、本気なのだと悟った。これは面白い。あの役立たずは王妃に煙たがられている。だったら自分を売り込まない手はない。

 ――王妃様。人買いに売り払うより、もっといい手がありますよ?

 魔術を使ってそう囁いた。

 直ぐに反応があって、小躍りした。見返りに、オスカー王子の妃選びの舞踏会に参加させてくれるという。なら、もう射止めたも同然だと思った。自分になびかない男はいない。自分の美貌に絶対の自信を持っていたマリエッタは、心底そう思っていた。自分が微笑めば、どんな男も虜に出来る、と。

 王妃様から預かった指輪を彼女の配下に見せ、ベアトリスを引き渡してもらう。

 人買いに売り払われても、必ず不幸になるわけではない。買い取った相手に左右されるのだ。もし善人に引き取られれば、幸せになってしまう可能性もある。実際、そう言った話は結構な噂になるから、マリエッタも耳にした事があった。あのベアトリスが? 自分より容姿も才能も劣ったベアトリスが幸せに? ありえない。

 ベアトリスを王妃につかせない為には、不幸のどん底に突き落とすには、娼館に売り払えばいい。娼婦になった人間を王妃の座に据えるのは流石に無理だ。美しい娘に成長したベアトリスを見下ろしつつ、マリエッタはほくそ笑んだ。安心して? あの綺麗な王子様はわたしがもらってあげるから。

 風を操って船で川を下り、待っていた男達にベアトリスを引き渡す、予定だった。カラスの大群が邪魔をしなければ。

「うわ、いてっ! 何だこいつらは!」

 男達は這々の体で逃げ去り、マリエッタも散々つつかれ、近くの建物へと駆け込んだ。様子を見るために、そうっと顔を出すとカラスに威嚇される。風の魔術で追い払おうとしても、何故かうまくいかない。ひらりひらりとかわされてしまう。

 ベアトリスは? そう思うも、彼女が襲われている様子はない。流石にカラスの大群に襲われれば、目を覚ますはずだ。なら、あのカラスはベアトリス以外の者を攻撃しているという事になる。どうして? あまりにも不自然な動きで、マリエッタは魔術師の関与を疑うも、これほどの数のカラスを操れる術者を彼女は知らなかった。操れる使い魔は大抵一匹である。大群で動かすすべなど自分は知らない。

 そうこうしている内に兵士を連れた誰かがやってきて、

「ビー!」

 ベアトリスを抱き上げた人物を目にして、マリエッタは目を見張った。そこにいたのは、あのオスカー殿下だったからだ。どうしてここが分かったのか……。自分は誰にも知らせていない。単独行動だ。なのにどうして?

 改めて目にしたオスカーの美貌に、マリエッタは心を奪われる。目が離せない。

 こんなにも美しい男をマリエッタは見たことがなかった。どんな美姫でも彼には適うまい。もしこの事実をもっと早くに知っていたら、父親に進言して、自分が取って代わっていたというのに……。

 ギリギリと土壁にマリエッタの爪が食い込んだ。流石にあの不気味で陰気な王子と結婚しようなどとは思えなかったのだ。

「オスカー?」

 ベアトリスの声にマリエッタははっとなる。妹が目を覚ましたに違いない。舌打ちを漏らした。予定外もいいとこだった。どうして二人が見つめ合っているのよ? 彼に相応しいのはこの私なのに!

「オスカー殿下!」

 マリエッタはたまらず飛び出した。

「暴漢に襲われました! 気が付いたらここにいて……どうしてこうなったのか訳が分かりません! お願いします! 助けてください!」

 弱々しく身を寄せようとすれば、オスカーにかわされる。受け止めてもらえなかったマリエッタは、そのまま地面に投げ出されるようにして両手をついた。

「へえ? 暴漢に襲われた、ねぇ……相手の人相は?」

 オスカーの冷ややかな眼差しにマリエッタは戸惑った。優しく保護してくれるものとばかり思い込んでいて、この対応は考えてもいなかった。

「それは、その……覆面をしていて分かりませんでした」

「人数は?」

「た、多分、三人だと思います」

「襲われた時、君はどこにいたの?」

 矢継ぎ早に質問される。いや、これはまるで尋問だった。犯罪者に対する扱いのようで、マリエッタは腹を立てた。貴婦人に対する扱いではないと思い、

「殿下、それよりも休ませていただけませんか? 酷く疲れていますから」

 弱々しくそう告げると、

「ふうん? そう? そりゃ、疲れるだろうね。魔術を使って人をさらえばさ」

 マリエッタの心臓が跳ね上がる。

 恐る恐る目を上げれば、オスカーの射殺しそうな視線に、マリエッタは腰を抜かしそうになった。ありえない……根暗殿下は基本穏やかで、人当たりがいい。お人好しだと言われるくらいで、こんな風に怒った姿を、マリエッタはただの一度も見たことがなかった。

 冷や汗が背を伝う。

「僕、言ったよね? 彼女は僕の婚約者だって。もし何かあった場合、処罰されるのは君の方だって。もちろん、その処罰を覚悟しての事だろうね?」

 オスカーは笑ったけど笑っていない。物騒な笑顔とは、こういうことを言うのだろうか? マリエッタは血の気が引くのが自分でも分かった。

「ち、違う。違います、誤解です殿下! 私は何もやっておりません! 実の妹を娼館に売り払うなんて、するわけないじゃありませんか!」

 オスカーの藍色の瞳がすうっと細まった。

「……君、娼館にビーを売り払うつもりだったの?」

 しまったと思ってももう遅い。

「母上は人買いって言ってたけど……あっちの方がまだましだったかな? あれは単純な労働力を欲しがるところだからね。君って本当に性根が腐ってるんだね。あきれたよ。どこまで人をおとしめれば気が済むの」

「誤解です!」

「もう、いいよ。連れて行って。言い訳なら警邏の者にしてよね」

 マリエッタは兵士達に引きずられながら、あなたに相応しいのはこの私ですと言い続けた。そんな取り柄のない女のどこがいいんですか、とも……。

「……あれはリンデル侯爵の責任でもあるよね」

 ああいう風に育てちゃったんだからさ、とオスカーが呟く。

「オスカー、お姉様は……」

「ん? ああ、流石にここまでやっちゃうと、無罪放免ってわけにはいかないかな。ごめんね? 相応の処罰は覚悟して? 彼女だけ特別扱いってわけにはいかないからさ」

「私、お姉様に本当に嫌われていたんですね……」

 静かに涙をこぼすベアトリスをオスカーは抱きしめた。


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