第25話 「ミカミちゃん。これ教授からのプレゼントです」

「ミカミちゃん。これ教授からのプレゼントです」

 深田池マリサは背負っていたリュックを、よっこいせと肩から下ろしてチャックを開けて、大きな袋に包まれたそれを取り出して――ミカミちゃんに手渡した。

「わーー ありがとう!」

 ミカミちゃんは笑顔で、それを受け取った。

「……ねえ? お姉ちゃん。中を見ていい?」

 大きな袋を手に持ってソワソワしてながら、ミカミちゃんが深田池マリサに聞いた。

「ええ、もっちろん!」


「うわーい!!!」

 笑顔のミカミちゃん、一心になって包み紙を取っていく。


 取っていく……


 取って。


「わーーー 可愛い!!!!」

 ミカミちゃん。とびっきりの微笑みだ。



 一方の――


「…………」

 深田池マリサは絶句してしまった。

「このお人形、可愛いね! お姉ちゃん!」

 ミカミちゃんが大きな袋から取り出したそれを、見つめながら、喜びながら言う。

「……あははっ。可愛いかな?」

 深田池マリサ? 何か変だね。

「こら……チウネルさん? なんでそういうことを言うの? 病床の女の子に対して??」

 佐倉川カナンが深田池マリサに問い質す。それは、成人した者同士としての愛のムチ?


(いいえ。愛のゆえの無知です……)


「…………」

 深田池マリサはだんまりした。その内心はと言うと、



(教授め……あんた、子供へのプレゼントは、これしか思いつかないんかい!?)



「……これはな、名前をゴーレムっていうんだ」

 杉原ムツキ、あからさまに。いやいや彼流の計算だ。

 ここで、この『ゴーレム』というキーワードを出せば、日頃俺にお世話になっている深田池マリサに、一泡ふかせられるんじゃやないって。あんた悪魔か!?


「ゴーレム? って言うんだ。このお人形さん」

 ミカミちゃんが杉原ムツキの罠にはまったとも知らず、無邪気にそのプレゼントのゴーレムちゃんを見つめた。

「んへへっ……。ゴーレムちゃん、なんだか可愛いね♡」

 これ、してやったり! 杉原ムツキは更に……

「ああ! そうさ!! 君の守護神のゴーレム(なにが守護神だ?)ユダヤ教の神話では、額にemathを刻まれて命を吹き込まれて動くんだぞ」

 言ってやった。深田池マリサの前で! 感無量の仕返し杉原ムツキ。


「動くの? お兄さん」

 ミカミちゃんは、。当然、杉原ムツキと深田池マリサの瑞槍邸でのゴーレム騒動を知る由もない。


「……いやいや、動かないって。人形なんだからね」

 佐倉川カナンは冷静に呟いた。彼女は勿論、2人のゴーレム騒動を知らない。


 それを聞いた杉原ムツキは、ズココーっとズッコケる……。

「あの……。カナッチさん。そういうことを子供の前で言っちゃ」

 しかし、杉原ムツキ。気を取り直して、

「んでな! ミカミちゃん。eをとってmathになると動かなくなるんだ。ユダヤ教の神話の伝説なんだけどな」

 杉原ムツキ……お前はミカミちゃんに何が言いたいんだ?


「へえ……。そーなんだ」

 何も知らない(その方がいいよ)嬉しそうに、ゴーレムの人形を回し見つめてのミカミちゃんだった。



「…………ねえ? ミカミちゃん……。あたしがゴーレムを動かしてあげようか??」

 ナザリベスが突然。

「えっ? そんなことできるの、ナザリベスちゃん?」

 じーっとゴーレム人形を見つめて、喜んでいたミカミちゃん。

 ナザリベスのその言葉を聞くやいなや、ムクッ! とベッドで起き上がった。


「うんできるよう。あたしには…………………あわわっ!」


 どうした、ナザリベス。と思ったら、

 深田池マリサがナザリベスの口を塞いで、

「……あははっ。できるわけないじゃない。ねえ~ ナザリベスちゃん??」

 目が笑っていない深田池マリサが、ナザリベスを冷酷に見つめている――


「……ん。でぎるんだ・ぼ・ん。あだじ……」

 塞がれた口からナザリベスが言う。

「……い~え。できないよね~ ナザリベスちゃん??」

 深田池マリサの脳裏にはゴーレムと格闘したトラウマがあった。なにがなんでも、このゴーレムだけは動かさない。死守するべき砦、なにがユダヤ教の神話のゴーレムだ、城塞都市だ。


 そんなの、私には知ったこっちゃーない。

 それよりも、なにがなんでも、あのゴーレムに追い掛け回された悪夢の再現だけは、何が何でもゆるすまじ。


「…………………」


 ナザリベス、深田池マリサの執念を霊感で感知したなり……身の毛もよだつ恐怖を感じた(幽霊なのに?)。


「……ねえ~。ナザリベスちゃん? 分かるよね??」

「…………………うん。わかった、お姉ちゃん」


「ふふん! ナザリベスちゃん。いい子ね~ グッドキッズガールね~」

 深田池マリサ微笑む(でも目は笑っていない……)。


 ――この時、ナザリベスは前回の天野さんとのやりとりを思い出した。

 あっ。これ大人の事情ってやつなんだ……。大人って、あたしの知らないいろんな事情があって、そういうことを空気感で感じ取って行かなきゃ大人は生きていけないんだ。そうなんだ……ナザリベス降参である。


「……ミカミちゃん? お身体の具合はどうかな?」

 杉原ムツキが至極当然のセリフを、深田池マリサとナザリベスのやり取りに割って入ってきた。

「教授も気になってさ。……だから俺たちここに来たんだし」

 ああ、まっとうなお見舞い発言を、まさか杉原ムツキから聞けるとは……。


「お見舞い。ありがとうございます」

 ミカミちゃんは、杉原ムツキを見つめて微笑んだ。


「――あたし。なんか新型肺炎っていう病気になっちゃったみたいで」

 ミカミちゃん、自分の病気の病名を言った。

「あたし――今日が7歳の誕生日なんだけどね」

 それから、ちょっと俯いて言ったのだった。


「ああ、だから教授、今日行ってこいって」

「ああ……トケルン。そういうことなんだ」

「ああ、あの教授ってサービス精神旺盛だことね」

 武藏谷文芸大学のみんなが気が付いた。


「……これでも、あたし七五三のお宮参りの時には元気だったんだよ。元気だったんだけれど」

 ミカミちゃんの表情は、更に虚ろになって、

「元気だったんだよ。でも、その後に急に熱が出てしまって、お医者さんからは、たぶん風邪だろうって。だから、学校も休んで、しばらく家でベッドで寝ていたら治るんだろって、お医者さんは言ったんだ。パパもママも、あたしはベッドで安静にしていれば必ず良くなるって言って……。でもね、あたしさらに熱が高くなって……」


「ミカミちゃん……」

 ナザリベスの表情が曇った。


「ママはね……慌てて夜中に橿原かしはらの医大病院まであたしを車で送って、そして、あたしは精密検査したんだ……」

「……ミカミちゃん。もうそれ以上、かなしい体験を俺達に言わなくてもいいよ」

 杉原ムツキはゆっくりと、病床のベッドに座っているミカミちゃんの傍まで近づいて、

「ミカミちゃん……。決して、この病気は君のせいじゃないからね」

 と言って、杉原ムツキは優しくミカミちゃんの頭を撫でた。


 ナザリベスは思い出した。

 お兄ちゃん――トケルンがあたしに言ってくれた言葉と、同じ言葉だってことを。


 お前のせいじゃない――


「……そしたらね」

 ミカミちゃんは話を続けた―― 話したかったんだと思う。

「新型肺炎っていう病気だと判明して。幸い症状は軽いってお医者さんが――」


「辛いの? ミカミちゃん」

 ナザリベスが聞いた。

「こらっ!」

 とナザリベスに言ったのは、佐倉川カナンだった。

「あんたは病床の人に、あからさまにそういうことを聞くんじゃないの!」

 佐倉川カナンは、こういうメリハリを気にする――そりゃ数学のスペシャリストだもの。

 だから、対人関係においても数学の解答ように、論理とか証明とか、きっちりと理路整然と考えたいのだろう。



「……ふふっ。大丈夫だってナザリベスちゃん!!」

 そんな2人のやりとりを、ベッドから見つめていたミカミちゃん。笑った。

「ミカミちゃん……ありがとう」

 ナザリベスがミカミちゃんの笑顔に反応する。

「ごめんなさい。病床のお見舞いだというのに……」

 佐倉川カナンが病床で騒いでしまった自分達の不甲斐なさを代表して、ミカミちゃんに頭を下げた。


「いいえ、いいんですよ。お姉さん。……お医者さんが言うには、しばらくは咳き込む事もあるだろうけれど、心配するくらいの重篤じゃないんだって。しばらく安静にしていれば必ず良くなるって言ってくれた。それを信じて、あたしは病気を治すだけなんだからね」


「……うん。強いんだね。ミカミちゃんは」

 ナザリベスは深く頷いた。


 深く、頷いた――


 ナザリベスは、病院のベッドに横になっていた頃の自分を思い出した。

 自分が幽霊になる生前のころの自分をである。



 パパ―― ママ――


 あたしは頑張るからね 大丈夫だからね……


 あたしの精一杯のウソ…… パパとママについた精一杯のウソだ……






 結局、あたしは幽霊になっちゃったけど――






 おもちゃの…… おもちゃの……


 みんなスヤスヤ眠る頃……



 トモミ…… 今日からお友達と一緒に寝ようね


 ――パパ


 まあ、素敵なお人形ねー トモミ


 ――ママ



「うん! あたし、大切にするよ!! パパ―― ママ――」


 それは、あたしの枕元の隣に置かれたお人形――ゴーレムちゃん。

 あの時の病室から、あたしはウソしかつかなくなったっけ?


 あたしが頑張るよってウソをついたことで、パパもママも笑顔になってくれたから。

 あたしは、ウソしかつかなくなった自分でいいと思った。

 あたしは、本当は、もう自分の命は長くないって分かっていたから……



 それでいいと、思ったから……





 続く


 この物語はフィクションです。

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