第72話 白い獅子

 最後のお客様を乗せた馬車が、正門の外へ消えて行く。


 夜会という非日常の世界で浮足立っていた伯爵邸は、日常へと戻るため動き出していた。演奏の為に呼ばれていた数人の楽団員が、手慣れた様子で片付けを済ませ、屋敷を後にしてゆく。

 パーティが開かれていた大広間では、お仕着せに身を包んだ数十人ものメイドが、てきぱきと立ち働いていた。たちまち魔法にかけられたように、夢の残りかすは片付けられてゆく。



 見送りを終え、エントランスホールに戻ったランブラーは、わたしに向かって大きく両腕を広げると、嬉しそうに抱きしめた。


「大成功じゃないか、リリアーナ! これで明日には求婚者が列をなすと思うけど、僕が責任を持ってふるいにかけるから、安心してね」


「お従兄様、その作業にはぜひ、わたしも参加させてくださいませね」


 ランブラーとブランシュは、悪企みをする兄妹のように微笑み合った。

 前から思っていたけど、この二人、すごく気が合っている。


 それにしても、身内の欲目とは、恐ろしい。


 五歳から引き籠っていて、一般的な貴族子女の嗜みも知らない。

 魔女でこそないけれど、コミュ障の変わり者であることは間違いない。

 何より、ブランシュやブランシュの友人令嬢たちのように、美人でもない。


(わたしに求婚したいと思う人なんて、いるわけない)


 でも、いいのだ。何しろ、わたしはウェイン卿に『友人』認定してもらったのだから。


 ―――ウェイン卿から、嫌われていない。


 これ以上の幸せはない。一生、誰とも結婚できなくたって、世界中の人に嫌われていたって、もう全然、へっちゃらなのだ。

 残りの人生は、ウェイン卿を落胆させるようなことだけはしないよう、そっと慎ましく生きることにする。



 定位置であるブランシュの隣にごく自然に佇むノワゼット公爵が、優しく口を開いた。


「リリアーナ、お疲れ様。これでもう、例のくだらない噂は霧のように立ち消えるだろうね。

 ……ところで、ロンサール伯爵? 今日はここに来た時から、ずっと気になっていて、いつ言おうかなー、いつ言おうかなーって考えてたことがあるんだけど、今いいかな?」


「はい、もちろんです。なんでしょうか? ノワゼット公爵閣下」


 ランブラーは、艶やかな金の前髪を自身の指で優美にすき上げながら、輝くような笑顔を公爵に向けた。

 ノワゼット公爵は、美しい顔に浮かぶ笑みを一層、深める。


「……一体全体どうして、今日はこの屋敷のいたるところに、第一騎士団の連中がいるんだろうね?」



「やあやあ! アランじゃないか! 気取った伊達男の姿が目に入ったから、もしかしたら、と思ったら」


 白い騎士達を従えて、グラハム・ドーン公爵が現れた。

 じゃっじゃじゃーん! と効果音が聞こえてきそうな登場っぷりであった。

 青銅色の長髪は後ろでひとつに束ねられ、翡翠の瞳は理知的に輝く。


 先ほど、少しだけ挨拶したが、この方が第一騎士団団長である。ノワゼット公爵と同じく、国王陛下の従兄弟でもあられされる。

 第一騎士団と言えば、主に王宮の警護を担当し、国王陛下に最も近い騎士団と言われていた。

 制服は純白。紋章は気高き白獅子。

 団員は主に貴族の子弟で構成されているらしい。


 ノワゼット公爵が、制服でなく、いつも仕立ての良い私服の上下を身に着けているので、団長とはそういうものなのかと思っていたが、ドーン公爵は白い制服にきっちり身を包み、腰に帯剣もしている。

 その制服には、ぴかぴか光る肩章がずらりと並ぶ。


 そう言えば、マルラン男爵邸で、わたしの不審さを見抜き、つき纏ってきた第三騎士団の騎士がいた。

 あの人の浅葱の制服にも、同じように肩章がずらっと並んでいたように思う。


 ノワゼット公爵の従兄弟でもあらせられるだけあって、ドーン公爵もまた、非常に美しい方だった。

 まだ観たことはないが、歌劇に出てくる主人公って、こんな感じなんじゃないだろうか。

 この屋敷にスポットライトは備え付けられていない筈だが、浴びている感がすごい。


 ウェイン卿とは違う意味で、眩しい。



「……やあ、グラハム。今日もまた、じゃっらじゃっらと肩章を並べて、よく、肩が凝らないね」


 ノワゼット公爵とドーン公爵は、互いに従兄弟に会えたことが、とても嬉しそうだった。

 きらきら輝く満面の笑みを向け合う。

 

「いやいや、なあに、君よりもちょっと多いくらいだろう? 二つ……? いやもっと多かったっけ? 君くらいの数だったら、肩も凝らないだろうね? いや、羨ましい」


「……ふっ、まあ、勲章の数と実際の活躍は比例しないからね。僕も君みたいな猪突猛進タイプだったら良かったんけど、いかんせん、目立ちにくい頭脳派の戦略家だからなぁ。いや、脳も筋肉でできてる君らが羨ましいよ。 悩みも少なくてすむだろう? 物事を深く考えないだろうから」


「ふふふ……」


「ははは……」


 二人の公爵はひとしきり楽しそうに笑い合った。


 ノワゼット公爵が、輝かしい微笑を崩さぬまま、口を開く。


「……それで? なんで君らが、僕の婚約者の屋敷にいるんだい?」


「先日、君がロンサール伯爵に謝罪に行くよう勧めてくれたお陰で、今日は我が第一騎士団が、この屋敷の護衛をすることになったんだよ。麗しいレディ・ブランシュに、一筋の傷もつける訳にはいかないだろう?

 ああ! そういえば、君はレディ・ブランシュと婚約を解消したそうじゃないか!!

 気の毒にねぇ。いっつでも相談に乗ってやるから、遠慮なく泣きついてくれたまえ」


 ノワゼット公爵は、燦然と輝く、晴れやかな笑みを自身の従兄弟殿に向けた。

 頬とこめかみが引き攣って見えるのは、きっと気のせいであろう。


「いやいや、グラハム、優しい言葉をありがとう。しかしお陰様で、ついさっき、僕とブランシュは仲直りしたんだよ……その、    おともだちからではあるが。

 ……だから、気遣いは結構。君こそ、あまりしつこいのは嫌われるぞ。

 ブランシュには、一度、はっきり断られていただろう? 気の毒にねぇ、泣きたいときはいつでも胸を貸してやるから、遠慮なく言ってくれ」


「フフフ……」


「ハハハ……」



(……な、何だろう……?)


 親しそうにファーストネームで呼び合いながら、二人とも満面の笑みを浮かべ笑い合っているのに、ここの気温は急激に下がり、今や氷点下であった。


 二人の公爵は、同時に突然、ふつっと真顔に戻ったかと思うと、見つめ合っていた視線をふいっと外した。


 それはもう、息ぴったりであった。


 ドーン公爵の外された視線の先に、たまたま立っていたわたしと目が合う。


 途端に、もともと眩い顔は、さらにぱっと輝きを増した。

 わたしに向けた視線を外さぬまま、ランブラーに向かって話し掛ける。


「いや、それにしても、驚いたよ、まさか、レディ・リリアーナがこんなに可憐で美しい方だったとは。隠し通すとは、ロンサール伯爵も人が悪い」


 ドーン公爵もまた、ノワゼット公爵と同じく、とても紳士的な方らしい。

 きっと公爵家では、あらゆる女性を不快な気持ちにさせてはいけない旨、幼い頃から厳しく躾けられるのだろう。


「リリアーナは人見知りで控えめな性格なので、彼女の好きにさせていたんですよ。あんな噂、どうせすぐに消えるのはわかっていましたから」


 ランブラーがわたしの肩に優しく手を置いて言った。続けて、口を開く。


「それから、先日、リリアーナがそちらの騎士の皆さんに僕との仲を誤解させるようなことを言いましたが、あれは僕を庇って、あの場を凌ぐ為に咄嗟についてくれた嘘ですから。リリアーナの名誉のために、よろしくお願いします」


「もちろん、わかっていますとも。レディ・リリアーナの白百合のごとく清楚でいて、たおやかなお姿を拝見した後で、そのような誤解をするはずもありません。貴女は、お美しいだけでなく、家族思いのお優しい方ですね、レディ・リリアーナ」


 ドーン公爵の社交辞令の上手さは卓越していた。


 見習いたいものである、と思ったその時、


「あの……あの……旦那様……」


 背後から、か細い声が聞こえてきた。



 振り返るとそこには、ブランシュの美しい五人の侍女が、揃って真っ青な顔で立ち竦んでいた。




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