第69話 抜け殻

「ってことが、ありました」


「え、ええー……」


 ブランシュと二人きりで話す時間をもらって、謝罪の言葉を誠心誠意、述べ続けた結果、元通りとまではいかないが、またお友達から始めましょう、という地点まで、持ち直すことができた。


 ブランシュの怒りは相当深かったが、提示された数々の条件を呑むことで、何とか許してもらえた。


 あれ? これ一生、主導権握られて尻に敷かれるかなー? という些末な考えが一瞬、頭を掠めたが、気にしない。

 

(ブランシュのいない人生なんて、もう、無理なんだから)


 以前、婚約を了承してもらった時、誓った。この先、何があろうとも、ブランシュを愛し続けると。


 お友だちから、とは言え、もう二度と会ってもらえないかも知れない状況だったことを考えれば、充分な成果である。


(リリアーナに感謝しなければ……)


 これからは『お兄さま』って呼んでもらえるよう頼んでみようっと、と浮き立つような足取りで大広間に足を踏み入れかけたところで、揃って沈痛な面持ちのラッド、キャリエール、オデイエに取り囲まれた。


「それで、レクターはどうしてる?」


「あそこで、遠くからぼんやりとレディ・リリアーナがウィリアム・ロブ卿と親しそうにされているところを眺めながら、燃え尽きた魂の抜け殻と化しています」


 少し離れた場所に、大広間の円柱にもたれ、どんよりと暗いオーラに包まれた、生きる屍のごときレクターの姿が目に入った。


「うわー……」


「その様子だと、公爵の方はレディ・ブランシュに許していただけて、うまくいったようですね」


「う、うん。とりあえず、婚約の話は置いといて、またお友達から、ってことにはなった」


 思わず頬が緩むと、オデイエから冷たい視線を向けられる。


「そうですかー、良かったですねー、ご自分だけ。ウェイン卿は公爵の命令に従ったばっかりに、満身創痍だっていうのに」


「……それについては、すごく、悪いことしたと思っている」


 さっきのリリアーナの様子を思い出す。

 扉を開けた途端、目に入ったのは、ソファに腰掛け、嬉しそうに頬を染め、瞳をうっとりと潤ませて、ウィリアム・ロブを見つめる姿だった。


 げっ! と思ったのも束の間、リリアーナはこちらに視線を向けた。途端に、愕然と目を見開いて血の気を失い、気絶するんじゃないかってほど真っ青になった。


 その瞳に映っていたのは、紛れもない怯え。


 例えると、島流しの刑を言い渡された人がこんな顔するよね、みたいな。


 自身ですら、死にたくなるほどの罪悪感を覚えた。


 ……あの場面を目にした後、あの怯えた眼差しを向けられたレクターの受けたショックとダメージは、計り知れない。




 ――初めて見た時、女みたいな顔だな、と思った。


『へえ、そんな強いの?』


『はい。四年前に国境警備軍に加わった兵です。向かうところ敵なしの強さだとか。剣を振るうと、遠目にもわかるくらい真っ赤な陽炎が立つと聞きました』


 ハイドランジアとの国境に続く、荒れた道を進み揺れる馬車の中、はす向かいに座るロイ・カントが答えた。


『ふうん、実戦経験四年かぁ。そこそこベテランだなあ。なんで騎士じゃないんだろ? ウェイン子爵……地方の小貴族だから会ったこともないけど、貴族の息子なら、従騎士からスタートさせるのが普通なのに』


『さあ。ただ、ちょっと変わり者らしいです』


『ふうん。潜ってる奴の話だと、もうしばらくは小競り合いで済みそうだけど、そのうち、いよいよ本格的に開戦しそうだ。向こうも、一歩も引かない構えらしい。

 今のうちに、もっと増強しときたい。赤い陽炎のレクター・ウェインかあ、会うのが楽しみだね』


 ロイ・カントは、苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


『だけど、うち、卑怯な手を使う騎士団とかって、評判悪いですからね。白獅子か青竜に入りたいって断られるかも』


『失礼だなぁ。卑怯じゃなくて戦略って言ってほしい。剣でぶつかり合うだけが戦いじゃないだろ? 目的は勝つことなんだから』


『はいはい、そうです。仰る通りです』


 口を尖らせて抗議すると、ロイ・カントは、呆れたように目を細めて嘆息を落とした。



第二騎士団うちに入らないか?』


 最上級の笑みを作って、直々に勧誘の言葉を掛けると、国境警備軍第三兵団所属のレクター・ウェインは、赤い虹彩の瞳を眇めた。


(これが、あの紅の瞳を持つっていう民族か)


 北方ではちらほら見かけると聞くが、王都ではまず見かけない。これほど間近に見たのは、自身も初めてだった。


 光を浴びた新雪を思わせる白銀の髪に白皙の顔。国境警備軍一の強者だって言うから、どんな厳つい奴かと思ったら、女みたいに整った顔立ちに、少年みたいな体つき。


 炎を灯したような瞳は、近寄るだけで肌の表面が切り裂けそうなほど、研ぎ澄まされていた。


 僕は何しろ、当時から若くして切れ者と名高い公爵であった。大抵、初対面から相手にビビられる。


 そんなわけで、砕けた感じで誘ってみた。


『待遇いいよ。給料上がるよ。君、四男坊だって? 君ほどの実力なら、貴族への叙爵も夢じゃないよ。モテるよ。綺麗な奥さんもらえるよ。良いことずくめ。どう?』


『お断りします』


 間髪入れずに発せられたその声は、見た目通り、いや、それ以上に、若く聞こえた。


『……君、今いくつ?』


『……十六ですが』


『『えっ! 若っっ!!』』


 ロイ・カントと僕は、同時に叫んだ。


 まず、抱いた疑問は、


(つーか、四年前に国境軍に入ったっつってなかった……?)


 だった。


 ――どうなってんだ? 田舎の小貴族の家庭環境は?


 その後、実力をこの目で見る機会に恵まれた結果、どうしても手元に欲しくなった。

 国境警備軍の上官達に手を回したり手を回したり手を回したり手を回したり罠に嵌めたりという涙ぐましい努力の結果、万事めでたく、第二騎士団うちの所属となった。


(……そっから、そこそこ長い付き合いなのに、喜怒哀楽ってもんを全く見せない奴だったんだよなぁ)


 無表情。笑わない。無駄口きかない。誰にも何にも興味なし。


 ――もともと、こういう奴なんだろうな。人間と置き物の区別がつかない、的な。いるいる、そういう奴、たまにいるもんね。



 そう、思っていたのだ。



 ――つい、先日まで。



「はあ……ウェイン卿、レディ・リリアーナともっと一緒にいたかっただろうな。このままだと、傷心のあまり、もう騎士辞めちゃうんじゃないですかね?」


 レクターよりもしばらく後、戦争の直前に第二騎士団に入ってきて、そっからはレクターとずっと同じ班だったキャリエールの目は、凍えるように冷たかった。


「あれはもう、一生立ち直れないでしょうね。このままストーカーになって、逮捕されないといいですが」


 ロイ・カントの親友で、ロイと一緒に何かとレクターを気に掛けていたラッドが、恐ろしいことを言う。


 リリアーナに視線を向けたキャリエールが、動転した声をあげた。


「あ……! どっ、どうします!? レディ・リリアーナが、ロブ卿にハンカチ手渡してる!」


『刺繍入りのハンカチを贈る』といえば、この国において伝統的に受け継がれてきた、女性から男性への好意を示す常套手段である。女性からそれを手渡された男は、すべからくこう思い込むと言って良い。『オレ、モテている……!』と。


「紳士物と思しき白……まずい、あれ絶対、刺繍入ってるやつだわ」


 歳はレクターよりも上だが、入団時期はほぼ一緒。いわゆる同期であり、レクターとは入団以来、同じ班だったオデイエが、愕然と目を見開いて悲壮な声をあげる。


「ウィリアム・ロブか……強敵だ……。しかも、あの様子では、まさかもう……」


 ――相思相愛なんじゃ……と想像してしまった台詞を、おそらく全員が胸の内で必死に叩き潰した。



 遠目にも、ハンカチを手渡したリリアーナが、ウィリアム・ロブに何か言われた途端、恥じらうように頬を染め、俯いたのが見て取れた。


 よろり……、とよろめき、柱に手を突いたレクターの周りの暗い淀みが一層、濃くなる。肩を落とした背中には、ただならぬ哀愁が漂っていた。


「……………」


(欲しかったんだな…、ハンカチ……。欲しかったよな。そりゃそうだよ、欲しいに決まってる……)


 唇を噛みしめ涙腺が緩みかけていると、三人がくるりとこちらを向き、冷え冷えとした冷気を帯びさせた視線を身体中に突き刺さしてきた。


「公爵って……確か、歴史に名を残す、軍師……とか言われてましたよね?」


「記憶に間違いがなければ、今世紀最高の策略家……の異名も取ってた」


「うんうん、ご自分でも、それ、恥ずかしげもなく、名乗ってましたよね?」


 三人は揃って、低く凄みのある声で続けた。


「「「なら……こっからでも、何とかできますよね?」」」


 ――いや、流石にこっからの巻き返しは厳しくね?


 などと、言い出せる空気では、無かった。


 鳴かないホトトギスを鳴かせるのが、策略ってもんでしょうが! と部下達の顔に書いてある。



「……わかってる!何とかしてみる……!」



 真剣に、深く頷いた。



 §



「お久しぶりですわ。レディ・リリアーナ」


 声の方を向くと、アメシストの瞳と目が合った。


「グラミス伯爵夫人。お久しぶりでございます」


 相変わらず、艶やかな白金色の髪と紫水晶のような瞳がきらきらと輝き、夫人が立っているだけで、その場がぱっと華やかになるようだ。

 隣にはグラミス伯爵と、あの日、馬車の前にいたポールという青年もいる。


「ロンサール伯爵、本日はお招きありがとう」


 隣に立つランブラーが、伯爵とにこやかに挨拶を交わしている。


「レディ・リリアーナ。あの時は、助けてくださってありがとう」


「まあ! いいえ! 助けていただいたたのはわたくしの方です」


 あの時、グラミス伯爵夫人にお会いしたおかげで、わたしは今ここでこうして、生きている。正真正銘、命の恩人であった。


「こんなに綺麗で可愛らしいお嬢さんだったなんてね。本当に驚いたわ」


 コーネリア夫人は、ほっとため息を漏らすと、微笑みながら、わたしを抱きしめてくれた。


 夫人の白く細い首元には、きらりと上品な輝きを放つ、大粒パールの首飾り。


 わたしの視線に気づき、にっこり笑ってグラミス伯爵が口を開いた。


「妻から話を聞いて、わたしが買い戻しました。まだ売れずに残っていて良かった。

 わたしは妻を早くに亡くし、一人息子も戦争で亡くしました。もうこれから先、自分に本当の幸せは訪れまいと思っていたんだが、これもすべて、令嬢のおかげです」


 言われてびっくりした。わたしがそれほどのことをしたとは思えない。


 でも、グラミス伯爵夫妻は、とても幸せそうに見えた。夫妻の後ろに立つ、夫人によく似たポールという青年も瞳をキラキラさせて、こちらを見ている。


「それは、何よりでございます」


 わたしは笑って、そう言った。


「……その笑い方は、本当に、お母上にそっくりでいらっしゃる」


 グラミス伯爵は、懐かしそうに、優しく目を細めて、笑った。



 また、うちにも必ずいらしてくださいね、と言って夫妻が離れたが、ポールはわたしの前に立ったまま、動かなかった。

 その顔は、耳までほんのりと赤い。


「あの……令嬢、良かったら、」


「レディ・リリアーナ、ちょっといいかな?」


 遮るように、横から声を掛けられた。

 見ると、ノワゼット公爵がにっこり笑って立っていた。


「話の途中で失礼。令嬢とお話しさせていただいても構わないかな?」


「ああ、はい……もちろんです……」


 ノワゼット公爵からそう言われて、引き下がらない人間は、たぶん、この世に数人しか存在しない。


 ポールが何度も振り返りながら離れて行くのを見届けてから、ノワゼット公爵は口を開いた。


 ランブラーとロブ卿は隣で、おそらく仕事仲間と思われる男性と何やら笑顔で話している。


「レディ・リリアーナ、先程は、どうもありがとう」


 公爵の鳶色の美しい瞳は、優しく笑っていた。


 ブランシュと仲直りできた様子に、ほっとする。


 ブランシュは少し離れたところで、友人令嬢たちに囲まれ、生き生きと輝く笑顔を見せていた。


「いいえ、滅相もございません」


 公爵は、少し考えてから、話し出した。


「その……貴女を傷つけるようなことを考えたこと、本当に、悔いている。それから、本当は……まだ、僕の事が怖いだろうに、さっきはブランシュにああ言ってくれて、ありがとう」


「いいえ、そんなことは、」


 ノワゼット公爵は鋭い。

 その鳶色の瞳の奥に潜む冷淡さを一度知ってしまったから、本当は怖い。この命を虫けらのように消せと命じた冷たい声は、今も忘れられなった。


 でも、ブランシュに向ける優しさが本物だということも知っている。

 心根は、優しい人なのだろう。

 騎士団団長や公爵の責務は優しいだけでは果たせないのだと、理解できる。


「いいえ。そうなったのも、わたくしの自業自得のようなものですから」


 公爵は、後悔の念をその瞳に滲ませた。


「約束します。今度こそ嘘偽りなく、何があっても貴女の味方になると。貴女を実の妹だと思って、貴女の為なら、何だってする」


 そう言われて、わたしは恐縮して慌てて平伏した。


「勿体ないお言葉を、ありがとうございます。励みに致します」


「では、……仲直り、していただけますか?」


「まあ……!もちろんでございます。本当にもう、何の問題もございません」


 そう言うと、公爵は途端に沈痛な顔をして口を開いた。


「それが、……そうでもなくて……。実は、僕が非常に気に入っている男がいるんですが、その男は、僕が犯した馬鹿な間違いに巻き込まれて、今、とんでもない窮地に陥っています。

 ずっと、何をやると言っても欲のひとつも見せず、何も要らないと言っていたのに、生まれて初めて、心から願ったものが出来た途端、もう諦めるしかない、という」


「……まあ……」


 何の話だか、わけが分からなかったが、礼儀として、とりあえず相槌を打った。


 公爵がにっこりと鳶色の瞳を細めて笑う。


「そこで、令嬢にお願いがあります。聞いていただけますか?」


 その話とわたしに何の関係があるのか、さっぱり分からなかったが、わたしは答えた。


「はい。もちろんでございます」



 §



 そして、その一時間ほど後、わたしは一人、人気のない庭の奥のベンチに座っている。


 公爵からのお願いは、とても奇妙なものだった。


「もう少しして、一通り挨拶が済んで、パーティーに少し疲れたら、お一人でそっとここから抜け出して、庭の奥のできるだけ人目につかないベンチに座り、休んでいただけませんか?

 できれば、悲しそうに見えるよう、俯いていていただけると助かります。ほんの、……数分でけっこうですから」


 ぽかんと口を開けたわたしを、公爵が期待に満ちた目を輝かせ、見つめていた。


 理由を説明する気は、なさそうである。


「はい、…かしこまりました。」


 さっぱりわけがわからなかったが、断る理由もなく、わたしは了承した。




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