第40話 優しい人たち

 エプロンを身に着け、ハーフアップにしていた髪をくるりとひとつに纏めて結い上げ、三角巾を結ぶ。


 ……気のせいか、騎士がいる方角から、凝視されているような気がする。


(だいぶ怪しまれているようだが、気にしない、気にしない……)


 心頭滅却する。


「リリー! ぼくできた!」


 ホープは慣れない手つきながら、自分でエプロンを身に着けられたようだ。


「あたし……りぼんが……」

「ぼくもぉ……」


 手こずっているジュリアとジェームスのエプロンを、結ぶのを手伝う。

 わたしが着ているエプロンはニコールからの借りものだが、ホープたち三人が着ているエプロンは、わたしの幼い頃の服をほどいてエプロンに縫い直したものだ。


 準備が整うと、わたしの前にぴしっと整列した三人を前に、ハートの女王にでもなったつもりで、たっぷりと勿体ぶって恭しく口を開く。


「それでは、今から、お片付け競争をはじめます」


「「「はいっ!」」」


「一番、上手にできた人には、この、お片付け名人の印を進呈いたしましょう」


 薔薇の形に折った赤い折り紙を見上げ、子ども達は瞳を煌めかせた。


「「「はいっ!!!」」」


 この後には、『お掃除競争』と『お料理競争』が控えている。

 最終的に、三人それぞれの胸に印が飾られる手はずであるが、ホープとジュリアとジェームスは真剣な表情で片付けに取り掛かった。


 最初にここを訪れた時、部屋の中は雑然としており、いつの物かわからない食器が山積みのキッチンからは腐臭が漂っていた。食事は材料を全て鍋にぶち込んだ『ごった煮』と称されるものを毎日食べていたらしい。ホープやニコール達の顔には疲労が滲み、生気に乏しく見えた。


 あまりに厚かましいお願いであるとは承知の上で、家事が大好きなのでやらせてもらえないかと頼んだところ、目をぱちくりさせたかと思うと、「助かる!」と言ってくれた。

 ニコール達は仕事と子育てに多忙を極め、とても他のことに手が回らなかったらしい。


 子供たちにも手伝ってもらって、食器を洗い、テーブルを拭き、棚や床に積もるチリや埃を取り去る。窓と照明を磨いてしまえば、とりあえず掃除は終了でいいだろう。


 相変わらず、騎士達が微動だにせずにこっちを見ている気配を察するが、もう、気にしない! と自身に言い聞かせ、そちらには目もくれないようにする。


 キッチンと冷蔵庫の扉を開け、今日の分の食材が入った籠を取り出す。


 挽肉、コーンミールにじゃがいもとタマネギ、人参、レタス、アーティチョークに卵、バター、小麦粉。それに、手土産にと持ってきたルバーブ。


 食事の準備に取り掛かる。小麦粉をこね、野菜の皮をむき、型に詰める。子供達も横に並び、一緒に野菜の皮むきやレタスをちぎるのを手伝ってくれる。


 三つの幼い顔は真剣に、小さな眉を寄せて自分の手元を見つめ、時折わたしを見上げる瞳は楽しそうに輝いていた。

 オーブンを温め、鍋に湯を沸かしてスープを煮込みながら、同時進行で調理器具を洗い、テーブルセッティングも済ませる。

 

「あ、ママ! おかえり!」


 ジェームスが嬉しそうな声を上げた。


 玄関ドアから現れた、赤い髪を一纏めに結い上げた女性は、この家で暮らす住人の一人、ペネループだった。

 胸元の大きく開いた、黒地に紫のレースがあしらわれたドレスを着ている。


 三歳のジェームスの母親だが、たぶん、年はわたしよりせいぜい一つか二つ上くらいで、それほど変わらないのではないかと思う。

 一晩働いた後の帰宅である。疲れたような顔をしていたが、目が合った途端、ぱあっと顔を輝かせ、にっこり笑う。

 

「ただいま。お嬢さん! お疲れ様、いつもありがとう」


 手を振って着替えの為に二階に上がって行く途中、ほんの一瞬、ペネループは四人の騎士達を胡乱気に見やったが、騎士達の方は誰も彼女には目をくれず、ぽかんと口を開けたまま固まった様子でこちらを見ているのが目に入った。


 でも、気にしない。


 わたしは一応、伯爵令嬢ということになっている。今やっていることが、どれほど奇抜なことか、どれほどおかしな行動か、わかっていた。


(きっと、やっぱり頭がおかしいんだな、と思われているだろうな……)


 ……だけど、


 ――それが、何だって言うの?


 何度も言うが、騎士達とわたしの仲は、刺客と標的、というこれ以上拗れようがないくらい、拗れまくっている。



 ――それにどうせ、わたしの居場所はあちら側にはない。



 ――これからも、ずっとないのだから。




 ペールブルーのテーブルクロスを敷いた上に、アーティチョークと玉ねぎのキッシュ、サラダ、ジャガイモのポタージュ、焼きたてのコーンブレッドと緩いカスタードクリームをたっぷり添えたルバーブパイを並べた。ミートローフはオーブンの中でじゅうじゅう音を立てていて、もうすぐ焼き上がるだろう。


 ――なかなか、美味しそうにできたと思う。


 エプロンと三角巾を外して、胸にそれぞれ名人バッジを貼り付けた子供たちと一緒に、満足げに見回していると、階段の方からニコールの声がした。


「あー、いい匂い、お腹すいちゃったわ」


 見ると、シャワーを浴びて化粧を落とし、首元まできっちり詰まった簡素な紺色の服に着替えたニコールが階段を降りて来るところだった。同じく落ち着いたグレーの服に着替えたペネループも、その後に続く。



 §



「これがわたしの娘で、ジュリアって言います。さ、騎士様にご挨拶して」


 わたしの右隣に座ったジュリアが騎士達を上目遣いで見上げながら、ぺこりと頭を下げる。まだ五歳で、金色のサラサラの髪がまっすぐ腰まで伸びていて、天使と見紛うほどに可愛い。

 左隣にはホープがいる。八歳の赤金色のサラサラの髪とそばかすの散った顔が利発的で愛らしい。



 ニコールは、よろしかったら、騎士様達もどうですか、とあっさりと食卓に招待した。


 キャリエール卿が、「はあ……、ではお言葉に甘えて……」と呟き、愕然とするわたしをよそに、騎士達はさっくりと席に着き、そろそろ帰ってくれるのでは、という淡い期待は泡と消えた。


 ――念の為、余った時の為に日持ちするものにして、多めに作っておいて良かった。


 ……けれども!


 古びた小さな食卓で、ピカピカの制服に身を包んだ騎士達が、わたしの作った質素な家庭料理を前にしている様は……違和感、半端ない。



「で、こっちがペネループと、その息子のジェームスで、三つになります」


 わたしの膝の上にのったジェームスはテーブルとその向こうに座る騎士達には背を向けて、わたしにぎゅうとしがみついている。

 三歳で、赤い巻き毛がくりくりしていて、手も頬もぷくぷくしていて、もう全てが愛おしかった。わたしもぎゅっと抱きしめ返す。


 ジェームスの母であるペネループは、騎士達を皮肉を込めたような目で見つめながら、ほんの少しだけ、頭を下げた。

 瞳の奥に騎士達への敵意がはっきり見てとれて、こっちがハラハラしてしまう。


 騎士達は慣れっこなのか、全く気にしていない風に頷いている。


「それで、わたしは、ニコールと申します」


 ニコールは、てきぱきとこの場を取り仕切ってくれた。


 ニコールのお陰で、この場のいたたまれなさが緩和され、大いに助けられた。


 化粧を落として服を着替えたニコールは、さっきまでの見た目と全く違う印象になる。

 その瞳の奥には、知的とさえ言える光が宿っている。一体、どんな事情があってここにいるのか、気にはなっているが、聞ける日はおそらく来ないだろう。


「この家は、わたしとペネロープとこのホープの母親の三人で借りて暮らしています。三人ともこの地区にある安酒場『夕霧亭』で働いてる仲間で、一応、娼婦ではございません。子持ちですから、さすがにね。まあ、騎士様から見たら似たようなもんでしょうけど」


 そう言って、明るく笑う。

 騎士達は席には着いたが、何やら衝撃から冷めやらぬ風で、無言で頷くか、「へえ」とか「ああ」という返事以外、口にしていない。


 そして、ウェイン卿がわたしを見ている、ように思えた。

 刺すような視線を感じるが、恐ろしくて、もうそちらを向く勇気はない。

 きっとまた、あの冷然と蔑んだ眼差しで睨まれているに違いない。

 考えるだけで、魂の柔らかいところが削られるような気がした。


「まあ、とりあえず話は後にして、せっかくお嬢さんが用意してくださったんですから、冷めないうちにいただきましょうか?」

 

 ――内心、冷や汗ダラダラであったが、決して、感付かれてはいけない。


(腕力知力胆力権力組織力、全てにおいて劣るわたしが、騎士達を出し抜き、生き延びるには、『暗殺という本来の目的を知っている』ことを隠し通し、隙を突くしかない……)


 ――渾身の力で、顔面の平静を装う。



「令嬢……」


「はっ、はい!」


 キャリエール卿から低い声で呼ばれ、声が上擦る。


(顔に出ておりましたか?! 顔に出ておりましたか!?)


「めちゃくちゃ……美味いです」


「ほんっと……バリうまです」


 オデイエ卿も琥珀色の瞳をキラキラさせて言う。


「……は? あー、……そ、そうですか。そ、それは、よ、良かったです」


 騎士達の様子が、おかしい。


(ない……? いつもの、殺気が)


 雰囲気がほわほわしている。


(ニコールや子供達がいるせい?)


 ニコールがニコニコして、そうでしょうそうでしょう、と嬉しそうに相槌を打つ。



 しかし、わたしは、顔面の平静を保つことに集中するあまり、味など何もわからなかった。



「それで、どうしてこちらのお嬢さんが、こんな場所に出入りしてるのかって話ですけど……」


 お嬢さんは座っててくださいね、と言って、ニコールが慣れた手つきで紅茶を淹れてくれながら話し始めた。


 子供達は食べ終わり、居間に移動して三人で仲良さげに絵本を広げて、遊んでいる。


 話の前に、わたしには告白せねばならないことがあった。

 

「あの、……その前に、わたし……ニコールさんとペネループさんに謝らなければならないことがあります」


 わたしの名は、誰からも忌み嫌われる。

 嫌われることを恐れ、偽っていた。騎士達に見つからなければ、このまま隠し通せるのでは、と思っていた。

 嘘つきだと罵られ、許してもらえないだろう、と思いながら俯いて続ける。


「わたしの名前は、リリーではありません。わたし、本当はリリア――」


 途中まで言いかけたところで、ニコールのあっけらかんとした笑い声が響く。


「いやだ、お嬢さんたら! こんな場所で本名を名乗る人なんか、いやしませんよ。第一、お嬢さんがただの町娘だなんて、最初から信じてません。一目見た時はどっかの深窓の姫君かと思いましたけど、それにしちゃ、家事の腕前がたちすぎるし……さっきちらっと聞こえた話だと、公爵様のなんとかって……。ほんとのところは、公爵邸の侍女様とかですか? まあ、何だっていいんですよ。お嬢さんが隠したいことを、わざわざ言う必要ありませんからね」


 ニコールは、わたしに優しい眼差しを注ぐ。そうそう、とペネループも優しい目をして相槌をうつ。


 この世に、これほど優しい人たちがいるだろうか、と思う。じわり、と目の前が霞むのを慌てて瞬きを繰り返して打ち消す。



「まあ、それで、何でお嬢さんがこんなところにいるのかって話ですけど――」


 ニコールが、騎士達の方を向いて続けた。


「三週間ほど前に、このホープの母親が突然いなくなったんです」



 話の不穏な流れに、騎士達が眉を顰めたのがわかった。






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