第37話 新たな事件(レクター・ウェイン視点)

「申し訳ございません。騎士様。わたくしどもには、お役に立てることはないようでございます」


 目の前の男は慇懃な言葉を述べながら、のっぺりと張り付いたような笑みを浮かべ、頭を下げた。


 これでもう、何人目だろう?


 セシリアの家に行ったあの日以来、二週間が過ぎ、もうすぐ三週間になろうとしていた。


「よろしければ、遊んでいってくださいまし。一番の綺麗どころをおつけいたします。王宮騎士団の副団長様とあらば、朝からだって構いはしません。喜んでお相手するでしょう」


 濁った瞳の奥は少しも笑わぬまま、下卑た作り笑いを浮かべ、不快な言葉を口にする目の前の男は、王都のはずれ、クルチザン地区に所狭しと立ち並ぶ娼館のひとつ、『黒薔薇館』の主人。


 階上から、別れを惜しむような女たちの嬌声が響き、いそいそと足取り軽く階段を下り急ぐ男の姿が後を絶たない。


「何か思い出したら、連絡してくれ」


「承知いたしました。またのお越しをお待ちしております」


 こちらの苛立った様子に、露ほどの動揺も見せず、思ってもいないだろう言葉を口にして、男は深々と頭を下げた。



 ――二週間と少し前、逢引き宿『花のさえずり』のベッドの上で、毒を飲んだと思われる身なりの良い女が、息も絶え絶えでいるところが発見された。


 身元不明のまま病院に運ばれた女は、現在も意識を取り戻すことのないまま、予断を許さない状況だ。


 同日、マルラン男爵より、妻が行方不明だという届が出された。


 病院に駆け付けた男爵が確認した結果、『花のさえずり』で発見された女は、マルラン男爵夫人であることが判明した。


 しかも、最悪なことに、男爵夫人は王妃殿下の侍女、ベスビアス夫人の実の妹だったのである。


 しかし、最悪と思われたそれ以上に、もっと悪いことがあった。現場から逃げた男が目撃されていたのだ。


 同日中に第一騎士団によって拘束され、王宮の牢に繋がれたその男が、よりにもよって、あの――



 ――ランブラー・ロンサールだったのである。



 ランブラー・ロンサール伯爵の姿は、王宮で何度か見かけたことがあった。



 レディ・ブランシュとどことなく似た整った顔立ちに穏やかな笑みを浮かべ、伏魔殿のような王宮を如才なく渡り歩いていた。侍女たちの黄色い歓声を浴びて、にこやかに手を振っているところを見かけたこともある。

 今まで、特に目立った問題を起こしたこともなければ、敵がいるという噂を聞いたこともない。


 おかしなところがあるとすれば、伯爵邸に全く寄り付かないことくらいだろう。

 伯爵邸のことは放置しているようだが、領地管理や王宮政務官の仕事は完璧にこなす、有能な人物だと聞いていた。


 今回の件で、ノワゼット公爵は大変な怒りようだ。

 もし、本当にあいつが犯人で絞首刑にでもなれば、レディ・ブランシュにまで災厄が及ぶ。いや、ブランシュのことは公爵が何としても守るだろう。しかし――



 ――何が何でも、ロンサール伯爵に犯人であってもらっては困る。



 第一と第三騎士団の連中は既にランブラー・ロンサールが犯人だと決めつけ、証拠固めにかかっている。


 何か他の手掛かりは掴めないかと、第二騎士団では事件現場であるこの退廃的な区域で聞き込みを続けている。



 ――何の情報も得られぬまま、無為に時間だけが過ぎ去っていた。




 思わず、深い溜め息をつく。


 事件の起きた日というのが、あの日、リリアーナを木立の中で見かけた日のことだった。


(……こんなことになるなら、あの時、声をかけておくべきだった……)


 ――あれ以来、全く会えず、姿すら見えないのだ。



 こちらの事件にかかりきりとは言え、公爵はロンサール伯爵邸に我が物顔で居座っている。

 よって、最低でも二日に一度程度は、報告の為にロンサール伯爵邸に赴く。

 


 ――ついでに、……あくまでも、ついでに、……気になっているだろうから、セシリアのその後の様子でも報告しておこう、と取次ぎを頼むが……


 ――決まって、リリアーナは不在なのだ。



 取次ぎのメイドは、毎度毎度びくびくしながら、「リリアーナ様はおられませんでした……」と戻ってくる。

 じゃあ、何処に行ったと訊いても、知らないと言う。いつ戻るかも分からないと答える。


 一度、アリスタというメイドを見かけたので、訊いてみた。「つい先ほどまでいらっしゃいましたが、今はお見えになりません」と言われた。


 朝も昼も夕方もこの調子で、それなら、夜はどうだと行ってみると、


 ――もう、お休みになっておいででした。


 これは、もしかしなくとも避けられているのでは……? と思い至ったが、どうしてか気が滅入り過ぎて食い物が喉を通らなくなったので、深く考えるのをやめた。


 ――大丈夫だ……。


 伯爵邸の木立で立ち聞きした様子では、それほど嫌われている風ではなかった――と自分に言い聞かせる。


(……これまでの態度を思えば、そこそこ嫌われてるかもしれない。……かもしれないが、……セシリアの家から帰った時だって、別れ際に微笑んで礼を言われた……)



 ――次に会った時こそ丁重に接すれば、まだ何とかなる……に違いない。


(……しかし、それにしたって、不在が多すぎるんじゃないか……? )


 伯爵邸でレディ・ブランシュの護衛に回っている騎士に、リリアーナの方も一人で出歩かせないように言い含めておいたが、あの令嬢は、向こう見ずなところがあるので、少しも安心できない。


 ………こうなったら、意地である。


 こっちの事件を終わらせたら、一日中でも伯爵邸に張り付いて、会えるまで待ってやる。


 一刻も早く終わらせたくて気は逸るが、娼館の主も娼婦たちも、誰も彼もが、まるで示し合わせたように、貝のごとくぴったりと口を閉じ、完全に行き詰っていた。



 地区一帯に漂う、むせかえるような白粉おしろいと香水のにおい、欲にまみれ荒廃した空気。


 息をする度に、肺が淀みゆくような気がして、あの日の伯爵邸の庭が懐かしくなる。



 ――光が溢れて、彼女が歩いて、笑っていた。



 あの場所で、呼吸がしたかった。




 不快なおもりを胸に抱えながら、

『黒薔薇館』のドアを開け、外に出た。


 石畳の敷かれた大通りの両側には、見るからにいかがわしい建物が隙間なく立ち並ぶ。

 店先のガス灯が消され、夜の煌びやかさと活気を失ってなお、多くの人が行き交っていた。


 ――この世の汚物を集めた、掃き溜めのような場所だな……。


 その汚れと醜さに蓋をして覆い隠すように、行き交う女たちは誰も彼も厚化粧をし、男たちは下品な薄ら笑いを張り付ける。


 ――まあ、それは王宮だって、同じようなものか。


 そう気付いて、苦笑が浮かぶ。


 次は、どこで誰に尋ねようか――、考えながら、顔を上げる。



 その瞬間、信じられないものを目にして、時間が止まった。



 ――こんな場所には、決しているはずのない、しかし、見間違えようもない女性が、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべるゴロツキ風の男に、その細い腕を掴まれようとしていた。



 §



 ごりっ、という音とともに、男の横っ面が石畳に叩きつけられる。


 その胸倉は右手でしっかり掴んでいる。

 男は大柄な体型で、首と両腕にこれでもかと刺青いれずみが入っている。見るからに破落戸、と言った風情の男だった。


 右手の下に、めりめりと骨の軋む振動を感じる。


 ――どうするかな……? このまま、鎖骨の一本くらいは折ってしまうか……?


 そう思った瞬間、



「……ウェイン卿?」


 驚いたように呟く、小さな声が聞こえた。


 振り向いたそこには、黒いフードを目深に被ったリリアーナ・ロンサール伯爵令嬢が立っていた。


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