第51話

  翌朝、まだ日が昇りきらない内にアイルたちは準備を始めていた。といっても、朝食も着替えもないから、起床してからしたことと言えば作戦会議くらいだ。これも十分とかからず終わった。なんと言っても、敵情がほとんどわからないから作戦という作戦もない。

 だが、この間に心の準備を済ませることができた。

 

 「よし、それじゃあ王都へ。みんなを助けに行こう」


 「おー」


 ライラが随分とお気楽な返事を寄こす。確かに、あまり気負いすぎるのもいけない。

 彼らは真っ直ぐ王都に向かうような愚は犯さなかった。

 広大な王都には、東西南北に一つずつ入り口が存在している。だが、いくら現在が比較的平和な時分だからと言って、四つの門を無用心に開け放っているわけではない。各所では簡易的ではあるが関所が設置されているのだ。持ち物検査から、いくつかの簡単な質問。やましいことが無い人にとっては、何ら問題のないものである。

 しかし、敵の狙いがアイルたちであれば話は変わる。そこで捕縛されるのが関の山だ。

 さて、どうしたものか。しかし、アイルは昨夜の内に一つ名案を生み出していた。


 「にしても、ガキが二人で王都に潜入なんて、一体どういう了見なんだ?」


 ぶっきらぼうな男の声が、前方から聞こえてくる。これはもちろんアイルたちへの質問だ。しかし、彼はすぐに答えられずにいた。

 道は一切舗装されておらず、車輪が凹凸に乗り上げるたびに不規則に揺れる。それに合わせて、狭い密閉空間でアイルの身体はあちこちにぶつかるため、すっかり閉口の気味だ。

 アイルたちは今、馬車の荷台の隅に置かれた収納箱の中にいた。元々は大量の衣類が詰まっていたが、それを外に出し、代わりに納められたのが彼らというわけだ。

 仰向けに収納された彼の真上には、ライラが重なっている。数枚の布地を隔てて、微かに伝わる体温。銀色の髪は重力に負け、アイルの顔へと垂れ下がっていた。

 彼女に下心など抱いていない。必死に自分に言い聞かせても、彼女の髪からの魅惑的なほの甘い匂いが、絶えず鼻腔を刺激する。一体何をしたらこんな匂いを纏えるのか。アイルはどうにかその色香から逃れようと、顔を横に向け、呼吸の回数を減らす作戦に出た。


 「おーい、聞いてんのか?」


 痺れを切らしたらしく、男が再度聞いてくる。


 「潜入の理由は、別に、なんとなくです」


 「なんとなくで罪を犯す奴があるか。なあ、頼むから、王都で面倒ごとはやめてくれよ? 仮に何かやらかしちまっても、行商人に助けてもらった、なんて絶対に言うんじゃねえぞ?」


 「別に何もしたりはしませんよ。そっちこそ、俺たちのことは秘密にしておいてくださいね」


 「当たり前だろうが。そんなことしたら、俺まで捕まることになっちまう。こんなガキたちのために、俺の薔薇色になる予定の人生をぶち壊されてたまるもんか」


 うんざりしたように男は言い放つ。

 金貨をチラつかせた時は、久方ぶりにエサを発見した小動物のように、目をまん丸と見開せていたのに。無論、その時も愛嬌のかけらもなかったが。

 この偏屈そうな男はなんでも行商人で、月に一回、集めた品を王都の一画へ捌きに行っているらしい。飛ぶように品物が売れると、彼は豪語していた。しかし、彼のほつれたよれよれの服と、自慢の商品と謳っていた衣類のだいぶ古びているのを見ると、真相は定かではない。金貨三枚で、快く犯罪の片棒を担いでくれたのもそういうことなのだろう。

 茂みの中から小一時間、王都へ向かう馬車を品定めした甲斐があった。因みにこの金貨は、アイルが念のため持ち歩いていたものだ。


 「アイル、大丈夫? 重くない?」


 真上にいるライラが尋ねてくる。


 「そんなわけないだろ。すごく軽いよ」


 「本当に? なんだかアイル、息が荒いから、苦しいんじゃないかなって」


 アイルはどきりとした。呼吸法を変えたことが裏目に出てしまった。

 息が荒い。なんだか良くない響きだ。直ちに訂正せねば。


 「い、いや、勘違いするなよ? ただ密閉空間だと、なんだか息がし辛いような感じがして、つい……」


 「苦しいの? 待ってて」


 ライラが懸命に身体をよじらせる。


 「だめだ、ライラ! いい! 動かないで! あ、鼻に髪が……」


 アイルは一つ盛大にくしゃみをした。その際、箱全体が大きく揺れる。


 「おい!」


 男が怒鳴るように言う。


 「違う! 俺は無実だ! 何もしてないぞ!」


 「何の話だ? それより、王都が見えてきた。わかってるな? 俺が合図を送るまで、物音一つ立てるんじゃねえぞ?」


 緩んでいた心が一気に張り詰められるような思いだった。もうすぐ最初の難関だ。


 「…… わかった」


 それからしばらく積荷の揺れる音が続いたが、ふいにそれが止んだ。


 「名を名乗れ」


 王都の兵士と思しき者の声。

 男は緊張した様子で自分の名前を口にした。


 「王都に来た目的は?」


 「へえ。積荷の商品の販売でございやす」


 「許可証を」


 やや間が開く。


 「うん、我が国の許可証に間違い無いな。商品を確認させてもらう」


 足音が、カチャカチャと金属がぶつかり合うような音ともに近づく。男の話では、そこまで細部までは確認してこないとのこと。箱の中まで覗かれることはないらしい。

 彼が嘘をつくと思えないが、それでも手に汗握るほどに緊張する。


 「これは…… !」


 兵士が突然驚きをあらわにする。明らかに何か気づいた様子だ。


 「えっと、どうなさいやした?」


 「いや、ヘンテコな商品ばっかりだなと思って。こんなものが今流行ってるのか?」


 アイルは安堵の息をついた。同時に少し苛立つ。まったく、そんな事をいちいち気にかけるな。


 「へへ、どうですかね」


 さしも高慢な男も恐縮したように笑うばかりだ。この時だけは彼に同情した。


 「まあ、別にいい。禁止される物でなければ、何を売るのも自由だからな。それがサンクトゥス王国だ」


 「そうでござんすね。じゃあ、俺はこれで……」


 「いや、待て」


 「え?」


 進み出した馬車は急停止した。勢い余って、アイルたちは進行方向の壁に押し付けられる。

 質問は終わったはずだが。一体どうしたというのだ。


 「おい、魔法の準備を」


 兵士が呼ぶと、新たにもう一つの足音が近づいてくる。


 「えっと、何を…… ?」


 「少し前から検問の手順に新たな項目が追加されてな。こういう荷台の中が散らかってるものは、探知魔法でチェックしなくてはいけなくて。なに、案ずる必要はない。何もなければ、数秒で終わる」


 「えっ……」


 「探知魔法だって…… !?」


 アイルは箱の中で小さく叫んだ。

 探知魔法。空間魔法の一種として位置付けられている魔法のことで、主に敵の人数把握などに用いられる。一口に探知魔法と言っても、体温を検知するものや、鼓動の動きを感知するものなど、多種多様に存在している。

 新しい検問の項目と言っていた。これも昨日の出来事と関連しているのだろうか。

 どうすればいい。だが、考える暇もなく事態は進んでいった。


 「ん…… おい! お前!」


 兵士が声色が一変する。


 「どうした? 何かいたのか?」


 「いや…… お前その箱の中……」


 終わった。

 どうする。箱から飛び出して、兵士が呆気に取られている内に逃げるか。幸い、ここは入り口のすぐ手前。身体強化を使えば、ライラを担いでも十分に逃げ切れる。

 いや、だめだ。仮にここから離れることができても、おそらく王都では厳戒態勢が取られる。多分、もう二度と侵入はできなくなるだろう。だからといって、本当に王国と戦争をするのか。

 一挙に様々な思考が渦巻くが、答えはでない。

 アイルの指示を待っているのだろう。ライラは物音を立てないよう、身体を硬直させていた。だが、呼吸が速くなっていくのがよくわかる。

 やはり、一旦退散した方が良いか。


 「ライラ、俺の合図で箱を飛び出すーー」


 「それ、魔物が入っているのか?」


 兵士の問いは、おそらく皆にとって晴天の霹靂だった。


 「へ、魔物…… ?」


 男も状況を理解できてないようだ。

 この積荷に箱は一つだけしかない。その中にいるのは二人の人間だ。

 魔物とは、どういう意味なのか。

 いや、これは好機だ。アイルは喉仏をできるだけ下げ、閉ざした声帯に強めに息を吹き込む。


 「ゔ、ヴヴ……」


 低い唸り声が出る。


 「本当だ、魔物みたいだな。威嚇してるぞ?」


 「そ、そうなんですよ! 俺が飼ってる草食の魔物でして…… ハッピーって言うんですけどね。最近ちょっと調子が悪いんで、箱の中で休ませてるところなんですよ! あんまり他の人に慣れてなくて、緊張しちゃったのかな……」


 男が調子を合わせる。

 「ほら、ハッピーちゃん安心して。ご主人さまはここにいまちゅよ〜」と鳥肌が立ちそうになるほど不気味な甘い声が投げかけられる。忠実なペット役は、それに素直に従った。


 「ほう……」


 「どうする? 魔物を持ち込む場合は予め申請書を送る決まりだったろう」


 兵士がもう一方に意見を求める。なんとなく気怠そうな雰囲気だった。


 「まあいいだろう。どうせ一時的な逗留だしな。たったの一頭だし、その程度の微弱なマナなら、大した脅威にもなるまい。今回は大目に見てやろう」


 「まあ、そうだな。今回だけは特例だ。ほら、行っていいぞ」


 男の処遇はすぐに決まった。


 「あ、ありがとうございやす! 失礼いたしやす!」


 鞭を打つ音が響き、再び馬車がいささか飛ばし気味に発進した。

 揺れる薄暗い箱の中で、アイルは気が気でなかった。頭で依然鼓動がやかましく鳴っている。

 兵士らの話から勘案するに、使用されたのはマナを探知する魔法らしい。大きな疑問はふたつ。

 なぜ、アイルはたちを魔物と勘違いしたのか。それに、一頭とはどういうことだろう。間違えるにしても、二人なのだから二頭の反応となるはずだ。前者は夢幻魔法との関連が濃厚だが、後者はそれでは説明がつかない。

 残ったのは、捕まらなったという事実だけ。しばらくすると、馬車が止まり、箱が四回叩かれた。男の合図だ。

 

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