第50話
どのくらい走っただろう。
同じような木々が乱立し、目印となるものがないので、自分がどこへ向かっているのか見当もつかない。どっちみち、ギルドにも、前に住んでいた村に戻るのも憚られるから、当てもなく彷徨い歩くことには変わりないのだが。
その間、アイルもライラも口を聞くことはなかった。もしかしたら、一言、二言交えていたかもしれないが、特に意味のない話だったに違いない。そんな記憶を押し留めることができないほど、彼の頭の中は種々の情念やら思考により逼迫していたのだ。
僥倖と言うべきか、岩壁に穿たれた一つの洞穴を発見した。もう日が暮れ始め、これ以上行動するのは危険だと感じていたところ。一晩凌ぐにはちょうどいい。
誰もつけてきてないと確認してから洞穴に入り、ようやくアイルは腰を下ろした。中は高さも奥行きもあまりなく、見た限り魔物の根城になっているということはなさそうだ。
それからは本当に、しばらくお互いに無口だった。何もせず、ただ向き合って座っていた。途中で、あまりにも中が暗かったから、薪を集めて火を起こしただけ。
最初に口火を切ったのはライラだった。
「今日はここでお泊まり?」
「ああ」
「そういえば、朝から何も食べてないね」
「そうだったな。後で木の実か何か拾ってくるよ」
「…… みんな、あの後どうなったのかな? 捕まっちゃったかな…… ?」
「たぶん…… そうだろうな」
「これからどうする?」
「わからない」
短い会話が終わり、再び辺りは森閑とする。
「ねえ、助けに行くよね?」
出し抜けにそんな事を聞かれ、アイルは少し応答に遅れた。
「助けにって…… 相手は騎士だぞ? 王国を敵に回すことになる。いくらなんでも、二人で敵うわけがない。それに、案外本当に遺跡の事を聞きたかっただけかもしれないじゃないか」
そんな穏便な話ではないと、アイルもわかっている。
しかし、いくら夢幻魔法の適性者でも、現状アイルたちは国を相手取るに足り得る力を有していない。結局は多勢に無勢だ。そもそも、仮に勝機がこちらにあるとして、その前に人を殺すという非人道の極地を容認しなければならない。人の心を持った彼がそんな事をできるわけがなかった。
「もし違ったら? やっぱり、王都に戻って、みんながどうなったか確認しないと」
「いや…… だめだ。騎士の狙いが俺たちだったらどうする。待ち伏せしているかもしれない。捕まりでもしたら、殺されるんだぞ?」
「でも…… もしそうなら、ソフィアさんたちが捕まっちゃったのは、私たちのせいってことだよね」
アイルは押し黙る。言い返す術が見出せないだけでなく、何か重くてどんよりとしたものが胸にわだかまり、喋る余裕がなかった。
「ねえ、アイルはソフィアさんのこと、怒ってる?」
またまた意表を突かれる。しかも、かなりの難問だ。実は、ソフィアに対してどういう気持ちなのか、自分でもわかっていない。
「私は怒ってないよ。ちょっとだけ、悲しかったけど。ちゃんと話してくれたら良かったのにって。でも、私たちだってソフィアさんと同じことしてたから」
「同じこと?」
アイルは口をポカンと開ける。
ソフィアと同じこと。つまり、自分の利益のために他者を騙して利用することだ。いつ何時そんな事をしたのだろうか。
「夢幻魔法のことを言わないで、ギルドに入ったこと。私たちも、ソフィアさんたちを利用してた」
「そ、それは……」
「だから、最初に騙してたのは私たちの方。しかも、危険な魔法の事を隠してた、私たちの方がダメだと思う。みんな失望しちゃったかもしれない」
もはや頭の片隅にも入れていなかった罪状を掘り出され、アイルはまた口ごもる。
いや、夢幻魔法という存在は常にありありと見えていた。だが、彼はそれを不都合な壁としか思っていなかった。氷晶の薔薇に溶け込もうとする自分を塞き止める忌々しい壁。しかし、それは自分本意の解釈であり、ほんの表面を見ているに過ぎなかった。
ソフィアたちの眼前にそれが現れた時、彼女たちにそれがどう映ったのだろうか。
ソフィアがアイルたちを騙していたことを聞いた時、彼は形容し難い負の感情を抱いた。それは多分、失望に近いものだったのかもしれない。だが、夢幻魔法の事を知ったソフィアたちはそれ以上の衝撃を受けたことだろう。
「でもね、それがわかった後も、みんなは私たちを逃してくれた。今までみんなを騙してたのに。私たちは生きてるだけでも、いけない存在なのに。自分たちも危険な目に遭うってわかってるのに」
ライラはいつにも増して雄弁だった。反して、アイルはまだ寡黙な聴講者に徹している。
「それでね、私思ったんだ。みんな、私たちのことを大事に思ってくれてたから、最後まで助けてくれたって。魔法の事を知っても、私たちのこと優先してくれたんだって」
数刻前のソフィアたちの様子が鮮明に浮かんでくる。皆、必死な表情だった。そんな事をしても、彼らには何の得もない。むしろ、損害を被ることは目算するまでもなくわかるはずだ。
あの時の彼らは、そんな陳腐で低劣な動機で助けてくれたのではない。
「アイル」
揺らめく炎を映したライラの瞳が、こちらを真っ直ぐに捉える。
「私、みんなを失いたくない。せっかく仲良くなれたのに。こんな簡単に離れ離れになるなんて嫌。しかも、その理由が私たちのせいだったら、私……」
「ライラ……」
「みんなを助けたい。絶対に。でも、誰の命も奪いたくない。でも、自分じゃ良い方法思いつかないし、どうしていいかわからなくて」
ようやく気づいた。ライラがどれほど、アイルを頼りにしているか。
それなのに、自分ときたら彼女の気持ちを汲み取らず、完全に思考を放棄していた。端から無理だと決めてかかっていた。それどころか、保身の道を模索しようとしていたのだ。
そんな簡単に投げ打って良い問題ではないのに。「赤の他人じゃない」、そう明言したのは自分自身ではないか。
夢幻魔法という壁がある限り、ソフィアたちとは仮初の繋がりに終始すると思っていた。だが、今日彼女たちの前に壁は可視化された。それなのに、向こうから繋がりを切られることはなかった。
それなら、自分はどうするべきか。
「謝ったら…… 今更本当の事を言って、それで許してくれるだろうか」
「そんなの、ちゃんと会って謝ってみないとわからないよ」
「そう、だよな…… 答えは直接本人に聞くしかないか……」
「じゃあ…… !」
アイルは大きく深呼吸をした。
「みんなを助けに行こう。俺もみんなを見捨てるなんて嫌だ。それに、まだタイロンたちに答えを聞かせてもらってないしな」
この時ライラが発した「うん」に込められた思いを、無下にしたくない。だが、今は冷静にならなくては。
「だけど、とにかく今日は休もう。王国もそんなに早くみんなをどうこうしないだろうから。明日、早朝に王都に行って、まずは情報収集だ」
まだ日が落ちてそれほど経っていない。だが、明日は大変な一日になる。今日の疲れもだいぶ溜まっている。まずは英気を養はなくては。
焚き火を消して、二人は横になった。
だが、中々寝付けない。明日への漠然とした不安のせいもあるが、それだけではない。変に胸が熱いのだ。アイルは一人、胸に手をあてがってみた。
そうか。彼の心は今熱く燃えているのだ。皆を助けたいという思いによって。これが自分の本心なのだ。
「ライラ、起きてるか?」
反応はない。月明かりで、辛うじてライラの顔が見えるが、どうやら眠っているようだ。
「ありがとな。ライラがいなかったら、俺は酷い過ちを犯すところだった。全部、夢幻魔法のせいにして。大事な仲間を失うところだった。でも、ライラが俺の目を覚ましてくれた。俺はライラも含めてみんな大好きだ。絶対にみんなを救おう。みんなでまた楽しく過ごせるように」
「うん、頑張ろうね」
独り言のはずが、思わぬ相槌が返ってくる。見ると、いつのまにかライラの目はパッチリと開いていた。
「なっ、お前、起きてたのか!? いつからだ? いつから聞いてた?」
「全部。最初から最後まで」
「お前……」
「人は一人になった時、最も自分の本性を曝け出しやすいんだぜ。ってタイロンが言ってた」
タイロンが自慢げに講釈をたれている様子が窺えた。
「くそ、あいつ…… ライラに変な事を……」
「また、タイロンの変な話も聞きたいな」
「いやそれだけは何としてでも辞めさせる」
ほとんど即答だった。
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