第49話

 「今、騎士って……」


 すっかり青ざめた顔で、ノエルは皆を見渡す。どうやらアイルの聞き間違いではなかったようだ。

 騎士とは、王国直属の武装部隊のこと。国王の護衛から、管轄下の村々への武力援助、戦争の際は主要な戦力になる等、様々な役を担っている。


 「どうして、なんでこんなところに?」


 「いや、何も不思議なことはないさ。遺跡であれだけ派手に暴れたんだ。騎士もその確認に赴くだろう。たぶん、我々に事情を聞きたいだけだと思う」


 皆を落ち着かせようとレナードは冷静に見解を示すが、彼の強張った顔がその論を台無しにしている。


 「やっぱりおかしいよ。一人、二人なんかじゃない。沢山いる」


 扉に耳を当てていたノエルの言句が、さらに不安を煽る。


 「いくらなんでも人数が多すぎる。事情を聞くだけなら、こんな狭いところに何人も押しかけてくるわけがないよ」


 「じゃあ、なんだというんだ。騎士がここにきた理由というのは……」


 ふいに全員の目がアイルとライラに向いた。皆「まさか」という顔をしている。

 彼らの衝撃はすぐにアイルにも伝播した。


 「俺たちを…… ?」


 重い足音が、板張りの床から振動として伝わってくる。廊下を渡り、すぐそこにまで来ているのだ。目の前の扉が開くまで、もう時間はない。

 アイルは頭が真っ白になる。

 急に辺りが冷え出した気がした。いや、勘違いではない。突然、扉を中心に透明な固体が発生し、周囲に広がっていったのだ。


 「ソフィア様!? 何を…… !?」


 「みんな、よく聞いて。アイルとライラをここから安全に逃すの」


 「じゃあ、やっぱり……」


 ドアノブがガチャガチャと音を立てる。その日常的なはずの音は、今まで聞いた音の中で最もアイルの恐怖を駆り立て、心臓が跳ね上がるような心持ちだった。だが、それきりドアは微動だなしない。それに覆い被さる氷は、強固な根を張っているようだ。


 「サンクトゥス王国騎士団だ。今すぐに鍵を開けなさい」


 どうやら、施錠されてると思われたようだ。こちらを刺激しないためか、それとも逃げ場はないと踏んでいるのか、騎士の声は意外に優しい。


 「急いで!」


 ソフィアが室内だけに聞こえる声量で叫ぶ。


 「あそこだ! あの窓からなら!」


 ノエルの指頭は、扉のちょうど反対側にある小窓へ伸びていた。両開きで、屈めば人一人が通れそうな大きさだ。窓があるのは建物の裏側で、外には小さな空き地と、その奥に柵を隔てて鬱蒼とした森が広がっている。

 一番近くにいたレナードが、窓越しに外の様子を窺う。


 「誰もいない。これなら誰にも気づかれず外に出れる。森に入ってしまえば、そこから逃げることも簡単なはずだ」


 「決まりだね! みんな早く! いつまで持つかわからないよ!」


 「さっさと開けないか! 我々は国王様の命を受けてここに来ている! ここで閉じこもるのはいいが、それはサンクトゥス王国に叛逆するも同義! それを心得ているのだろうな!」


 騎士の声はいよいよ怒気のこもった胴間声へと変わった。


 「す、少しお待ち下さい。いやぁ、参ったなぁ。建て付けが悪いのか、鍵が壊れちゃったのか。すぐに開けますので、ははは」


 こちらの状勢を勘付かれぬよう、ノエルはなるべく柔らかい口調で答える。だが、こんな一時凌ぎの安い芝居、いつ見限られてもおかしくない。

 氷のバリケードだって、騎士がその気になれば破壊するのはわけないだろう。

 薄い壁を隔てた向こう側に最大の危険が構えているというのに、目まぐるしく変わっていく状況をアイルはただ見ていることしかできない。それだけショックな出来事が立て続けに起こったのだ。


 「アイル、ライラ!」


 気づくと、いつのまにか窓枠の左側まで移動していたソフィアが乱暴に手招きをしている。その右側ではレナードが控え、しきりに外の様子を確認していた。


 「……」


 アイルは扉の方を振り向いた。


 「いやぁ、最近は鍵も生意気ですね。僕の言うことを一切聞き入れてくれないんですよ。幼少の頃からしっかりと躾がーー つまるところ、鍵というのも鉄を加工するところから性格の変わり目が……」


 額に汗を滲ませながら、癖のある芝居を続けるノエル。

 彼はアイルの視線に気づくと、真面目腐った表情をして頷いた。ここは任せろと言わんばかりに。


 「急いで! あなたたちは逃げなきゃ! 正直、騎士たちの目的はわからない。けど、騎士に捕まったらあなたたちは終わりなんでしょ?」


 ソフィアの一言で、アイルはハッとした。

 王国が個人の魔法適性を調べることなど訳ない。騎士に捕まることは、すなわちアリスフィア法の名の下に公然と殺されることを意味する。自分が生きている、それこそが大罪なのだ。今は悲観している場合ではない。

 アイルたちが窓際に行くと、ソフィアが白い布切れを二つ差し出した。ベッドのシーツをちぎったようで、これをフード代わりに使えということらしい。


 「あなたたちは、どうするんですか?」


 布を頭巾のように被りながら、どうしても気になったので聞いてみる。


 「私たちなら大丈夫。今は自分たちのことだけを考えて。ここから絶対に逃げるの」


 会話の間に、レナードが窓を音を立てないよう慎重に開けた。


 「周りに誰もいない。今がチャンスだ」


 アイルとライラは布で顔を隠してから、順番に窓を出る。


 「二人とも、すまない。こんな別れ方になってしまって」


 「……」


 レナードのその言葉が、寂寥感や喪失感となってアイルの胸を貫いた。


 「また、会えるよね…… ?」


 希望を捨てきれないライラの問いが、一層胸を苦しくさせる。ソフィアは何も言わない。代わりにレナードが口を開いた。


 「ああ。落ち着いたら、またみんなでご飯でも食べよう」


 「うん」


 「行くぞ、ライラ」


 再び聞こえた「うん」は、先ほどよりも幾分か沈んでいた。

 森はすぐ目の前。このまま見つかりさえしなければ。


 「貴様ら! 何をしている!」


 男の怒鳴り声が聞こえる。建物の角から現れたのは、全身を銀の鎧で覆った騎士であった。


 「な…… !?」


 「おい! こっちだ! 窓から逃げようとしているぞ!」


 騎士が大声で呼ぶと、反対側の角からもう一人騎士が飛び出してきた。


 「そこで止まれ!」


 「くそ…… ! もっと早く外に出ていれば…… !」


 今までの自分の薄志弱行を後悔するが、もう後の祭りだ。二人の騎士は、すぐさまこちらに手をかざす。戦闘は避けられない、そう思った時だった。

 アイルの両側から森の入り口へと向かって氷の壁がそびえ立った。


 「行って! 早く!」


 ソフィアの叫声。

 アイルは彼女を顧みることなく、ライラを抱き抱えて走った。後方の部屋からも、何人かの怒声と扉を叩く音が聞こえて来る。

 右側の氷壁から、何か重くて大きな物体が衝突したような爆音が耳に刺さる。だが、堅牢な防壁はそう簡単に崩落しない。続いて左、また右。全身を震わせるような衝撃を伴う音が、ひっきりなしに響く。


 「ひびが…… !」


 早速の前言撤回。この調子だと、壁はそう長く持たない。


 「よお、困ってるみたいじゃねえか」


 ふいにすぐ後ろから声がかかって、アイルは悲鳴をあげそうになった。だが、ギリギリそれを喉の奥に押し込めたのは、その声が聞き覚えのあるものだったからだ。


 「タイロン!? 怪我は平気なのか?」


 「あたりめえよ、俺を誰だと思ってる」


 「ちょっ、なんで僕まで連れてきたの!? 僕にはドアを死守するっていう大役が!」


 なぜかタイロンにお姫様抱っこをされているノエルが、ジタバタしながら抗議する。だが、タイロンはそれに構うことなく話を続ける。


 「アイル、お前はこのまま森を突っ切れ」


 「タイロンたちはどうする気なんだ…… ?」


 「おいおい、この格好を見てまだわからねえか?」


 タイロンは、顔を覆っていた布の端を、これ見よがしに手で引っ張る。アイルたちのと同じものだ。それをノエルもつけていた。


 「俺がこの壁を飛び越えて、奴らの注目を集める。すると、奴らは俺たちをお前たちと勘違いして捕まえに来るっていう寸法よ」


 「百歩譲って、僕がライラさん役なのはギリギリ通るかもしれないけど。タイロンくん、その体形でアイルくんの役はさすがに……」


 呆れた口調でノエルが横槍を入れる。


 「わかってねえな、ノエルはよ。別に容姿なんて関係ねえ。ほんの数秒でも奴らの視線を集められれば、こいつらなら逃げ切れる。で、今考えなきゃならねえのは、登場の仕方よ。ド派手に現れることで、奴らをたまげさせる必要がある」


 「それなら、あんまりこの布に意味はないんじゃ……」


 「なあ、アイル。ソフィア様のことだが…… 俺は途中まで寝ちまってたから詳しい事情は知らねえがよ、あの人、すげえ落ち込んだ顔してたんだ。あんな顔、今まで見たことがねえ」


 いきなりソフィアの話が出て、なんだかヒヤリとする。それでも、アイルは黙って耳を傾けた。


 「あの人が何か大変な事をしでかしちまったのはわかる。別にそれを許してくれとは思っちゃいない。ただ、その…… あの人も本意じゃなかったはずだ。それだけは覚えていてやってくれ、頼む」


 あの陽気なタイロンが、慎重に言葉を選び、ここまで切にお願いするなんて。そこまでソフィアを慕っているのだろうか。


 「なあ」


 「どうした?」


 「みんなは俺たちのこと、どう思ってるんだ?」


 「なに、告白でもするの?」


 ノエルが困ったように聞いてくる。


 「違う! そうじゃなくて…… その、俺たちの魔法が何なのか、もう大体分かってると思う。その上で、どうして逃してくれようとするのかわからなくて……」


 今聞くことだろうか。しかし、アイルとしては答えが知りたくてしょうがなかった。

 皆の沈痛な視線が集まる。


 「知りてえか?」


 沈黙を破ったのはタイロンだった。アイルは固唾を飲んで頷く。


 「それは…… お前が生きて逃げきれたら、教えてやるよ」


 「え? だって、もし俺たちが逃げきれたとしてもーー」


 「よーし、ノエル。やるとするか」


 「うん、そうだね」


 タイロンもノエルもまるで聞く耳を持たず、軽い準備運動を始めた。

 そのすぐ横で、爆発が。いつのまにやら、壁はもう決壊寸前だ。


 「じゃあな、二人とも。また後で」


 「待ってくれ! まだ答えを!」


 アイルが言い切る前に、タイロンはノエルを抱えたまま壁を飛び越えていった。二人の姿が消える。

 本当に大丈夫なのだろうか。騎士が無慈悲に彼らを殺してしまうということはないだろうか。アイルは走りながらも、後ろ髪を引かれる思いで何度か振り返る。


 「降参だぁぁ! 許してくれぇぇ! 俺が悪かったからよぉぉ!」


 「お願いしますぅぅ! 命だけはぁぁ!」


 「さっきの二人組だな! 無駄な抵抗さえしなければ、危害は加えない! 決してそこを動くなよ!」


 壁の向こうから、二人と騎士のやり取りが聞こえて来る。作戦は成功。そして、彼らはその場で殺される心配はないらしい。


 「アイル、行かないと」


 「ああ……」


 アイルはがむしゃらに走った。やがて、氷の隘路を抜け、茂みの中に溶け込む。後方は未だ騒がしかったが、アイルたちを追って来る者は一人としていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る