第48話
アイルが竜種の背から降りると、すぐにライラが彼の胸に飛び込んできた。か細い腕が彼の背中に回り、存外痛いくらいに脇腹を締め付ける。顔に出さないように努めるが、鼓動が速くなるのはどうにもならない。
「アイル…… 良かった」
「だから言っただろ? このくらい師匠の力を借りなくても大丈夫だって」
「師匠じゃない……」
アイルの腕の中でつっけんどんに言い放つライラだが、その声は小さな震えを伴っていた。
「ねえ」
「ん?」
「今のアイルは本物のアイルだよね?」
一瞬その問いの真意を測りかねたが、すぐにアーテルと戦闘した時のアイルのことを聞いてるのだと思い至った。
あの時の彼は明らかに常軌を逸していた。絶対の自信と言い知れぬ興奮、全くその二つだけで自己が成り立っていたのだ。まるで自分が自分でないような。誰かに操られていたような気さえする。だが、そうなった原因は今も判然としない。あの激痛や囁きが発端とも考えられるが、不可解な点が多すぎる。
しかし、一つだけ言えることがあった。
「もちろん。俺は本物のアイルだ」
ライラは何も言わず、ただ腕を強く締めた。
「本当にありがとう。君のおかげで、みんなが生きて帰ってこれた。君には感謝しかない」
「いえ、みんなが力を合わせなければこう上手くはいきませんでした。レナードさんの魔法が無ければ、それこそみんな今頃生き埋めだったと思います」
「そう言われると、あまり悪い気はしないな」
レナードは照れ臭そうに頬を掻いた。
「それで、あの…… ソフィアさんたちは?」
未だライラに身体を固定されているため、首だけ回してみる。しかし、ノエル、タイロン、ソフィアの姿はどこにも確認できない。
「それなら大丈夫だ。騒ぎを聞いて近隣の村の守衛たちが駆けつけてきてな。ノエルと一緒に先に近くの村まで運んでもらっている。幸い、腕の立つ回復魔法師が常駐しているらしくて、心配には及ばないということだ」
「村の人が…… そうですか」
朗報であるはずなのに、アイルは浮かない顔をする。そんな彼の肩にレナードの手がポンと置かれた。
「安心してくれ、彼らには早くこの場を離れるよう勧告しておいた。君たちの魔法は他の誰にも見られていないはずだ」
とうにアイルの心中は見透かされていたらしい。
注視してみると、レナードの反応には、何か得体の知れないものと対峙しているような戸惑いと緊張感が漂っていた。
この様子では、遅かれ早かれ夢幻魔法のことは露呈するだろう。言いようのない不安がアイルに襲いかかる。村の時みたいに、悪魔として扱われないだろうか。見放されるのではないか。
「あの、レナードさん。さっきの魔法についてなんですけどーー」
「そこら辺の詳しい話は村に戻ってからにしよう。君たちもだいぶ消耗しているはずだ。まずは休息をとって、心身を落ち着ける必要がある」
その言葉には、第一にアイルへの気遣いが込められていた。しかし同時に、どう対処すべきか決めあぐねている、レナード自身の困惑も含まれているようだ。
「それで」と話題を切り替えようと、彼の目がアイルの後方に向けられた。
「その竜種は一体どうしたんだ?」
「ああ、これは……」
アイルはこうなった経緯を簡単に伝えた。
「まったく君は。竜種まで手懐けるなんてな」
レナードは呆れたように笑う。
「別に手懐けたわけじゃないんですけどね」
「グルルルル……」
今まで大人しくしていた竜種が、小さく唸った。
「どうしたんだ?」
「アイル。足首のところ。何か巻きつけられてる」
ライラが指差す。
確かに竜種の右足首には、鉄製の円筒が細い縄のようなもので括り付けられている。
「本当だ。前はこんなものなかったと思うが……」
「いかな竜種でも、自らこんな器用な真似はできないだろうし、人為的なものと見て間違いないだろうな」
「見てもいいか?」
アイルが聞くと、竜種は顔を持ち上げた。足の方までたどり着きやすいように計らってくれたのだと解釈する。ライラは名残惜しそうに、彼への拘束を解いた。
縄はかなり堅く巻きついており、筒を取り出すのに苦労した。それでも何とか解体に成功し、蓋を開けてみると、内部の壁面にへばりつくように一枚の白い紙が入っている。
「手紙…… ?」
封書の表は、竜種が羽ばたいている図柄の赤い封蝋で閉じられていて、裏を見てみると差出人と思われる名が連なっていた。
「リンドヴルム王国国王……」
そこまで朗読して、アイルはもう一度最初から無言で読み直した。二度、三度、目を通しても記してある文字に変化はない。
「リンドヴルム王国!?」
「なんだって!?」
アイルに続いて、レナードも仰天した。ただ一人、驚嘆の輪に入れずにいたライラが「何それ?」と軽い調子で尋ねてくる。
「国民のほとんどが竜人、つまり竜の姿をした人間で占めている国だ。何でも、竜種と人間の子孫という噂らしい。実際に見たことがないから、詳しいことは知らないが」
「しかし、リンドヴルム王国は昔から鎖国体制をとっていて、アリスフィア教皇国とさえ交流をしていない国じゃないか。それがどうして……」
レナードの言う通りだ。故に、アイルは竜人とやらを一度も見たことがない。
「わかりません。でも、とりあえず中身を見れば……」
再び封書に目を落としたアイルは言葉に詰まった。急激に喉が渇いていく感じがする。
「どうした?」
「いえ…… 多分これ、誰かのイタズラだと思います。字も汚いし、国王の字じゃないです」
「そこなのか……? 実際そういう王もいるかもしれないだろう。ほら、実は本人が結構気にしてるってことも……」
レナードに変な好奇心が芽生える前に、アイルは手紙をぐしゃりと潰して、ポケットに詰め込んだ。レナードとライラは目を丸してそれを眺めていたが、何か口出しできる雰囲気ではない事を察知して、それきり黙りこんでしまう。
竜種の方を見やる。なんだか不服そうに睨んでいたが、しばらくして顔を背けた。そして、翼を広げて森の向こうへと飛んでいった。あの竜種はリンドヴルム王国からの使いだったのだろうか。
「ソフィア様! 良かった、目を覚まされたのですね」
レナードに続いて木製の扉をくぐると、平均的な民家の一室を思わせる、こぢんまりとした空間があった。派手な装飾は一切なく、シンプルの一言に尽きる。その部屋の奥の、いくつか並べられたベッドの左端にソフィアはいた。
「ええ」
彼女はいつになく穏やかな声で答えると、静かに半身を起こした。
「まだ起き上がってはいけません! そのまま安静にしていてください」
「あなたは心配性ね。大丈夫、もう傷は完全に塞がったし輸血もしてもらったから。元々、そんなに大した怪我じゃなかったみたいだし」
あれだけ出血して、大した怪我じゃないわけがないだろう。しかし、その表情に苦痛を堪えるという感じはしない。強いて挙げるなら、ほんの少し疲れているようだ。
「それでも、大事を取るに越したことはありません。さあ、横になってください」
ちょっときつめに言われ、さすがのソフィアも渋々それに従う。
「それで、タイロンの容態は……」
「大丈夫。こちらも完璧に治療してくれたみたい。今は疲れて眠っちゃってるみたいだけど」
「心配していたというのに。まったく、のんきな奴め……」
レナードの言い方には全く嫌味は感じられなかった。
「アイル、ライラ」
ソフィアに呼ばれ、アイルたちも彼女の側に寄った。
「本当に大丈夫なんですか?」
「私は平気。私なんかよりも、あなたたちは? どこにも怪我はない?」
「はい。俺もライラもこの通り平気です」
ソフィアは安心したように深いため息をついた。
「ありがとう、アイル。みんなを助けてくれて」
「俺だけの力じゃ、誰も救えませんでした。みんなが最後まで諦めなかったから、こうしてまた再会できたんです」
虚を突かれたように固まったソフィアは、やがてゆっくりと頷いた。
「その後、あの男は?」
「いきなりアーテルーー 黒い触手が現れて。たぶん、もう……」
「そうだったの……」
どう反応すればいいか迷っている様子が伝わってくる。それはアイルも同じだ。いくら憎むべき相手とはいえ、それが死んでしまって何の屈託もなく喜べるわけがない。
「えっと、あの男とは?」
後ろから会話に参加してきたのはノエルだ。ここに来る途中、村の広場で村長らに簡単な事情を説明していたのが見えたが、その役目も終わったらしい。
アイルは地下の通路でウィリアムに襲撃された事を話した。無論、彼の目的や夢幻魔法に関する意味深な発言については省いて。
「烈風焔刃の副リーダーが…… !? 地下ではそんなことがあったなんて……」
「それが事実であれば、すぐに王都に知らせるべきだ。たとえ単独行動であっても、烈風焔刃の右腕。多少なりとも、ギルド内部に疑いがかかるに違いない。今後彼らの行動を大きく制限できるかも」
驚きながらも、打算的な考えを提示するレナード。
皆混乱していてそこまで気が回らなかったが、確かにこれは烈風焔刃を止める絶好のチャンスかもしれない。ただ、証拠が判別可能な状態で残っているか、いささか疑問であるが。
「私は一足先に王都に戻ります。ギルドの皆に今の状況を伝えねばならないし、王都への報告も急いだ方がいい」
「待って」
ソフィアが呼び止める。
「その前に、みんなに話さなきゃいけないことがあるの」
その顔は、何か一大決心でもしたような、ただならぬ雰囲気を醸し出していた。
「話? なんですか?」
「今日受けた依頼のことについて」
「確かに階段を降りてしまったのは間違いだったかもしれません。でも、それを止めなかった我々にも責任がーー」
「違うの。そもそも、私が受けた依頼は…… 遺跡内部の探索だったの」
「え? じゃあ、魔物の討伐っていうのは…… ?」
ノエルの質問から、誰にもこの事実は伝わっていなかったらしい。
「…… 嘘」
「それなら最初からそう言ってくれれば良かったではありませんか。どうして、そんな嘘を?」
咎めるようにレナードが聞く。
「依頼人に言われたの。アイルとライラを同行させるようにって。魔物の討伐っていうのは、そのための口実」
ソフィアの言葉は、アイルに目眩を生じさせるほどの強い衝撃を与えた。
「俺たちを…… ?」
「遺跡の先に進むにはあなたたちの力が必要だって、そう言われたの」
アイルたちの力。それが夢幻魔法のことを指していることは、火を見るよりも明らかだ。
「それって、どういう…… まさか、俺を利用したってことですか?」
「そうね…… あの時は、彼の意図がわからなかったとはいえ、私はあなたを利用しようとした…… 最低な事をしてしまった」
「そんな……」
アイルは自分が抱いている感情がよくわからなかった。
息巻いてソフィアの不調法に罵詈雑言を浴びせればいいのか、はたまた彼女に失望してこの場を去るべきなのか。それとも、過ぎ去ったことだから水に流そうと、和平の道に進めばいいのか。色々な思考がせめぎ合い、しかし、どれ一つとして表出することを躊躇していた。
ただ、一つだけ明らかなのは、今まで積み上げられた何かが、ぐらついてきたという事。
落ち着け。今はなによりも先に聞かねばならぬことがある。
「誰に…… 誰にそんな事を言われたんですか?」
「それは……」
ソフィアが口を開きかけたその時、扉が荒々しく開け放たれる音が響き渡った。この部屋のものではない、おそらく廊下を渡ってすぐの玄関の扉だろう。扉越しに、そこに居合わせた人々のざわめきが起こるのがわかる。
「騎士様!?」
女の声が聞こえてきた。
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