第38話
日が完全に落ちた頃、ようやくソフィアが帰ってきた。
それまでの間、アイルは自室にこもり、ノエルに借りた歴史書を読みながら、ライラの話し相手をして器用に暇をつぶしていた。食卓には、もうアイルとライラを除いて四人全員が席についていた。
「実は、緊急で新しい依頼を受けることになったの」
食事を終えて、紅茶を一口飲むとソフィアはそう切り出した。一分前の、穏やかな空間に、急に冷たい隙間風が流れ込んできたような気分だ。
「ソフィア様、明日は休息すると約束したではありませんか」
レナードは非難するように言う。
「大丈夫、これが終わったら、次こそはちゃんと休むから」
「本当なのかよ、それ?」
テーブルに頬杖つきながらも、真剣な顔つきでタイロンが聞く。
「本当よ。約束する」
ソフィアが例の枯れかけの笑みを浮かべるもので、一座はただ黙り込むことしかできない。
「それで、緊急の依頼というのは?」
仕切り直すように、ノエルが聞く。
「プセマ遺跡の調査をして欲しいって」
「プセマ遺跡? 確か千年以上前に建てられたっていう…… どうして、その手の専門家ではなく、一介のギルドなんかに調査を?」
「それに、その遺跡なら、既に騎士やら専門家やらを募って、王国が総力を上げて調べる尽くしたはずでは? 結局、歴史的に重要なものは見つからなかったとも聞いていますが」
ノエルに続いてレナードが質問する。
「それが、遺跡内部に大型の魔物がいた痕跡が見つかったらしくて…… それの調査が今回の目的」
それなら、最初から遺跡の調査ではなく、魔物の調査と言えば良いのに。
「それで、その…… アイルとライラ。今回は二人にも依頼に同行して欲しいの」
「私たちも…… ?」
小さく驚きを示すライラ。びっくりしたのはアイルも同じだ。
「それはいくらなんでも。最初に約束したはずです。依頼は二人だけでやらせて欲しいと」
もちろん、アイルは即座に拒否する。
「そうなんだけど…… 今回だけはどうしても、人数が必要なの。お願い!」
「そんなこと言われても……」
「あまり危険そうなら、すぐに撤退するし、無理はさせないから!」
ソフィアはその場で立ち上がり、テーブルに両手をついて、鬼気迫る顔をこちらに近づける。
「いや、ですから……」
「お願い! 今回限りだから!」
「ソフィア様、さすがにそれ以上は見苦しいぜ。家族に強要するなんて、あんたはやっぱり疲労が溜まってるんじゃねえか?」
タイロンの少し行き過ぎた発言に、レナードはちらりと非難の視線を向ける。が、今は口論している場合でないと思ったのか、彼の視線はすぐにソフィアへと戻った。
「今一度、皆で考えてみませんか? 私たちの力だけでも、可能かもしれません」
「ち、違うの…… そういうことじゃなくて……」
ソフィアはそれっきり黙り込んでしまう。そのただならぬ雰囲気に、どう声をかけるべきか思案していたアイルだったが、レナードに促されて退出することになった。
「依頼、受けないの?」
自室に戻ると、ベッドに腰かけたライラが首を傾げる。
「わかってるだろ? 夢幻魔法は即刻死刑の禁術。もし、あの人たちに魔法のことがバレて、王都に通報でもされたら俺たちは終わりだ」
「でも。ソフィアさんたちなら、そんなことしないと思うな」
「どうしてそんな事が言えるんだ?」
「んー、家族だから…… ?」
突拍子もないその言葉に、アイルは意表を突かれた。彼女は既にここを家族だと、自分の居場所だと定めているのだろうか。
彼は何気なく奥の窓を見やった。その窓が映し出していたのは、外の真っ暗闇でも、反射して見える自分たちの姿でもない。リビエール家での、追放された日の一幕だ。
あの日が来るまで、彼はリビエール家の家族であった。血の繋がりはなく、教会に届け出たことで手に入れた、名目上の家族。いや、実際あの家の人たちは皆、本当の家族のように接してくれていた。本物の家族を知らないから、断言はできないが。
あの、日向で寝転んでいるような、一つの警戒もなく、ほっこりと温かく眩しい場所。それは、身に覚えのない大罪により突如として隔絶されてしまった。そんな業を負った人間を、たかだか数日一緒に生活しているだけの氷晶の薔薇が、世界を欺いてでも許容することがあるのだろうか。そもそも家族とは何であろう。
「わからない」
アイルは小さく呟いた。
「何が?」
「家族が何なのか」
ライラはぽかんと口を開け、それから、じっくりとアイルの眼を覗いた。
「アイルは私の事、どう思ってる?」
沈みに沈んでいた心臓が、一気に飛び跳ねた。
「ど、どうって…… そ、その、友達以上には思ってるが、別にそういう感情はないぞ!?」
顔が熱くなるのを振り払うように、首を横にぶんぶんと振る。そんなアイルを、まるで新種の生物でも見るかのように、不思議そうな目を向けるライラ。
「私は好きだよ」
「え…… ?」
「お互いに好きな人が一緒に生活してるのは、家族ってことじゃないかな?」
「あ、そういう意味か……」
やっとライラの言わんとしてることが理解できて、身体中の力が抜ける。
「いくらなんでも単純過ぎないか?」
「あんまり深く考えなくても良いと思う」
ライラはいつもぼんやりとしているが、偶に師匠としての片鱗を現す。此度も、彼女にやり込められてしまった。
目を開ける。ベッドから身をよじらせると、隣のベッドでライラはすやすやと眠っていた。
ふと、靴音が、廊下へ通じる扉の向こう側から聞こえた。それはちょうど扉の前で止まり、聞こえなくなった。アイルは不審に思い、音を立てぬようそっと立ち上がり、扉の方まで忍び足で近寄る。この奥に何かがいる、それは確実だ。
今日、レイリーが忠告したことを思い出す。まさか、エフスロスが。
「誰だ?」
アイルが鋭く問いただすと、少しの間を空けて返事が来た。
「私。ちょっと開けて欲しいの」
「ソフィアさん?」
安堵すると同時に、こんな時間に何のようかと訝しんだが、無為に待たせるわけにもいかない。アイルはライラを起こさぬよう、静かに戸を開けようとする。
「どうしたんです、こんな時間にーー」
取手が急に軽くなり、勢いよく開かれた扉の隙間から、人影がこちらに素早く近づいてきた。
「そ、ソフィアさん?」
「さっきの話の続き、したくて……」
窓のからの月明かりが、ソフィアのなんとも艶かしい格好を白く際立たせる。寝巻きなのだろうか、薄いシルクのような一枚の布で、身体をぐるりと巻いたような服装。しかも、下の方は膝上の際どいラインでカットされ、襟の部分は肩の端ギリギリまで大きく開かれ、柔らかい肌に隆起した鎖骨がくっきりと見えている。アイルの目が不可抗力で、鎖骨の下を映す。細っそりと流れるような身体のラインから、控えめに存在を主張するふわりとした膨らみ。
「ちょっ、え!? ど、どういう状況ですか!?」
いつもは冷静でいるアイルも、これには混乱した。そんなしどもどしている彼の手を、ソフィアの白く繊細な指が包む。
「な、何を…… !?」
「お願い。あなたが依頼を受けてくれるなら、私なんだってするから」
だが、その声は懇願するように痛々しく、アイルの高鳴った心をある程度萎えさせる効果があった。
「わ、わかりました! だから、一回離れてください!」
アイルは小さい声で叫び、少々強引にソフィアの手を振り解くと、二、三歩距離をとった。それから、どうしようか逡巡して、彼女を自分のベッドへ座らせる。アイルはその傍らに立ち、一時の気の迷いが起こらぬよう窓の外をじっと睨んだ。
「あなたがいるだけで十分過ぎるほどの戦力なはずだと思うんですけど。どうして、俺たちが必要なんですか?」
「それは…… 魔物が危険かもしれなくて……」
「それなら、俺たちだけで行きますよ」
「だめ。二人だけじゃだめなの」
それから双方、口を閉ざし数秒という時間がゆっくりと流れた。少し気まずい。そんなアイルの耳元では、さっきのライラとの会話がぼんやりと流れ始めた。
好きな人同士が暮らしていたら家族。やはり、短絡的な感じが否めない。しかし、心のどこかでそれを認めている自分がいた。
氷晶の薔薇は、追放されたアイルたちを初めて迎え入れてくれた場所。少しは役に立ちたい。それに、身体強化があれば、大抵の魔物は相手にできるはず。
「…… 危なかったら、すぐに引き返す。そう約束してくれますか?」
「え…… う、うん…… !」
「わかりました。あなたを信じます」
アイルがそう言うと、ソフィアは腰を上げ、彼の手を夜のように冷たい手で包む。
「ありがとう、アイル…… !」
「わ、わかったので、早く自分の部屋に戻ってください」
アイルは顔も合わせずにそのままソフィアの手を引っ張り、半ば彼女を部屋から追い出した。
「あの、ソフィアさん」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです。でも、もし何かあったら、ライラだけは守ってください。それだけです」
ソフィアしばらくアイルをぼうっと見つめていた。その表情が何を意味しているか、よくわからない。
「わかったわ。お休み……」
アイルは廊下を小走りで抜けていくソフィアを確認し、ゆっくりと扉を閉めた。
「あの格好で行き帰りするのか……」
なんだか間抜けな感じがして、くすりと笑った。
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