3-11 航の涙

 金曜日19時―


今、琢磨と航は新宿の居酒屋に来ていた。店内にいる客は大半が男性客をしめ、仕事帰りのサラリーマンであふれていた。BGMは男性演歌歌手の歌が流れ、どこか昭和をイメージするような古びた居酒屋で、カップル客は1人もいない。



「珍しいな。九州風居酒屋なんて・・・お、もつ鍋か・・・。うまそうだな。」


掘りごたつ風のお座敷席に座った琢磨はメニューを熱心に見ている。


「・・・・。」


航はメニュー表を見つめているが、その目はどこかうつろだった。


「お、これもうまそうだ。馬刺しかあ・・これも食べてみるか。酒と言ったらやっぱりここはビールじゃなくて地酒か?何といっても九州と言ったら芋焼酎だもんな。」


そして琢磨は航をチラリと見たが、相変わらず心ここにあらず、といった感じである。


「おい、航。聞いてるのか?お前が今夜誘ってきたから俺はわざわざここまで出てきたんだぞ?それなのに、待ち合わせ場所で会った時からお前、ほとんど口を開いていないじゃないか?そんなんじゃ帰るぞ?」


琢磨はメニューをパサリとテーブルの上に置いた。


「・・・。」


それでも航はメニューを見つめたまま無反応だ。


「おい、航!」


琢磨がテーブルをバンと叩いて、ようやく航は顔を上げた。


「あ、ああ。何だ?どうかしたか?」


「どうかしたかじゃない、それはこっちのセリフだ。一体どうしたって言うんだよ。今夜は・・・。」


「あ、ああ。悪かったな琢磨。ほら、注文取ろうぜ。どれがいいかな~・・・。」


ようやく我に返ったのか、琢磨はメニューを真剣に選び始めた―。




「それで、航。何かあったんだろう?」


琢磨は芋焼酎を飲みながら航を見た。


「あ、ああ。ちょっとな・・・。」


航は言葉少なげに芋焼酎を飲んでいる。


「ほら。全て吐いちまえよ。何か話したい事があって俺を呼んだんだろう?うん。馬刺しって本当に旨いな。」


琢磨の箸は止まらない。


「実はさ・・。俺が前に付き合っていた・・女が・・今日実家に帰って行ったんだよ。」


「実家?それじゃまさか・・・。」


琢磨が顔を上げた。


「ああ・・実家は九州だって言ってた。どこの県かは知らないけどな。」


「そうか・・・そう言えば偶然だな。今日うちの若手女性社員も1名鹿児島の実家に戻ったんだ。来週からはリモートワークに入るんだよ。女性初だな。」


「へえ。そんな偶然ってあるんだな。」


航はもつ鍋に手を伸ばした。


「そう言えば・・・突然実家に帰ったのはあれが原因だったのかもな・・。会社の前で達の悪そうな男に捕まっていたからな・・。」


琢磨が何気なく言った言葉に航は素早く反応した。


「な・・何だって?琢磨、その話・・もう少し詳しく話してくれないか?」


航の真剣な眼差しをみて琢磨は戸惑った。


「え・・?一体どうしたって言うんだ・・?まあ、いいけど・・・。」


そして琢磨は話し始めた。

偶然階段の下で倒れている女性を発見したこと。手首と足首を怪我していたので医務室に連れて行こうとしたけども待ち合わせに遅れると言って拒絶したこと。そしてガラの悪そうな男に怒鳴りつけられて止めに入った事。最後は警備員がやってきたのを見て男は逃げ出して行った事・・それらを琢磨に説明した。

全ての話を聞き終えた航は顔色が青ざめていた。


「おい、おい・・大丈夫か・・?航。」


さすがに琢磨は心配になって声を掛けた。


「あ、ああ・・・だ・大丈夫だ。それより琢磨・・・その女、もしかして・・美由紀ってよばれてなかったか?」


「美由紀?う~ん・・・言われてみればそんな名前だった気がするな・・。でもそれがどうしたんだ?」


すると航は小刻みに震えながら言った。


「美由紀だ・・そうだ、間違いない。その女は美由紀だったんだ。美由紀は・・琢磨の会社の社員だったのかっ?!」


突然の航の大きな声に琢磨は驚いた。


「おい、落ち着けっ!店内の客が俺たちに注目しているじゃないかっ!」


琢磨は周囲の視線を気にして、航をなだめた。


「あ、ああ・・すまない。」


航は芋焼酎を飲むと溜息をついた。


「それにしてもお前・・・自分が付き合っていた女性の勤務先も知らなかったのか?それに確かその女性は・・もともとは京極の会社の社員だったんだぞ?」


琢磨の言葉に航は衝撃を受けた。


「え・・?な、何だって・・?美由紀がもとは・・京極の会社の社員・・?」


「ああ、そうだ。京極の会社が俺たちの会社に吸収合併されて、京極の会社にいた社員たちは全員『ラージウェアハウス』の社員になったんだよ。」


(そ、そんな・・・それじゃまさか・・・あの時、クリスマスイベントで美由紀が待ち合わせ場所をあそこに決めたのは・・京極の入れ知恵だったのか?!美由紀は・・京極の回し者だったのかっ?!)


航はグラスをグッと強く握りしめた。


「お、おい!航っ!どうしたんだよっ?!」


琢磨は航の様子がおかしい事に気づき、肩をゆすぶった。


「あ、ああ・・・琢磨・・。悪い、大丈夫だ・・。」


航は深いため息をつくと琢磨を見た。


「まあ・・・こんな偶然な話、確かに驚くかもな。でも・・それじゃお前の元カノはDV男と付き合っていたのか?それで実家に逃げたのか・・。」


琢磨の話に航は言った。


「いや。それはないな・・・。あの男、最低な奴だったんだ。美由紀以外にも3人の女と交際していて、全員から金を巻き上げていたんだよ。」


「何だよ・・それって・・最低な男だな?」


琢磨は眉をひそめた。


「ああ、本当に最低な奴だったよ。それで・・・先週の金曜日、そいつと会って決着をつけてきたんだ。もう奴は完全に手を引いたよ。」


琢磨はもつ鍋に箸をつけながら言う。


「へえ?どんなやり方を取ったんだ?詳しく教えてくれよ。」


琢磨が興味深げに身を乗り出してきた。


「ああ、いいぜ。それは・・・。」



航は先週の上野公園での出来事を詳細に琢磨に語った。そして全て話し終えると琢磨が感心したように言った。


「へえ~・・・すごいじゃないか。見事なお手並みだったな?」


「当り前だ。俺を誰だと思ってるんだ?高校の時から10年間調査員としてやってきたんだからな。」


航は自慢げに言う。


「そうだな。でも手柄だったな。あの男・・・俺は少ししか見ていないけど、本当にたちが悪そうに見えたからな・・・。お前は元カノだけでなく、3人のDV被害女性から救ってやったんだ。まさにヒーローだな。」


琢磨の誉め言葉に航は照れながら言う。


「そ、そうか・・・?でも・・彼女たちがいたから美由紀も助けることが出来たんだ。怖い思いをして暴力行為を受けながらもボイスレコーダーを録音してくれたから証拠を残せたわけだし・・俺の方こそ感謝してるよ。」


「そうか・・。でも、そしたら何故美由紀さんは実家に帰ったんだ?」


琢磨は首を傾げた。


「それは・・きっと恐らく・・美由紀がまだ俺の事を好きだったから・・だと思うんだ。美由紀の目が・・俺の事を好きだって必死に訴えていた。あいつは・・俺とやり直したがっていたんだ。だけど俺は・・・もう好きになれない、俺が好きなのは朱莉だけだって・・・。そしたらあいつ・・実家に帰るって・・・。」


いつしか航の目には涙が滲んでいた。


「航・・・お前・・・。」


琢磨は航の涙に驚いた。そして深いため息をつくと言った。


「彼女は・・今回の事で教訓を受けたんだ。今度こそ、恋愛で失敗しないんじゃないか?今は・・美由紀さんの幸せを祈ろう。」


琢磨の言葉に航は黙ってうなずくのだった―。


 

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