9-7 気まずい個室

 夜7時―


コンコン


翔が入院している個室のドアがノックされた。


「はい。」


ベッドを起こして、新聞を読んでいた翔が返事をすると、ガチャリとドアが開けられた。


「こんばんは、翔。」


修也が大きな紙袋を手に現れた。


「修也、パソコン持って来てくれたのか?」


「うん。持ってきたよ。他にUSB も念の為に持ってきたけど・・・でも会社の情報を扱うにはUSBを使うよりはクラウドサービスを使った方がいいかもね・・・。」


修也はUSBを握りしめたまま言った。


「う~ん・・・まあいい。一応置いて行ってくれ。使うかもしれないからな。」


翔が手を伸ばしてきたので、修也はUEBを手渡した。


「翔、でも本当に明日からここで仕事をするのかい?」


修也が心配そうに尋ねる。


「ああ、勿論だ。だから修也、お前はいつでも対応出来るようにPCの前にいろよ?」


翔は半分冗談で言ったのだが、真面目な修也は頷いた。


「うん、分ったよ。翔がそう言うなら、なるべく席を外さないようにしておくよ。」


「馬鹿だな・・・修也。そこまで本気で受け取るなよ。それで会社の方はどうだった?」


翔はPCを立ち上げながら尋ねた。


「うん、大丈夫だったよ。たいして大きな混乱も無かったし、業務は滞りなく進んだよ。」


「そうか・・・。」


それを聞いたときの翔の顔が浮かないものになった。


(何だよ、それ・・・つまり副社長の俺がいなくても会社は問題無くまわせるって事なのか・・・?)


モヤモヤした気分を抱えながら翔はPCのパスワードを入力する。


「どうしたの?翔?」


修也は翔の様子が何だか妙な事に気が付き、声を掛けた。


「いや、別に・・・。」


翔はPC画面から目を逸らさずに返事をすると、チラリと時計を見た。


「修也、もう20時になるぞ。帰った方がいい。」


「あ、本当だ。もうこんな時間だったんだ。それじゃ帰るよ。」


修也は座る間もなく帰り支度を始めた。そんな修也の姿を見ながら翔は言った。


「修也・・・・。」


「何?」


カバンを持った修也は翔を見た。


「おばさんに・・・よろしくな。」


「うん、分ったよ。母さんにも伝えて置くよ。今日、翔が虫垂炎で手術したこともね。」


「よせよ、余計な心配は掛けさせたくないから・・・言わなくていい。」


「それは駄目だよ、大体僕は母さんと一緒に住んでいるんだから翔の事を報告しないわけにはいかないよ。」


珍しく修也は引かない。


「分ったよ・・・すきにしろ。」


翔は溜息をつくと言った。


「それじゃ、翔。僕はもう帰るけど・・あまり無理しない方がいいからね?今日手術したばかりなんだから。」


「ああ、分ったよ。修也。じゃあな、気を付けて帰れよ。」


「また明日来るよ。それじゃあね。」


そして修也は手を振ると病室を出て行った―。



 

 翌日―


朱莉は普段よりも早起きをすると、洗濯をしながらトーストにスープの簡単な朝食を済ませると、蓮の様子を見に入った。


「フフ・・・。良く寝てる。」


普段よりも朝が早い為、蓮はまだぐっすり眠っていた。


「さて、蓮ちゃんが眠っている間に準備しなくちゃ。」


朱莉は翔の部屋のキーを持つと部屋へと向かった。そして引き出しを開けて新たに着がえのパジャマや下着を取り出すと、持ってきた紙バックに詰め込む。


「え・・・と他にスリッパと靴も持って行った方がいいかもね。病室にあるのは革靴だけだから。」


朱莉はシューズボックスを開け、翔が休日の日に履いているカジュアルシューズを取り出すとビニール袋に入れた。


「これ位でいいかな?」


朱莉は荷物を持つと翔の部屋を後にした。




朝10時―



 朱莉は目を覚ました蓮の世話を終えると、荷物を持って車に乗り込んだ―。




「すみません、昨日特別個室に入院した鳴海翔の入院手続きに参りました。」


朱莉は今、翔の入院手続きをするために入院窓口を訪れていた。


「はい、ではこちらの書類に必要事項を記入して下さい。」


窓口の女性に書類を貰って、朱莉は中身を確認したのだが・・・。


(駄目だわ・・・私では分からないことだらけだわ・・・。)


その用紙には入院患者の個人情報を記入する項目がズラリと並んでいた。本人の病歴や両親の病歴、さらにはその病気を発症した年齢等々・・・。

朱莉は溜息をつくと言った。


「あの・・・本人でなければ分からない項目が色々あるので病室で記入して持ってきてもよろしいでしょうか?」


「ええ。勿論大丈夫です。今日中に手続きを済ませて頂ければ大丈夫ですよ?」


受付の女性に言われた朱莉はお礼を述べると、蓮を連れて翔の入院している病棟へと向かった―。



 その頃、翔は病室でPCを前に仕事をしていた。


コンコン


そこへノックの音が聞こえた。


「はい?」


翔が返事をするとドアの外から声が聞こえた。


「看護師の藤井です。中へ入ってもよろしいでしょうか?」


「え・・・?」


途端に翔の顔が曇った。


(参ったな・・・あの看護師・・苦手なのに・・・。)


翔は昨日の出来事を思い出した。


いきなり翔のシャツの中に手を入れてきた事。そして今回の入院とは全く関係無い話を根掘り葉掘り聞いて来た事。

例えば翔の趣味や、好きな食べ物・・・挙句に朱莉との馴れ初めを質問して来た時には何と答えれば良いか、答えに詰まる程だった。しかし、担当の看護師ともなれば無視をする事も出来ない。


(全く・・・仕事中だって言うのに・・。)


すると、翔が返事をしないうちにドアがガチャリと開けられた。


「失礼しま~す・・・。あら、返事が無いので眠っていらしたのかと思いました。」


藤井はカートをガラガラと押しながら病室へ入って来ると言った。


「いえ・・・起きていましたよ。仕事をしていたんです。」


翔がぶっきらぼうに言うも、藤井は全くお構いなしに近づいて来た。


「な、何ですか?一体・・・。」


あまりにも至近距離に藤井がいるので、翔は視線を逸らせながら尋ねた。


「はい、検温のお時間です。それに血圧も測らせて下さい。」


そして笑みを浮かべながら体温計を差し出した。


「あ・・・どうも・・・。」


翔は体温計を左の脇の下に入れると、突然藤井が翔の右腕に触れてきた。


「うわっ?!今度は何ですかっ?!」


「何って・・血圧を測るんですけど?」


首を傾げながら言う藤井を見て翔は思った。


(こ、この看護師は・・・わざとやってるのか?それとも・・・。)


その時、コンコンとドアのノックの音が聞こえた。


(え?今度は誰だ?)


すると翔が返事をする間もなく、藤井が翔の右腕に触れながら返事をした。


「はい、どうぞ。」


「あ、な・何勝手に返事を・・・。」


翔が言いかけた時、ドアがガチャリと開かれた。


「おはようございます、翔さん・・・。」


中へ入って来たのはベビーカーに蓮を乗せた朱莉だった。


「え?!あ、朱莉さんっ?!」


(な、何故だっ?!何故朱莉さんが病室に・・・っ?!い、いやっ!それ以上に今の状況は・・まずいっ!)


「あ・・・。」


途端に朱莉の顔に驚きの表情が浮かんだ。何故なら藤井は翔の枕元に座り、右腕に両手で触れてる状況だったからだ。


「す、すみませんっ!」


何故か朱莉は咄嗟に頭を下げて蓮を連れて出て行こうとした。


「待ってくれ!朱莉さんっ!」


翔は慌てて朱莉を引き留めながら思った。


(何故だっ?!何故・・朱莉さんが病室を出て行こうとするんだっ?!)


すると藤井が朱莉に声を掛けた。


「あら、奥様。ひょっとすると何か誤解をされたのですか?私はただ鳴海さんの血圧を測ろうとしていただけですよ?そうですよね?鳴海さん。」


言いながら何故か翔の方を見る。


「ああ・・・そうなんだ。朱莉さん。」


(くそっ!これじゃ・・・余計誤解を招くように聞こえるじゃないかっ!)


心の中で藤井を思い切り恨みつつ、翔は強張った笑みで朱莉を見た。すると、藤井は血圧計を素早く巻き、測定を始めた。


「・・・・。」


少しの間、血圧計を見つめていた藤井はやがて翔の腕から血圧計を外し、ボードに記録すると言った。


「はい、血圧は正常値でした。お熱はどうですか?」


言われた翔は体温計を外して藤井に手渡した。


「はい、体温も大丈夫ですね。それでは失礼致します。」


藤井は何事も無かったかのように頭を下げると、カートをガラガラ通して入口の前に立つ朱莉の前でピタリと止まると言った。


「ご主人・・・とても素敵な方ですね。」


「えっ?!」


朱莉は驚いて藤井を見ると、彼女は意味深な笑みを浮かべて病室を出て行った。


「「・・・・。」」


朱莉も翔も互いに何と声を掛ければ良いか分からなく押し黙ってしまった。


病室には気まずい空気が流れていた―。









 




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