9-6 面会時間終了後

 それから約1時間後―


コンコン


朱莉は翔の病室をノックした。しかし、何も返事が反って来ない。


「聞こえなかったのかな?」


朱莉はもう一度、ドアをノックしたがやはり無反応である。


「眠っているのかな・・?翔さん・・・失礼しますね・・。」


朱莉はそっと病室のドアを開けると、やはりそこには眠っている姿の翔がいた。


「起こさないようにしておかないとね・・・。蓮ちゃん。ここで待っていてね。」


朱莉はベビーカーに蓮を乗せ、布のおもちゃを渡すと蓮はすぐに口に咥えて遊び始めた。


「フフ・・・パパの荷物の整理をするから待っていてね。」


朱莉は蓮の頭を撫でると、早速持って来た荷物を取り出して応接室のテーブルに置いて、整理を始めた。病室には3段になっている引き出しが備え付けられていた。朱莉は一番上の引き出しにパジャマと着替えの下着を入れ、その下にバスタオルや予備のタオルを入れた。


「あ、そうだ・・・。歯磨きセットが必要だったかも・・・。」


そうつぶやいた時、特別個室の入院案内のパンフレットがテーブルの上に置かれている事に気付き、中を開いてみた。


「凄い・・・歯磨きセットや入浴セット・・・全て料金に含まれていたんだ・・。まるでホテルみたい・・。まさかお母さんが入院している病院でこんな特別個室があるなんて思いもしなかったな・・・。」


朱莉はパンフレットを閉じると、バスルームを覗いてみた。するとやはりパウダールームには歯磨きセットに、ドライヤー、化粧品までが備え付けられている。

試しにバスルームを覗いてみると、同様に高級ブランドのボディソープとシャンプーセットが置かれていた。


「もう凄すぎて・・・何て言ったらいいか分からないわ・・・。」


朱莉は母が入院している個室を思い浮かべると改めて溜息をついた。


(やっぱり私と翔先輩とでは住む世界が違い過ぎる・・・。契約婚が終わったら、すぐに離婚をして・・明日香さんとやり直すか・・もっと家柄が相応しい女性と翔先輩は一緒になるべきよね・・・。)


蓮とお別れををするのは本当に寂しいが、これはあらかじめ決められていた事なのだから、朱莉は割り切らないといけない。


「さて、荷物の整理の続きを始めないと。」


朱莉は気持ちを切り替えて、持って来た荷物の整理を始めた—。



「う・・・ん・・・。」


ふと、翔は目を開けて一瞬自分が何処にいるのか分からずにギョッとしてしまった。


「え・・と‥確か俺は・・・。」


独り言のように呟いた時、朱莉が声を掛けてきた。腕の中には蓮が抱っこされている。


「あ、翔さん。目が覚めたんですね?」


そしてベッドに横たわっている翔の顔を覗きこんできた。


「うわああっ?!あ、朱莉さん・・・いたのかい?」


「はい、良く寝ておられましたよ?」


朱莉は笑顔で答えた。


「す、すまない・・・。いつの間にか寝ていたようで・・・。」


翔は顔を赤らめながら朱莉を見た。


「いいえ、気になさらないで下さい。それに翔さんは今日手術をしたばかりなのですから。」



「ああ・・・そうだね。所で・・今何時なんだろう?」


「午後3時ですよ。」


「ええっ?!そ、そんなに俺は眠っていたのか・・・。悪い事をしたね・・・。でもどうして帰らなかったんだい?」


すると朱莉は笑顔で言った。


「そんな眠っている人を置いて帰る訳にはいかないですよ。帰るときは翔さんが起きている時に、挨拶をして帰りたいですから。」


「あ、ありがとう・・・朱莉さん。」


他意は無いのだろうが、翔は朱莉の笑顔を見て不覚にもドキドキしてしまった。


「翔さん、保険証や貴重品はベッドサイドの引きだしにしまってあります。鍵が中に入っているので、お1人の時は引き出しに鍵をかけておいた方が良いですよ。着替えはお部屋の引き出しにしまってあります。」


「すまない・・・朱莉さん。何から何まで面倒見て貰って・・・。」


「いいんですよ、その為の契約妻ですから。」



『契約妻』・・・・。

朱莉のその言葉に人知れず、翔は傷付いた。


「・・・・。」


思わず翔が黙ってしまうと、朱莉が心配げに声を掛けて、覗き込んできた。


「どうしましたか?翔さん・・・もしかして傷が痛むのですか?」


「い、いや。大丈夫、何でも無いよ。」


「そうですか・・?ならいいのですけど・・・。」


朱莉は身体を引っ込めた時、病室のドアがノックされた。


「失礼致します、鳴海さん。御加減はいかかでしょうか?」


ドアを開けて病室の中へ入って来たのは年若い看護師だった。そして翔を見ると言った。


「初めまして、鳴海さん。本日から明日迄お部屋の担当をさせていた抱きます、藤井と申します。よろしくお願いします。」


ペコリと頭を下げながら藤井は言った。そして蓮を抱きかかえている朱莉の姿に気が付いた。


「あ・・・もしかすると奥様でいらっしゃいますか?」


「はい、そうです。どうぞよろしくお願い致します。」


朱莉もお辞儀を返した。すると藤井が言った。


「あの・・これから術後のチェックと問診と診察がありますので・・・申し訳ございませんが奥様は外でお待ちいただけますか?」


するとそれを聞いた翔が言った。


「朱莉さん、今日はもう帰っても大丈夫だよ。蓮も疲れたんだろう。随分眠そうにしているし・・・。」


「ですが・・・。」


朱莉は腕の中の蓮を見た。確かに眠そうにうつらうつらしている様子の蓮がいた。


「そうですね・・・。すみません、それでは・・レンちゃんを連れて帰りますね。」


「ああ、そうしてくれ。それに・・別に謝る事じゃないよ。」


翔の言葉に朱莉は笑みを浮かべると藤井に挨拶をした。


「それでは私はこれで失礼致しますね。」


朱莉は蓮をベビーカーに乗せ、荷物をフックに掛けると言った。


「翔さん、また明日伺いますね。何か欲しいものがあれば連絡下さい。」


「ああ、有難う。」


するとそこへ看護師の藤井が話に割り込んできた。


「面会時間は午後の3時からになりますからね。必ず守って下さいね。」


「はい、分かりました。それでは失礼致します。」


朱莉は頭を下げ、ベビーカーを押して病室を後にした。




パタン・・・。


病室のドアが閉じられると、藤井が声を掛けてきた。


「今の方が奥様ですか?」


「え?ええ・・・そうです。」


「とっても綺麗な方でしたね。」


藤井は体温計を取り出すと、翔のシャツの中に手を入れてきた。


「あ、あの!それ位自分で出来ますからっ!」


焦った翔は体温計を奪うように藤井から取ると、自分で脇の下に入れた。


「・・・。」


その様子をじっと見つめる藤井。


「あの・・何か?」


あまりにもじっと自分を見つめてくる看護師に困惑して翔は尋ねた。


「いえ・・・今迄この特別個室を使われた方は年配の方々ばかりで・・鳴海さんのようにお若い方は初めてだったのもですから・・。どんな方なのだろうとナースステーションで盛り上がっていたのですよ?」


「は、はあ・・・?」


翔は曖昧に返事をしながら思った。


(な・・何なんだ・・?この看護師は・・・。)


「それにしても・・・随分と他人行儀な言葉遣いをされておりましたよね?ご夫婦なのに・・・。」


藤井はカルテを見ながら言う。


「は?」


(一体いきなり何を言い出すんだ・・・?それに・・・診察があると言っていたけど・・・まだ医者は来ないのか・・?)


そこで翔は尋ねた。


「あ、あの・・・先生はいつこの病室へ来るのでしょう?」


すると藤井は驚くべきことを言った。


「先生の回診は午後4時からなんです。まだ後30分は先になりますね。」


「ええ?そ、それじゃ・・何故こんなに早くこの病室へ来たのですか・・?」


何故か若干身の危険を感じた翔は尋ねた。


「ええ・・・患者さんの事を良く知るためにお話に伺ったんです。」


藤井は頬を赤らめながら翔を見た—。





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