8-12 琢磨の葛藤

ピンポーン


翔が洗濯物を干している頃、インターホンが鳴った。


「お?来たか?」


翔はモニターを覗きこむと、そこには琢磨が映っている。


「今入口を開けるから待ってろ。」


翔はモニター越しに呼びかけると、琢磨は黙って頷く。


「・・・?」


その様子に翔は訝しんだものの、部屋番号を操作してエントランスを開けた。

そしてものの3分も経たないうちに、再びインターホンが鳴り響いた。

翔は玄関に向かい、ドアを開けた。


「よお・・・翔。」


琢磨は左手を少し上げた、右手には大きなキャリーバックを手にしている。


「・・・なんだ?お前・・・ホテルは・・・。」


翔が言いかけると、琢磨が言った。


「悪い、部屋へ入れてくれ。」


「あ?ああ・・いいぞ?」


翔が避けると、琢磨は翔の前を横切り上がり込んできた。琢磨が通り過ぎた際、身体から女性用の香水の香りに翔は気付いた。


「翔・・・来て早々に悪いが・・・シャワー浴びさせてくれ。」


いつになく、切羽詰まった様子で琢磨が言った。


「あ、ああ・・別に構わないが・・それより・・お前どうしたんだ?その匂い・・。」


「匂い?」


琢磨は自分の袖をクンクンと嗅ぎ、途端に不機嫌そうに顔を歪め、忌々しそうに言った。


「くそっ!服にまで・・・っ!」


「お、おい・・・琢磨・・・おまえ・・・。」


「話しなら後で聞くっ!それよりも早くシャワー浴びさせてくれっ!」


琢磨はやけくその様に喚くのだった―。




 それから約30分後・・・。


シャワーを浴びに行った琢磨は未だにバスルームから出てこない。

洗濯物を干し終え、蓮の離乳職の準備をしながら翔は時計をチラリと見て呟いた。


「遅いな・・・琢磨の奴・・・男のくせに、女みたいに長いな・・・。うん?女・・・?もしかして・・・?」


その時・・・。


「ふう〜・・・やっとすっきりした・・・。」


Tシャツにデニム姿というラフな格好でタオルで髪を拭いながら、琢磨がバスルームから現れた。


「何だよ、琢磨・・・お前随分長かったな?」


丁度離乳食づくりを終えた翔が声を掛けた。


「ああ・・・ちょっとな・・。所でいい匂いがするな?何を作っていたんだ?」


「ああ、これは・・・。」


翔が言いかけた時、琢磨は鍋の中を見て驚いた。


「うわ?!な、何だ・・・?この緑色の粒粒に白い物体は・・・?」


「ああ、これは蓮の離乳食でほうれん草と御かゆのしらす煮だ。食べるか?」


「誰が離乳食を食べるか!」


琢磨が言うと、翔はニヤリと笑った。


「ほんの冗談だ。真に受けるな。」


「お、お前・・・冗談ってな・・・。はあ・・・もういい。言い返す気力も湧いてこない・・。」


ドサリとダイニングテーブルの椅子に座ると琢磨は溜息をついた。

そんな様子の琢磨を見ながら翔は声を掛けた。


「琢磨。コーヒー・・・飲むか?」


「ああ・・・頼む。」


力なく答える琢磨に翔は無言でコーヒーの準備を始めた。



「ほら。飲めよ。」


翔はカップに注いだコーヒーを琢磨の前に置くと、向かい側の椅子に座った。


「サンキュー。」


琢磨が一口コーヒーを飲んだところで翔は尋ねた。


「おい、琢磨。昨夜・・・お前一体急に何処へ消えたんだよ?会話の途中で眠ってしまったから一度お前をテーブルに残して二階堂先輩達と飲んで・・1時間後位に戻れば、お前の姿が消えているんだから驚いたよ。」


それを聞いた琢磨は顔を上げた。


「何だって・・・?翔・・・お前・・酔って眠ってしまった俺をテーブルに置き去りにしたのか?!」


「ああ、そうだ。悪かったか?」


「お、お前・・なあ・・・お前が俺をそんな所に置き去りにしなければ、俺は・・・。」


琢磨は両手で顔を覆うと、ため息をついた。その様子で翔は何となく察しがついた。


「琢磨・・・お前・・・ひょっとすると・・・女にお持ち帰りされたのか?」


「そんな言い方するなっ!女じゃあるまいし・・・っ!」


琢磨は顔をあげて喚いた。


「だが・・・事実なんだろう?」


しかし、それに動じることなく翔は言う。


「あ、ああ・・・そうだよ・・・。目が覚めたら・・ベッドの中で・・隣に見知らぬ女が眠ってた。」


ため息をつきながら琢磨は右手で頭を掻きむしった。


「まあ・・・深くは聞かないが・・・どうりでお前の身体中から女の香水の匂いがしていると思ったよ。」


「・・・。」


琢磨は黙ってコーヒーを飲んでいる。


「それで?その後は?」


「何だ?その後って?」


「だから、その女性と付き合うのかって聞いてるんだ。」


「はあっ?!付き合うはず無いだろうっ?!名前だって知らないのにっ!」


ダンッ!


右手のげんこつでテーブルを叩きながら琢磨が言う。


「え・・・?お前・・・名前を知らないって・・・。」


「だから・・・女が目を覚ます前に・・逃げて来たんだよ。・・一応、ホテル代って事で・・2万円置いて・・・。」


徐々に声が小さくなっていく琢磨の様子に、翔の顔が呆れ顔に変化していく。


「おい・・・お前・・・それって・・・。」


「ああ、分かってるって!まるで・・・金で女を買ったみたいだと言いたいんだろう?だがな、俺が置いていった金はホテル代だからなっ?!」


「しかし・・・お前・・・名前も知らないって・・。」


翔は頭を抱えながら言う。


「し・・・仕方が無いだろう?大体・・・俺は何一つ覚えていないんだからっ!」


琢磨は必死で弁明する。


「おまえ・・・何も覚えていないって・・・自分の身元を証明するような物・・まさか渡したりしてないよな?」


「あのなあ・・何も覚えていないって言っただろう?知るかよっ!」


「どうするんだ・・・?1年後とかに・・その女が子供を連れてお前の元に現れたら・・。」


「お、おい・・・へ、変な事・・・言うなよ・・。」


琢磨は声を震わせた。


「だけど・・・もし、そうなった場合・・・。」


翔は琢磨を見た。


「その場合は・・?」


琢磨はゴクリと息を飲む。


「相手が結婚を申し出てきたら受け入れ・・・認知を希望した場合も・・受け入れるしか無いだろう?」


「そ、そんな・・・。」


琢磨はガックリと肩を落とした。そんな様子の琢磨を見ながら翔は思った。


男でも、女に食われてしまう場合があるのだと―。


「く・・くそっ!お、俺は・・・当分禁酒するぞっ!」


突如、琢磨は立ち上がると自分の鞄の中身をごそごそ漁り、スマホを取り出した。


「おい?どうした?琢磨。」


「今からオハイオ行の飛行機があるか調べるんだよ!」


琢磨はスマホをタップすると、航空会社のHPの画面を出した。


「おい?お前・・今からオハイオ行の飛行機を探すって・・本気で言ってるのか?」


「ああ、本気だ・・・!」


「後5日は日本にいる予定じゃ無かったのか?それに朱莉さんに・・・黙って戻るつもりなのか?」


「ああ、そうだ・・・俺は朱莉さんの事が好きなのに・・・酔った勢いで見知らぬ女と関係を持ってしまって・・・どの面下げて朱莉さんに会えるって言うんだよ・・。」


「琢磨・・・お前・・何言ってるんだ?本気でそんな事考えてるのか?」


翔は琢磨の考えについていけなかった。とても大の大人の男がいうセリフには思えなかった。


「悪いか?それだけ俺は・・朱莉さんに本気だって事だ・・。よしっ!丁度良い時間があったっ!これに乗ろう!」


「お、おい?!琢磨?」


しかし、琢磨は翔の呼びかけに答えずに立ち上がると言った。


「翔、今度はいつ日本に戻れるか分からないが・・・元気でな。」


「琢磨・・お前・・朱莉さんに黙っていなくなるつもりなのか?」


「ああ、よろしく伝えてくれ。」


何処か寂しげに琢磨が言う。


「・・・。」


そんな様子の琢磨を少しだけ無言で見つめていた翔はやがて声を掛けた。


「空港まで送るよ・・。」


「いや、いい。1人で色々考えたい事があるし・・・。」


「分かった、元気でな・・。」


「ああ、翔。お前もな。」



そして琢磨は翔に見送られ、マンションを後にした―。


















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