3-5 微細な変化
「くそっ!」
翔は玄関に入ると乱暴にドアを閉めた。靴を脱いで部屋にあがると明日香のメモを見直す。
翔は無言でそのメモを握りつぶすと、自室へと向かった。翔の自室には両サイドに大きな引き出しが付いた書斎用デスクが置かれている。翔はそのデスクの間にしゃがむと引き出しを開けた。その引き出しには実はからくりがあり、さらに手のひらサイズの隠し引き出し機能が備わっている。翔はそれを開けた。中には鍵が入っている。この鍵は書斎に置かれている本棚の引き出しの鍵である。
翔は引き出しの鍵を開けると、中にはひもでくくられた手紙と写真てが裏表反対に入れられていた。
「・・・・。」
翔は震える手でフレームを手に取り、表に返した。その写真には2人の人物が映っている。翔はその写真を食い入るように暫く眺めていた。
「あれから10年か・・・。」
翔は写真を見ながらポツリと呟いた。
(何故だ・・・?もうずっと気にも留めず・・忘れかけていたのに・・何故今頃になって思い出すんだ・・・?やはり明日香が10年間の記憶を一時的に失った時に・・お前の事が頭をよぎったのかもしれないな・・。)
こうして写真を見ていると、2人だけで写真を撮った10年前のあの日の事が思い出される。
< 翔は優秀だけど・・もう少し他者を労わってあげた方がいいよ。そうしないと・・いずれ皆が去って行ってしまうかもしれないよ? >
< 何馬鹿な事を言ってるんだよ。少しでも俺が相手の人間より立場が上なら、そんな事は無いはずだろう? >
(そう答えた時・・・どこか悲し気な瞳で俺を見ていたな・・・。)
あの時は何て馬鹿な事を言うのだと鼻で笑ってしまったが・・・。
(お前の言葉の通りになったよ・・・。琢磨は俺と縁を切ってしまったし・・明日香も俺の元をじきに去ろうとしているかもしれない・・・。)
思えば親友であった琢磨を自分の専属秘書にしたのも、その考えがあったからかもしれない。
その時、翔は先ほどの朱莉の涙を浮かべた姿を思い出した。途端に罪悪感に襲われる。
(朱莉さん・・・乱暴に言い過ぎてしまった・・・。)
翔は祖父や明日香が絡むとどうしても冷静でいられなくなるのは自分でも良く分かっていた。それは自分の今のポジションを失いたくないと言う焦りの気持から来ているのも分かっている。
「俺は・・・無意識に怯えているのかもしれないな・・・。」
(怖がられるかもしれないが・・明日、朱莉さんに謝罪のメールを送ろう・・。)
そして再び深いため息をついた―。
一方の朱莉は蓮のベビーベッドの側に座り、翔からもらったマウスピースを握りしめていた。
『須藤さんは金属アレルギーだから、このマウスピースを使うといいよ。』
朱莉のお見舞いに来てくれた時に笑顔でそう言ってプレゼントしてくれたあの日の事は今でもはっきり覚えている。普段は冷たい感じの先輩だと思っていたけど、朱莉と2人きりの練習の時はとても優しかった。そのギャップがあったからこそ・・翔に余計惹かれていったのだった。
父の病気のせいで退学をせざるを得なくなったった時はとても悲しかった。もう二度とこれで会えなくなるのだろうと思うと辛くて堪らなかった。
だから、再会出来た時は本当に嬉しかったのに・・今自分に向けられるのは敵意の込められた目。
あの時の優しい瞳は何処にも無かった。何より病院に迄お見舞いに来てくれていたのに、その記憶すら翔は忘れているようで・・・それも非常に悲しかった。
「これ以上嫌われない為には・・・どうすればいいの・・・?」
朱莉はポツリと呟いた―。
翌朝―
翔は憂鬱な気分で社長室にいた。
「おはようございます、翔さん。コーヒーをお持ちしました。」
秘書の姫宮がコーヒーを翔のデスクに置いた。
「ああ、ありがとう・・・。」
翔は溜息をつきながら言った。
「翔さん・・・。どうかされましたか・・・・?」
姫宮は翔の様子に気付き、声をかけてきた。
「あ・・・いや、昨夜・・少し朱莉さんにきつく当たってしまって・・・。」
「朱莉様にですか・・・?」
「ああ・・・・。疑ってしまったんだ・・・。お宮参りの件で・・ひょっとすると俺が最初に朱莉さんにお宮参りには1人で行くようにと言ったから、それに不満を持った朱莉さんが会長に連絡を入れたんじゃないかって・・・。馬鹿だよな。朱莉さんが会長の連絡先を知るはずは無いのに・・。それで今朝謝ろうとメッセージを打とうと思ったんだけど・・・何と書いたら良いか分からなくてね。」
「・・・・。」
姫宮は何を思ってるのか、少しだけ眉を潜めながら話を聞いていたが・・言った。
「何か・・お詫びにプレゼントでも差し上げたらいかがでしょうか?」
「プレゼント?」
「はい、朱莉さんが好みそうなプレゼントです。」
「・・・。」
翔は考え込んでしまった。朱莉のプロフィールなど、殆ど把握していない。知っているのは学歴、勤務履歴、家族構成のみだった。
「駄目だ・・・。俺は朱莉さんの事を何も突知らなさすぎる・・・。」
「そうですか・・・。う〜ん・・・それなら無難なところでスイーツなどは如何ですか?幸い、ここ六本木には有名スイーツ店がたくさんありますし・・。」
「姫宮さんはスイーツは好きなのかい?」
「ええ。好きです。女性の殆どは好きだと思いますけど?」
「そうか。なら・・・姫宮さんにお願いしてもいいかな?」
「はい、大丈夫です。出来れば今日渡された方がよろしいかと思いますけど?今夜会長に会われる前に・・。」
「そうだな・・・。時間指定は無かったが、早目のほうがいい。悪いけど買いに行って来てくれるかい?」
「はい、すぐに行ってまいります。急ぎの書類はこちらになりますので目を通しておいて下さい。そしてこちらが昨日お話したパンフレットのサンプルになります。」
姫宮は書類とパンフレットを翔のデスクに置くと頭を下げた。
「では、行ってまいります。」
そしてコートを羽織ると、オフィスを後にした。
オフィスビルを出て、暫く歩きだしてから姫宮はスマホを手に取り、電話をかけ始めた。
耳に押し当て、相手が出たのだろうか。通話を始めた。
「もしもし・・・。また問題を起こしてしまったわ。・・・ええ。・・そうね・・。もうそろそろ・・・いいんじゃないの・・・?」
その後も姫宮は会話を続けた—。
「会長、そろそろ羽田に到着しますよ。」
隣に座っていた男に鳴海猛は声を掛けられた。
「あ、ああ。もうそんな時間か。」
「はい、・・・随分熱心に目を通されていましたね・・・。」
男はチラリと猛の持つA4用紙に目を落した。
「ああ・・・。今迄の報告書を読んでいたんだが・・・。」
猛は深いため息をついた。
「どうされたのですか・・・?会長。」
「いや・・・翔の奴・・・若い頃の自分に性格がよく似ていると思ってな。翔の父親にはちっとも似ていない。強引なやり方とか・・その強気な態度・・等。むしろ雄二に似ている気がする。時には、それでもいいかもしれないが、今に恨みを買いそうで・・・それが怖い。」
「・・・。後継者の件についてはどうされるのですか・・・?翔様は例の件、御存じなのですか?」
「まさか!あいつに言うはずないだろう?後数年様子を見て・・・決める事にしよう。その為に・・・準備を進めている所なのだから・・・。いいか、この事は他言無用だからな?誰にも話すなよ?絶対に知られてはならないのだからな。」
鳴海猛は男に念押しした―。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます