1-8 帰国の知らせ

「それじゃ、朱莉さん。次は翔から何か言って来るかもしれないけど、くれぐれもアイツの滅茶苦茶な要求には答えたら駄目だからな?」


タクシーに乗り込む直前の朱莉に琢磨は念を押した。


「九条さん・・・。随分心配性なんですね。私なら大丈夫ですから。」


朱莉は笑みを浮かべた。


「よし、そうだ・・・。もし翔から契約内容を変更したいと言ってきたら・・・そうだな。まずは俺に相談してから決めると返事をすればいい。」


そこまで言った時、タクシー運転手が言った。


「すみません・・後が詰まってるので・・・出発させて貰いたいのですが・・・。」


「あ、あ!すみませんっ!」


琢磨は慌ててタクシーから離れると、朱莉は乗り込み、ドアはバタンと閉められた。車内で朱莉が琢磨に頭を下げる姿が見えたので、琢磨は手を振るとタクシーは走り去って行った。


「ふう・・・。」


タクシーの後姿を見届けると、琢磨はスマホを取り出して、何処かへ電話を掛けた。



「もしもし・・・はい。そうです。今別れた所です。・・・・・ええ。きちんと伝えましたよ。・・・後はお任せします。え?・・・いいのかって?・・・・あなたなら何とかしてくれるでしょう?それだけの力があるのですから。・・・失礼します。」


そして電話を切ると、夜空を見上げると呟いた。


「雨になりそうだな・・・。」




 翌朝―6時


朱莉はベッドの中で目を覚ました。昨夜は琢磨から聞いた翔の伝言の事で頭がいっぱいでろくに眠る事が出来なかった。寝不足でぼんやりする頭で起きて、着替えをするとカーテンを開けた。


「あ・・雨・・。道理で薄暗いと思った・・。」


今日は朱莉の車が沖縄から届く日になっている。車が届いたら朱莉は買い物へ行こうと思っていた。それは新生児に効かせる為のCDである。

これから複雑な環境の中で育っていく子供だ。せめて綺麗な音楽に触れて、情操教育を養ってあげたいと朱莉は考えていた。


洗濯物を回しながら朝食の準備をしていると、翔との連絡用のスマホに着信を知らせる音楽が鳴った。


(まさか、翔さん?!)


朱莉はすぐに料理の手を止め、スマホを見ると。やはりそこにあったのは翔からのメッセージである。

今朝は一体どんな内容が書かれているのだろう?翔からの連絡は嬉しさの反面、怖さも感じる。好きな人からの連絡なのだから嬉しい気持ちは確かにあるのだが問題はその中身である。大抵翔からのメールは朱莉の心を深く傷つける内容が殆どを占めている。


(やっぱり・・・契約内容の変更について・・・なのかなあ・・。)


朱莉はスマホをタップした。


『おはよう、朱莉さん。突然で申し訳ないが、急遽明日帰国する事が決定したよ。13時半に羽田空港へ到着する予定だ。子供の名前は蓮。朱莉さんには蓮を連れ帰って欲しいから車で来てくれないか?よろしく頼む。朱莉さん、早く君に会いたい。また後で連絡するよ。』


え・・・?

朱莉は最後の言葉に目を見張った。見間違いでは無いだろうかと思い、何度も何度も目を擦ってメッセージの中身を確認した。

間違いない。


「ほ、本当に・・・?翔さん。本当に私に会いたいって・・・思ってくれていたんですか・・?」


思わず目頭が熱くなり、気付けば朱莉は涙を浮かべていた。信じられなかった。

翔から冷たい言葉は投げかけられた事はあったけれども、こんなに温かなメッセージを送ってくれたことは今迄一度も無かったからだ。

この言葉があれば、朱莉は頑張れそうな気がする。そして、朱莉は改めて思った。


「やっぱり・・・私は翔先輩の事が好き・・・。」


スマホを胸に抱きしめ、朱莉は幸せそうに笑みを浮かべた—。



 朝食を食べ終わり、片付けをしていると今度は朱莉の個人用スマホに電話がかかって来た。それは琢磨からであった。

昨夜琢磨と互いのプライベートな電話番号とメールアドレスを交換したのである。


「はい、もしもし。」


『おはよう、朱莉さん。翔から何か連絡はあったかい?』


「はい、ありました。突然ですけど明日帰国してくるそうですね。」


『ああ、そうなんだ。俺の所にそう言って来たよ。それで明日香の為にも俺にも空港に来てくれと言って来たんだ。・・・当然朱莉さんは行くんだろう?』


「はい、勿論行きます。」


『朱莉さんも当然車で行くんだろう?』


「はい、九条さんも車で行くのですね。」


『それが聞いてくれよ。翔から言われたんだ。車で来て欲しいけど、俺に運転しないでくれと言ってるんだ。仕方ないから帰りだけ代行運転手を頼んだんだよ。全く・・いつまでも俺の事を自分の秘書扱いして・・・!』


苦々し気に言う琢磨。

それを聞いて朱莉は思った。


(だけど・・九条さんも人がいいのよね。何だかんだ言っても、いつも翔先輩の言う事を聞いてあげているんだから。)


朱莉の思う通り、琢磨自身が未だに自分が翔の秘書の様な感覚が抜けきっていないのも事実である。それ故、多少無理難題を押し付けられても、つい言いなりになってしまう事に琢磨自身は気が付いていなかった。


「でも、どうしてなんでしょうね?九条さんに運転をさせないなんて?」


朱莉は不思議に思って尋ねた。


『それはね、全て明日香ちゃんの為さ。明日香ちゃんは自分がまだ高校2年生だと思っているんだ。その状態で俺が車を運転する訳にはいかないんだろう。全く・・・せめて明日香ちゃんが自分の事を高3だと思ってくれていれば、在学中に免許を取ったと説明して運転出来たのに・・・。』


琢磨のその話がおかしくて、朱莉はクスリと笑ってしまった。


「でも・・・その場に私が現れたら、きっと変に思われますよね?明日香さんには私の事何て説明しているのでしょう?」


『・・・・。』


何故かそこで一度琢磨の声が途切れた。


「どうしたのですか?九条さん。」


『朱莉さん・・・君は何も聞かされていないのかい?』


「え・・・?」


『くそっ!翔の奴め・・・いつもいつも肝心な事を朱莉さんに説明しないで・・・!』


「え?どういうことですか?」


(何だろう・・・何か嫌な胸騒ぎがする。)


『俺も今朝聞いたばかりなんだよ。翔は現地で臨時にアルバイトとして女子大生とベビーシッターを雇ったらしい。その女子大生を子供の母親と見立て、皆でファーストクラスに乗って日本に戻って来る。・・そこまでして翔は明日香ちゃんに事実を隠しておきたいのさ。』


朱莉は言葉を無くしてしまった。まさかそこまで明日香は重症化していたとは思いもしていなかった。


『それで、これは恐らく俺の勘だが・・・多分朱莉さんは見知らぬ他人とみなして翔は空港では接触してこないだろう。朱莉さんは日本人女子大生とベビーシッターから子供を預かり、そのまま帰宅する事になるんじゃないかな・・・?何せ、俺の行き先は都内にある病院なんだから。どうやら帰国後、すぐに翔は一時的に明日香ちゃんを入院させるみたいだ。今の秘書がもう手続きを済ませてあるそうだから。』


(今の秘書・・・姫宮さんの事だ・・・!ひょっとして最近姫宮さんから連絡が来なかったのは明日香さんの件で奔走していたから・・・?)


『朱莉さん。ところで今日の予定はどうなっているんだい?』


突然琢磨が話題を変えて来た。


「はい、実は本日沖縄から車が届くんです。それを受け取ったら買い物へ行こうと思ています。」


『俺も朱莉さんの買い物に付き合ってもいいかな?少し明日の件で話したいことがあるから。』


朱莉も明日の件で琢磨と話しておきたいと思ったので、当然了承した。


「はい。私も是非会ってお話したいと思っていたので・・・午後2時頃は如何ですか?」


『よし、それじゃエントランスで待っていてくれ。迎えに行くから、それじゃまた後でね。』


「はい、お願いします。」


そして2人は電話を切った。







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