7-15 東京へ向けて
翌朝、朱莉は隣の部屋の物音で目が覚めた。
「・・・?」
時計を見るとまだ時刻は6時前である。
「九条さん・・・?」
(ひょとして・・・もう出掛けるのかな?)
朱莉も急いで着替えると、九条の部屋をノックしながら声を掛けた。
「おはようございます、九条さん。」
すると隣から琢磨の返事が聞こえた。
「え?朱莉さん・・・もう起きたのかい?」
「はい。あの・・・ドア、開けてもいいですか?」
「ああ。いいよ。」
「失礼します。」
朱莉がドアを開けると、そこにはもうスーツ姿の琢磨の姿がそこにあった。
「おはよう、朱莉さん。もう・・・起きても大丈夫なのかい?」
琢磨が心配そうに尋ねる。
「はい。もう大丈夫です。お薬が効いたみたいですね。色々お世話になりました。それで・・・もう那覇空港に行くのですか?」
「ああ。7時の羽田行の便に乗るんだ。」
「翔・・・さんも一緒ですか?」
朱莉は躊躇いがちに尋ねた。
「うん。そうだよ・・・空港で待ち合わせをしている。」
「あの・・・私・・。」
「見送りは別にいいからね。」
朱莉が何を言おうとしたのか琢磨に意図が伝わった。
「え・・・、でも・・・。」
すると琢磨が言った。
「朱莉さん、レンタカーはもう返却してあるんだ。俺はタクシーで空港へ向かう。だから朱莉さんとはここでお別れだ。」
「九条さん・・・。」
「もう部屋の支払いは済んでるし、10時まではこの部屋に居られるから・・・それまではここで休んでいるんだ。ホテルを出る時フロントに声をかければいいからね。」
琢磨は内心の気持ちを隠しながら言った。
(くそっ・・・!本当は今すぐに一緒に東京へ連れ帰りたいのに・・・!)
「九条さん・・・。色々お世話になりました。感謝しています。」
改めて朱莉は頭を下げた。
「いや、いいんだよ。むしろ・・・こんな所まで連れてきてしまった事が申し訳ない位なんだから。」
「でも・・。」
朱莉が言い淀むと琢磨が言った。
「毎晩・・・。」
「え?」
「い、いや・・・毎晩、沖縄での様子をメッセージで送って貰えると・・安心かな?」
「はい、分かりました。報告ですよね?必ず入れますね。」
朱莉は笑みを浮かべて答えた。
「報告・・・。」
琢磨は口の中で小さく呟く。琢磨は報告して欲しいとの意味で言った訳では無かった。ただ・・・朱莉が心配で、朱莉とメッセージのやり取りをしたくて提案したのだが、朱莉にとってはその事を『報告』と取られた事がやるせなかった。
(所詮・・・朱莉さんに取っての俺は・・・翔にとっての『秘書』なんだろうな・・。)
しかし、それでも構わないと琢磨は思った。自分は朱莉にとって相応しくない人間だ。だから自分が朱莉に出来るのは契約婚の間、朱莉の負担を出来るだけ・・・軽くしてやる、それが自分の務めだと思う事に決めたのだ。
「九条さん?どうしましたか?」
朱莉が黙り込んでしまった琢磨に声を掛けた。
「あ、いや。大丈夫、何でも無いよ。さて・・・俺はそろそろ行くね。朱莉さん・・元気でね。」
琢磨はキャリーケースを持つと言った。
「はい。九条さんも・・・お元気で。」
朱莉は笑みを浮かべて琢磨を見つめた。次の瞬間・・・一瞬琢磨は苦しそうに顔を歪め、朱莉の肩を掴むと自分の方へ抱き寄せた。
「え?く、九条・・・さん・・・?」
朱莉は突然の事に戸惑っていると、琢磨が耳元で囁いた。
「朱莉さん・・・翔に何か理不尽な事を言われたら・・必ず俺に知らせてくれよ?」
「え?」
おどろいて琢磨を見上げた次の瞬間、琢磨は朱莉を離していつもの琢磨に戻っていた。
「それじゃあね。朱莉さん。」
「は、はい。お元気で。九条さん。」
そして琢磨は背を向けるとホテルの部屋のドアを開けて立ち去って行った―。
部屋から琢磨が去った後、朱莉はポツリと呟いた。
「九条さん・・今のは一体・・・?」
那覇空港―
搭乗ゲートに琢磨が行くと、既にそこには翔の姿があった。
「・・おはよう、琢磨。」
翔が躊躇いがちに声を掛ける。
「ああ、お早う。」
琢磨は少し不機嫌に返事をする。
「その・・・悪かった。朱莉さんの具合はどうだ?」
翔は琢磨に尋ねた。
「昨夜風邪薬を飲ませたからな・・・。もう今朝は熱が下がっていたようだ。元気そうだったしな。」
(何だ?今の言い方・・・まるで朱莉さんの様子を見て来たみたいだ。)
そこで翔は琢磨に尋ねた。
「琢磨・・・お前、宿泊した部屋は確かスイートルームで部屋があまっているって言ってたよな?」
「ああ、言った。」
「ひょっとして・・・朱莉さんをお前の部屋に宿泊させたのか?」
「何だ?悪いか。病人を放っておけるはず無いだろう?お前達じゃあるまいし。」
琢磨はモルディブの件を持ちだしてきた。
「い、いや・・・確かにあの時は本当に悪いことをしてしまったと思っている。」
「お前のその台詞はもう聞き飽きたよ。」
琢磨はぶっきらぼうに答えた。
「そ、それより・・・なら本当に朱莉さんをお前の部屋に泊めたんだな?」
「ああ。そうだ。・・・心配だったからな。」
「琢磨。お前・・・。」
その時、館内放送が流れた。翔と琢磨の乗る便の案内であった。
「よし、それじゃ行くか。翔。」
琢磨は荷物を持つと言った。
「ああ、そうだな。着いたらすぐに仕事だ。」
そして2人は東京へ向かった。
飛び立つ飛行機の中で琢磨は思った。
(朱莉さん・・・どうか・・元気で・・・。今度は俺から会いに行くから・・。)
そして瞳を閉じた—。
朱莉は今、ホテルのレストランで朝食を取っていた。
するとそこへ、昨日琢磨に声を掛けて来た2人の女性が中へ入って来た。そして朱莉と偶然目が合う。
2人の女性は目配せし合おうと、何故か朱莉の方へと近付いて来た。
「おはようございます、昨日はどうも。」
セミロングのやや釣り目の女性が朱莉に挨拶をしてきた。
「おはようございます。」
朱莉も挨拶をしたが、思った。
(この人達・・・どうして私に声をかけてきたんだろう・・・?)
「今朝、彼氏さんは見かけないようですけど・・どうしたんですか?」
別の女性が続けて尋ねる。
(彼氏さん・・・九条さんの事かな?)
「彼なら・・今朝もう東京へ戻りました。仕事があるので。」
「まあ・・・彼女を置いて1人で東京へ?それって・・ちょっと冷たいんじゃないかしら?」
セミロングの女性が言う。
「何故ですか?」
朱莉は尋ねる。一体この女性は何を言いたいのだろう?
「だってねえ・・・折角沖縄まで来たのに、自分だけさっさと帰ってしまうなんて・・・。それとも貴女とあまり一緒にいたくなかったのかしら?地味な服装してるしね。」
もう1人の女性も何処か嫌みっぽく言う。
朱莉はそれを聞いてムッとしてしまった。
「私の事は・・・どう言われても構いませんが、彼を悪く言うのだけはやめて下さい。本当に・・・優しくて素敵な男性なのですから。」
朱莉はコーヒーを飲み終えると、素早く席を立った。
「すみません、お先に失礼します。」
そして足早にそこを立ち去りながら思った。
信じられなかった。この自分が・・・見知らぬ女性達にあんな強気な態度を取ってしまった事が。
今迄の朱莉は誰からも言われっぱなしで言い返すことなど出来なかった。
ただ・・・琢磨の事だけは悪く言われたくなかったのだ。
(私・・・一体どうしちゃったんだろう・・?)
朱莉は部屋に戻ると、誰もいない広々とした室内を見渡し、ポツリと言った。
「お母さんに・・・連絡入れ忘れちゃった・・・。」
そして朱莉はスマホを手に取った―。
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