6-5 熱帯魚が生んだ偶然
PCにずっと目を通していた琢磨は正午を告げる音で我に返った。
「あ、まずいっ!行かないとっ!」
琢磨は貴重品をクラッチバッグに入れ、車のキーを持つと慌ててマンションを飛び出して行った―。
同時刻-
教習所の抗議と実習が終わり、朱莉はスマホの電源を入れた。すると1件の新着メッセージが届いてた。その着信相手を見て朱莉は驚いた。
「え・・・?あ・明日香さん・・・?」
何だろう?明日香からのメッセージは朱莉にとっては嫌な予感しか感じられない。
おまけにメッセージにはファイルも添付されている様だった。
朱莉は深呼吸をして心を落ち着かせるとメッセージを開き・・・その表情はすぐに悲しみの色が宿った。
『朱莉さん、私と翔は今沖縄に着いた所よ。ゴールデンウィーク中はずっとこっちにいるからあの自宅にはいないからね?あ・そうそう。悪いけど、私達が不在の間熱帯魚に餌やりをしておいてくれるかしら?鍵はコンシェルジュに預かって貰っているから、受け取って置いて。5月4日に戻って来るからよろしくね。お土産買ってきてあげるわよ。何がいいかしら?特に希望が無いならこっちで選んで買って来るわ。それじゃあね。』
そして添付ファイルには明日香と翔が楽し気に美しい海を背景にトロピカルジュースを飲んでいる写真が添えてあった。
翔先輩が・・・明日香さんと2人で沖縄旅行へ・・・
何故翔先輩は沖縄旅行へ行く事を教えてくれなかったのだろう?気を遣って?それとも私が一緒に行きたいと言い出すと思ったから・・?
「そんな事・・言うはず無いのに・・・。だって私は2人の仲に入って行くつもりなんか・・・全然無いのに・・むしろ・・・・。」
むしろ、後から話を聞かされる方が余程傷付く。それなら初めから・・・何も言わずに行って・・・帰って来てくれた方がマシだと朱莉は思ってしまった。
「でも明日香さんが熱帯魚を飼い始めていたなんて・・知らなかった。それじゃ急いで戻らないと。」
朱莉は早足で雑踏の中を歩き始めた—。
「え?鍵はもう渡してあるんですか?」
朱莉は億ションのコンシェルジュの話に戸惑いを隠せなかった。
「ええ。そうです。先程鳴海翔様の第一秘書を名乗る『九条琢磨』様と言う方が鳴海様のお部屋の鍵を持って向かわれましたが?」
女性コンシェルジュは朱莉に言った。
「分かりました、どうもありがとうございました。」
朱莉は頭を下げるとフロントを後にし、エレベーターに乗り込んだ。
(一体九条さんが何故翔先輩と明日香さんのお部屋に・・?でも私も明日香さんに頼まれごとしているから・・・お部屋に行かなくちゃ・・・。)
朱莉は翔と明日香の部屋の階のボタンを押した―。
「ふう・・・。こんなものかな?」
琢磨は熱帯魚の餌やりを終えると、冷蔵庫を開けて缶コーヒーを取り出した。
「悪いな、翔。手数料としてコーヒー貰っていくぞ。」
そしてプルタブに指を掛けようとした時・・・インターホンが鳴った。
「うん?何だ?ネットの宅配でも届いたのか?」
琢磨はモニターを確認したが、誰もいない。もしかすると・・・・同じ億ションの住人でも尋ねてきたのだろうか?
琢磨はドアアイを覗き込み・・・驚いた。
「あ・・・朱莉さんっ?!」
まさか朱莉がこの部屋を訪れて来るとは琢磨は夢にも思っていなかった。
(まずい事になったな・・・・。翔と明日香ちゃんがこの部屋に居なくて、代わりにこの俺がここにいる状況を朱莉さんに説明しないと・・・。朱莉さん・・きっと傷付くだろうな・・・。)
憂鬱な思いで琢磨はドアを開けた。
「や、やあ・・・朱莉さん。今日は。」
しかし、琢磨にとって朱莉の反応は意外なものだった。
「こんにちは、九条さん。九条さんも何か翔さんに頼まれごとをされたのですか?」
「え?俺もって・・。ひょっとすると朱莉さん・・・。あ、立ち話もなんだから上がりなよ。って言っても俺の家じゃないんだけどな?」
琢磨は笑みを浮かべると、部屋の中へ朱莉を招き入れた。
「おじゃまします・・・って何だか変な感じですね。家主さんがいないのに・・・。」
朱莉はクスリと笑みを浮かべるのを琢磨は見逃さなかった。
(よかった・・・・。思っていた以上に大丈夫そうで・・・。)
リビングに行くと、朱莉はすぐに大きな水槽に気が付いた。
「あ・・・これが明日香さんの言っていた熱帯魚・・・。」
「え?朱莉さん・・・その熱帯魚の事知っていたのかい?」
朱莉の為に冷蔵庫から缶コーヒーを出して、持ってきた琢磨が意外そうに尋ねた。
「はい、明日香さんからメッセージが届いたんです。今・・・翔さんと沖縄に旅行に行ってるそうですね。」
その時の朱莉の表情は・・・少し寂しげだった。
「あ、ああ・・。そうなんだよ、あの2人・・・今は沖縄に行ってるんだよ。はい、缶だけどコーヒーどうぞ。」
琢磨は朱莉のテーブルの前に缶コーヒーを置いた。
「有難うございます。」
朱莉はプルタブに指を掛けると、プシュッと開けて、一口飲んだ。
「九条さんも・・・翔さんと明日香さんが沖縄に行く事知ってらしたんですね。」
朱莉は缶コーヒーを握りしめ、視線を落とすと言った。
「ああ・・・。俺も実は昨日翔から話を聞かされたばかりなんだよ。それで熱帯魚の餌やりを頼まれたんだ。」
琢磨の言葉に朱莉は顔を上げた。
「え・・・・?そうなんですか?実は私は先ほど明日香さんからメッセージを頂いたんですよ。今・・・沖縄に来ているから代わりに熱帯魚の餌やりをして貰いたいって・・・。」
「何だって?」
琢磨の眉がピクリと動く。
(まさか、明日香ちゃん・・・熱帯魚の餌やりをわざと朱莉さんに頼んだな・・?そうに決まっている。わざと自分達は沖縄旅行に行く事を知らせる為に・・・!)
琢磨の中で改めて明日香に対するいら立ちが募った。
「あの・・・どうかしましたか?九条さん。」
怪訝そうに首を傾げる朱莉に琢磨は慌てて言った。
「い、いや。何でも無い。朱莉さんも熱帯魚の餌やりを頼まれたんだな?でも今日は俺が餌やりをしたからもう大丈夫だよ。」
「そうですね。では九条さん。私に鍵を貸してください。明日から私が熱帯魚の餌やりをしますので。」
朱莉が手を伸ばしてきた。
「え・・?」
琢磨は朱莉をじっと見た。何故か分からないが・・・思った以上に琢磨は今の朱莉の言葉に自分が深く傷ついている事に気が付いた。
何故だ・・?何故俺は今の朱莉さんの言葉に・・・これ程動揺しているんだ・・?
「九条さん・・・?どうしたんですか?」
一方の朱莉は戸惑いながら琢磨を見ている。
(どうしたんだろう・・・九条さん・・。)
「あ・・い、いや。別に俺なら大丈夫だよ。最初に頼まれたのは俺だし・・。」
「でも、私ならこの真上に住んでるので餌やりだけならすぐに終わらせられますけど?九条さん・・・連休の間どちらか出掛ける予定がおありなんじゃないですか?」
「いや、生憎予定は全く無いんだ。」
琢磨は早口で即答した。
「だから・・・そうだ!良かったら連休の間・・・俺がここに餌やりに行くから・・良ければ朱莉さん。俺と一緒にその後何処かへ出掛けないか?ほら、朱莉さんは出掛けるのが好きだと言っていただろう?」
「九条さん・・・。」
朱莉に取って、琢磨の申し入れはとても嬉しいが・・・。
「でも・・・・。」
言いかけた所へ琢磨が言葉を重ねてきた。
「迷惑なんて別に俺は思っていないから。むしろ・・・朱莉さんと何処かへ出掛けたいと俺は思っている。」
真剣な目で琢磨は朱莉に言う。その姿を見て朱莉は思った。
(九条さん・・・そこまで私に同情してくれてるんだ・・。でも・・少しくらいなら・・・甘えみても・・・。)
そう思いかけた時、朱莉のスマホの電話が鳴った。
「え・・?京極さん・・・?」
相手は京極からだった—。
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