5-7 琢磨の贖罪

「朱莉さん・・・少しは落ち着きましたか?」


玄関で琢磨は朱莉を見下ろすと言った。


「は・はい・・・申し訳ございませんでした・・。つい取り乱して・・あ、あんな風に泣いて・・・。お恥ずかしい限りです・・・。」


朱莉は俯きながら言った。いい大人があんな風に子供の様に泣きじゃくる姿を琢磨に見せてしまった事が恥ずかしくて堪らなかった。


「・・そうやって・・・いつも1人で泣いていたんですか?辛い時や悲しい時はいつも・・たった1人で・・。」


琢磨の何処か苦し気な声に朱莉は顔を上げた。その顔は・・・悲し気に朱莉を見つめていた。


「九条さん・・・?」


すると琢磨は突然頭を下げ、ポツリポツリと語りだした。


「朱莉さん・・・私は副社長の部下であり・・・そして親友でもあります。親友は・・禁断の恋と・・会長に会社の為に見合いを強いられ、苦しんでいました・・。そしてついに世間を・・・会長の目を胡麻化す為に『契約婚』という手段を選んだんです。そして私も親友と会社の為に・・・面接と言う手段を取り、応募を掛け・・選ばれてしまったのが・・朱莉さん。貴女だったんです。そして、書類選考をしたのは、他でも無い・・この私です。」


「・・・・。」


朱莉は黙って話を聞いていた。


「私も・・・朱莉さんをこんな辛い立場に追いやった人間の1人です。いや・・最初に朱莉さんを副社長に紹介したのが私だから・・・一番・・・質が悪い男です。だからこそ、私は貴女に罪滅ぼしがしたい。」


「罪滅ぼし・・・?」


朱莉は顔を上げた。


「はい、もし朱莉さんがペットを飼いたいと言うなら・・・私が貴女の代わりに飼って育てます。そして休みの日は貴女にペットを託します。もし、風邪を引いたり、体調を崩したりした場合は・・・時間の許す限り、貴女の元へ駆けつけます。貴女が翔と契約婚を続けるまでは・・出来るだけ朱莉さんの力になります。いや・・そうさせて下さい。」


琢磨は頭を下げた。

その身体は・・震えていた。


「な・・・何を言ってるんですか?九条さん!そんな事・・・九条さんにさせられるわけ無いじゃありませんか!九条さんは翔さんの重責な秘書ですよ?私の事なら・・・大丈夫です。高校を卒業してからは・・・ずっと1人で生きて来たんです。思った以上に強いんですよ?・・・でも今回の事はちょっと・・堪えてしまいましたけど・・・。」


朱莉は最後の方は消え入りそうな声で言った。


「それは・・・副社長の事が・・・好きだから・・ですよね?」


どこか悲し気な笑みを浮かべながら琢磨は言った。


「!ど・・どうして・・・?」


そこから先は朱莉は言葉にならなかった。すると琢磨は言う。


「朱莉さんを・・・見ていればそれ位分かりますよ・・・・。でも・・朱莉さん。悪い事は言いません。翔は・・・何があっても明日香さんとは・・。」


「・・・分かっています。あの2人がどれだけ愛し合っているのか・・。」


だけど・・・それでも私は・・・。

だってあの時、翔先輩のお陰で私は・・・命が助かったのだから・・・。先輩はもう覚えていないかもしれないけれど・・。


「朱莉さん・・・。それでも・・・翔の事を・・・?」


琢磨は悲し気に朱莉を見つめた。


「翔さんの・・お役に立てればそれで私は十分です。でも・・・もう嫌われてしまったかな?ひょっとすると・・明日にも契約婚は終わりになるかもしれませんね?」


朱莉は再び目頭が熱くなってくるのを感じ、手の甲で目を擦った。


「・・・朱莉さんのお母様の件がありますので・・・絶対にそれは阻止します。最も朱莉さんがこの契約婚を終了させたいと思うのでしたら別ですが。」


琢磨の言葉に朱莉は首を振った。


「いいえ・・・許されるなら・・・まだ続けたいです。」


だって・・先輩の役に立って・・・恩返しがしたいから・・・。


「分かりました。・・私の方から副社長に朱莉さんの意思を伝えておきます。・・・どうも夜分にすみませんでした。」


「い、いえ。こちらこそ・・・ご心配をおかけしてしまって・・・!明日もお仕事なのに・・お忙しい所申し訳ございませんでした。」


朱莉が頭を下げると、翔はフッと笑って言った。


「それでは・・・これで失礼致します。・・・おやすみなさい、朱莉さん。」


そして琢磨は深々と頭を下げると帰って行った。


「有難うございます・・・九条さん・・。」


朱莉はそっとお礼を言うのであった―。



 億ションを足早に出ると、琢磨は翔に電話をかけた。


『もしもし・・・。』


5回目のコールで翔が電話に応じた。


「おい、翔。お前・・・まだ病院にいるんだよな?」


『あ、ああ。医者の話では今日は全身麻酔で子宮の中を綺麗にする処置をしたそうだから、付き添いをするように言われているんだ。お前は今何処にいるんだ?ひょっとすると外にいるのか?』


「ああ。そうだ。気の毒な・・・朱莉さんの所へ行っていた所だ。翔・・・人の事を言えないが・・・お前は最低な男だよ。明日香ちゃんに対する優しさを・・ほんの少しでも朱莉さんに分けてやろうとは思えないのか?いいか・・?朱莉さんを傷付けたのはお前だけど・・・彼女を慰められるのも・・・お前しかいないんだよっ!」


歩きながら琢磨は吐き捨てるように言った。


『・・・琢磨。お前・・・。』


「いいか?朱莉さんは今回の事で・・・契約婚を打ち切られるのじゃ無いかって心配していたぞ?彼女はまだお前との契約婚を望んでいる。だから・・いいか?もしお前が朱莉さんとの契約婚を打ち切ろうと考えているなら・・俺が許さない。絶対に阻止するからな?!」


すると電話越しから狼狽えた声が聞こえた。


『ま・まさか・・・そんな事考えるはず無いだろう?・・・俺は今・・すごく後悔してる。つい、頭に血が上って・・・あんな酷いことを朱莉さんに言ってしまうなんて・・・。もう何回も俺は朱莉さんを傷付けてしまって・・・我ながら最低な男だと思っている。だけど・・明日香が絡んでくると俺は・・・!』


「それは・・・お前が明日香ちゃんに負い目があるからだろう?お前・・本当に明日香ちゃんの事が好きなのか?本当は罪滅ぼしの為に・・愛そうとしているだけなんじゃないのか?」


『!ま、まさか・・・俺は本当に明日香の事を・・・。』


しかし、そこまでで翔は言い淀んでしまった。


「まあ、別に2人の事は・・俺には関係ない事だけどな。ただ・・・朱莉さんの事なら今後俺は口を出させて貰うからな?俺には・・・お前と言う男を紹介してしまった罪があるからな。」


『琢磨・・・・。』


受話器越しの翔かはため息交じりの声が聞こえた。


「何だよ?何か言い分があるなら聞くぞ?」


『いや・・特に無いよ。兎に角・・・朱莉さんにはお前から伝えておいてくれないか?契約婚は・・・続けさせて欲しって・・・。』


「なら、お前からメッセージを送れ。」


琢磨はぶっきらぼうに言った。


『だが、俺から連絡をすると・・・・怖がられるだろう?』


「お前・・・っ!ふざけるなっ!彼女・・・朱莉さんはずっとお前との連絡用のスマホを握りしめていたんだよっ!あの時も・・・。個人用のスマホには目もくれずにな・・・。」



琢磨は思い出していた。朱莉を胸に抱き締め、耳元で囁いた時も・・・自分に縋りついて泣いていた時も・・・翔とのやり取り専用のスマホを決して離さないでいた朱莉の事を。

それを思い出すと、琢磨は訳の分からない胸の痛みに襲われた。


『どうした?琢磨?』


「いや・・何でも無い。それじゃ俺は電話を切るから・・・絶対にお前は朱莉さんに連絡を入れろよっ?!それじゃあ明日、会社でな。」


そう言うと琢磨は電話を切って、白い息を吐きながら夜空を見上げた。


そこにはビルの谷間から満月が姿を現していた—。






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