4-11 マロンの行く末とバレンタイン前夜の出来事
午後4時半―
朱莉は母親の面会に病院に来ていた。
「朱莉・・・今日はどうしたの?随分元気が無いようだけど?翔さんにマフラーを渡したらとても喜んでくれたってメッセージを送ってくれたじゃない?何か・・辛い事でもあったの?お母さんに話してくれないのかしら?」
リンゴの皮を剥いていた朱莉は顔を上げて母の顔を見た。
「え・・・とあの・・・。」
母に話したいことなら・・山ほどあった。だが、そのどれもが母には・・いや、母だからこそ話せない事ばかりだった。
だけど・・・これだけは話しておかないと・・・。
朱莉はリンゴの皮を剥き終わり、楊枝を差して母に渡すと言った。
「う、うん・・。じ・実はね・・・マロンを・・・手放す事になったの・・・。」
「え・・ええっ?!ど、どうしてなの?何かあったの?!」
母は驚いて朱莉の顔を見つめた。
「あ、あの・・・しょ、翔さんが・・実は動物アレルギーを持っている事が・・分かって・・お医者さんから・・手放したほうがいいって・・言われたから・・・。」
朱莉は考えていた言い訳を口にした。
「まあ・・・動物アレルギーを持っていたの・・?それは・・お気の毒ね・・。それで手放す事になったのね・・?」
(そう・・だから朱莉はここ最近元気が無かった・・・・そう考えていいのよね?)
朱莉の母親は娘の手を握り締めると言った。
「それで?マロンは・・どうするの?もう誰か引き取り手が見つかったの?」
「うん。たまたま・・・同じマンションに住む方が・・同じトイ・プードルを飼っていて・・その人とはドッグランで知り合ったんだけど、事情を説明したら引き取ってくれるって言ってくれたから。それにたまにはマロンに合わせてくれるって言ってくれたし。」
「そうなの・・?でも・・・貴女がそれで良くても・・マロンの気持ちは?」
母に指摘されて、朱莉はその時初めてマロンの気持ちに気が付いた。
「あ・・・。」
「マロンは・・・もうすっかり朱莉になついているのでしょう?そこを別の人に引き取られて・・・そして貴女がマロンに会いに行ったら・・・お別れする時にマロンはすごく悲しむんじゃないの?」
母は悲し気に朱莉を見ながら言った。確かに言われてみればそうかもしれない。自分の都合で勝手にマロンを手放すのだ。マロンはもうすっかり朱莉に懐いている。そこを突然京極の手に委ねるのだ。突然変わる環境・・・そして元の飼い主である朱莉が気まぐれに会いに来て、連れ帰ってあげない・・・これはマロンにとっては残酷な事なのかもしれない。
「それじゃ・・・私はもう・・マロンには・・会わない方がいいかもね・・?」
朱莉は母の前なので泣きたい気持ちをぐっとこらえて言った。
「そうね・・。貴女には酷な話しかもしれないけれど・・・翔さんが動物アレルギーなら・・仕方ないわよ。その代わりに・・熱帯魚でも飼ってみたらどうかしら?」
「熱帯魚・・。」
「ごめんなさいね。こんなの・・・気休めでしかないわよね。今の話は・・・忘れて頂戴。」
母は朱莉の頭を撫でながら言った。
「ううん。ありがとう・・・。やっぱりお母さんに相談して本当に良かった。だってそうでなきゃ私はマロンの気持ちを考えないで・・・会いに行ってたから・・・。」
そして朱莉は寂しそうに笑った―。
病院を出ると朱莉は白い息を吐きながら町中を歩いていた。明日はバレンタインと言う事で多くの若い女性達がスイーツショップで並んでチョコレートを買っている。
「九条さん・・・いつもお世話になってるからバレンタインのプレゼント買おうかな?でも・・甘い物食べる人なのかな・・?」
朱莉は高級チョコレートの老舗有名店の前で足を止めた。散々九条琢磨にはお世話になって来たのに、考えてみれば彼の趣味や嗜好品、恋人の有無・・・一切を朱莉は知らなかった。
でも・・・。
「甘い物が好きじゃないとしても・・・彼女がいたとしても・・・義理チョコなんだから受け取ってくれるよね?」
口の中で小さく呟くと、朱莉は店舗の中へと入って行った。
「有難うございました。」
朱莉は紙袋を下げて店から出てきた。琢磨に買ったチョコは高級ウィスキー生チョコレートだったが・・・。
「どんなのがいいのか分からなかったから、これにしちゃったけど・・食べてくれるかな・・?それに・・・。」
朱莉は夜空を見上げながら思った。
どうやって手渡せばいいのだろう―と。
夜9時―
「フウ・・・。」
マンションに帰宅した琢磨はネクタイを緩めると、テーブルの上にスマホを置いた。そしてスマホに着信が届いている事に気付き、スマホをタップした。
すると着信相手は朱莉からだった。
「朱莉さん・・・?ひょっとするとマロンの件なのか?」
琢磨はスマホをタップしてメッセージを開いた。
『こんばんは。いつもお世話になっております。明日はバレンタインですよね?九条さんに日頃のお礼としてバレンタインプレゼントを用意させて頂いたので、お渡ししたいのですが、どのように渡せば宜しいでしょうか?住所を教えて頂ければ少し遅れてしまいますが郵送も考えております。』
「へえ・・・。朱莉さんが俺にもねえ・・・。」
琢磨はメッセージに目を通し・・・すぐに朱莉に電話を入れた。
3コール目で朱莉が電話に出た。
『はい、もしもし。』
「こんばんは。九条です。今メッセージを読みました。有難うございます。私にバレンタインプレゼントを用意して頂いたそうですね?」
『は、はい。でも・・・どうやってお渡しすればよいか分からなくて・・すみません。メッセージを送ってしまいました。』
受話器越しから朱莉の戸惑った声が聞こえてきた。
「あの、もしよろしければこれからプレゼントを頂きにそちらへ伺っても宜しいですか?」
『え?!い、今からですか?』
「はい。実は・・・明日は出張で東京にはいないんですよ。なので出来れば今日頂けたらなと思いまして。今から30分程で伺えますので。受け取ったらすぐに帰りますから・・・如何でしょうか?」
『分かりました、ではお待ちしております。』
琢磨は電話を切ると、すぐに車のキーを取り、再び家を出た。
本人は気付いてはいなかったが・・・その顔には笑みが浮かんでいた。
30分後―
琢磨が億ションの正面玄関に車を止めた時には、すでに朱莉が上着を着て外で待っていた。
「あ・・朱莉さん!こんな寒空の下・・・待っていたのですか?!」
琢磨は車から降りると驚いた。
「大丈夫ですよ。それ程長く待っていませんでしたから。」
朱莉は白い息を吐きながら笑顔で答え、琢磨に紙バックを手渡した。
「あの・・・どんなのが良いか分からなくて・・九条さんはお酒が好きそうなイメージがあったので、アルコール入りのチョコレートを選んでみました。どうぞ受け取って下さい。」
「・・・どうもありがとうございます。」
琢磨は深々と頭を下げて朱莉から紙バックを受け取った。
「あ、そう言えば・・・九条さんにご報告があるんです。」
「報告・・・ですか?」
琢磨は首を傾げた。
「はい、実はマロンの引き取り手が決まったんですよ。」
「え・・ええ?!ほ、本当ですか?」
「ええ。実はここの億ションに住む方で、ドッグランで知り合ったのですが・・・たまたま同じ犬種でして、事情を説明したところ・・・快く引き受けてくださったんです。」
朱莉は少し寂しげに笑みを浮かべながら琢磨に説明した。
「!朱莉さん・・その方は・・・ひょっとすると・・・。」
琢磨は一瞬ピクリと反応し、言葉を言いかけ・・・飲み込んだ。
「九条さん・・・?どうかしましたか?」
不思議そうに尋ねる朱莉に琢磨は笑顔で答えた。
「いえ、何でもありません。すみません・・・マロンの事では全くお役に立つことが出来ず・・・。バレンタインプレゼント、どうもありがとうございます。」
琢磨は再度頭を下げた。
「いえ、いつも九条さんにはお世話になりっぱなしで・・・本当に感謝しています。これからも・・よろしくお願いします。」
朱莉も丁寧に頭を下げた。
「いえ、これも全て・・・私の役目ですから。それではこれで失礼しますね。」
「はい、お気をつけてお帰り下さい。」
琢磨は車に乗り込むと、再度頭を下げて、エンジンをかけて車を走らせた。
夜の町を走らせながら、信号が赤になった時、琢磨は助手席に置いた紙バックに目をやった。
「役目・・か。」
小さく呟く。
やがて信号は青になり、琢磨はアクセルを踏み込んだ―。
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