1-5 上を向いて
「おい、琢磨。お前・・・何勝手に結婚指輪なんて頼んでるんだよ。」
翌朝、社長室に現れた琢磨に翔はいきなり乱暴に指輪のカタログを投げつけてきた。
「おい!翔!お前・・・いきなり何するんだよっ!」
咄嗟に手で受け止めながら琢磨は文句を言った。
「それはこっちの台詞だっ!誰がいつ結婚指輪を用意しろって言った?どんなデザインがよろしいでしょうか?って、いきなり宝石店の店長がメールを入れてきた時には驚いたぞ!しかもその後、そこの社員が受付嬢に俺にこのカタログを渡してくださいと置いて行ったんだからな?!」
その言葉を聞いて琢磨の表情は凍り付いてしまった。
「な・・・何だって?翔・・・お前、今何て言った?」
「だから、何故結婚指輪が必要なんだよ?そんなものがあったら・・・相手が勘違いするだろう?本当に俺の妻になったんじゃないかって・・・。」
「勘違いも何も・・・書類上はお前と須藤さんはもう夫婦だろうがっ!結婚式も無しの婚姻届けだけ・・・一緒に暮らす事も無く、その上結婚指輪まで渡さないつもりだったのか?!」
琢磨のあまりの激高ぶりに流石の翔も異変を感じ、声のトーンを落として話しかけた。
「お、おい・・・琢磨。落ち着けよ。俺は別に本当に指輪など必要無いと思ったから・・・。大体、あの女を見ただろう?化粧っ気も無く、アクセサリーの類も何もしていなかった・・・。だから指輪なんか必要無いと思ったんだよ。」
宥めるように琢磨に言うが、逆に翔の言葉は琢磨の怒りを増幅させただけだった。
「何ッ?!お前は・・・結婚指輪を只のアクセサリーのように考えているのかっ?!結婚指輪の意味はな・・・永遠に途切れることのない愛情を意味してるんだよ!確かにお前と須藤さんは・・6年間の書類上の夫婦だけになるだろうが・・・もう少し彼女を尊重してもいいんじゃないのか?優しくしてやろうとかは思わないのかよっ!」
「それは・・・無理だな。俺が愛する女性は明日香ただ1人なんだから・・・。それに無駄に優しくして・・・相手の女が俺に本気になったらどうするんだ?俺に過剰に愛情を要求し出したり・・・6年後、絶対に別れたくないと言って裁判でも起こされたら?いや、そもそも祖父の引退の状況によっては6年も経たないうちに離婚する事になるかもしれないのに・・・。だから、あの女に必要以上に接触しないのは・・・むしろ、俺なりの・・・愛情のつもりだ。」
「・・・詭弁だな。それは・・・。」
琢磨は何故か憐れむような目で翔を見た。
「何とでも言え・・・。俺は結婚指輪を付けるつもりはない。あの女にも・・・必要なとき意外は・・・指輪をしないように伝えてくれ。俺は明日香を・・・傷つけたく無いんだ。」
すると琢磨が言った。
「傷つけたく無い?むしろ明日香ちゃんより傷付くのは・・・須藤さんだと思うけどな?お前・・・気付いてるのか?まだ俺の前で彼女の名前を呼んだことが無いのを・・・。お前は本当に・・鬼畜のよな男だな。」
「・・・・。」
流石に翔は返す言葉が無い。
「いいか、彼女はな・・・本当はお前に色々質問したい事があるようなんだが・・・その質問を全部俺のアドレスに送って来るんだぞ?・・・お前にどれだけ気を遣っているか・・・。俺が須藤さんにお前の事を聞かれて、分刻みのスケジュールで動いているって話をしたものだから、お前が忙しいと思って直接連絡を入れて来ていないんだよ。」
「琢磨・・・。」
「彼女の質問内容を後でお前に転送しておくから・・・お前の方から返信してやれ。優しく出来ないと言うなら・・・せめて人として常識な範囲内で接してやれよ。あの女って言い方もやめろ。一応、仮にも彼女は書類上はお前の妻になったんだ。鳴海翔の妻・・・・鳴海朱莉にな。」
「・・・分かった。すまなかった、琢磨・・・。」
翔が琢磨に頭を下げると言った。
「頭を下げる相手が違う。俺にではなく・・・朱莉さんにだろう?」
「朱莉・・・。」
「そうだ、せめて名前くらい呼んでやれ。・・・俺はこれから彼女の引っ越し業者と打ち合わせがあるから行くぞ。いいか、メールの返信は必ずお前から連絡してやれよ?」
そう言い残すと琢磨は社長室を出て行った。
「琢磨・・・。」
翔は琢磨に投げつけた結婚指輪のパンフレットを拾い上げた。
「全く・・・。どうしたものか・・・・。」
そして溜息をついた。
その日の夜—
朱莉が引っ越しの準備をしていると、突然琢磨から渡されたスマホに着信を知らせる音楽が鳴った。
「九条さんからかな?」
そして朱莉はスマホの着信メールを見て驚いた。何と相手は九条からではなく、鳴海本人からだったのだから。
「う・・・嘘・・・。まさか鳴海先輩から直接メッセージが届くなんて・・・・。」
朱莉は震える指先でスマホをタップした。
『お疲れ様です、朱莉さん。引っ越しの準備は進んでおられますか?実は結婚指輪の事でお伺いしたい事があります。指輪のデザインですが、どんなデザインの指輪が良いのか分からず、貴女に直接選んで頂こうと思います。店舗のHPアドレスをのせますので、そこからどのデザインが良いか決めて、連絡をいただけますか?お願いします。』
まるで単なる業務連絡のような内容のメッセージではあったが、初恋の相手からの初めてのメールだと思うと、嬉しくて溜まらなかった。
早速、どんなデザインがあるのか、翔が教えてくれたHPのアドレスをタップしてみた。
そこには様々なデザインの結婚指輪が掲載されており、どれも目を見張るような金額ばかりの物だった。
「どうしよう・・・。値段が高い指輪だとずうずうしい女だと思われてしまうかもしれないし・・だけど、余り安物だったら鳴海先輩が外で恥をかくかもしれないし・・・。」
そう思っていた矢先に新しいメッセージが入って来た。
「え?何だろう?」
そして朱莉はメッセージを読むと・・・みるみる悲し気な表情になっていく。
『結婚指輪は金額は気にせずに、自分がはめたいと思う指輪を選んで貰えればそれで大丈夫です。ただ、必要なとき以外はお互い指輪をしない事。人前に出る時だけ、指輪をするようにお願いします。』
「そうだよね・・・。私は・・・書類上だけの妻なんだから、そんなのは当然の話だよね?」
誰に言うでもなく、朱莉は独り言を言っていた。
そして・・まだメッセージが続いている事に気が付き、タップした。
『念の為ではありますが、万一の為にと思い、勧告させて頂きます。私からの愛情を決して望まない様に約束して下さい。これは結婚では無く、お互いのビジネスの為の結婚なので。どうぞよろしくお願いします。』
朱莉は暫く呆然とそのメッセージに目を落していた。好きになってはいけない事は百も承知だ。だけど、まさかこんな風に相手から釘を打たれるとは思ってもいなかった。本当に・・・鳴海先輩は私の事を単なる書類上の結婚相手・・・とだけしか見ていないと言う事をこのメールで再認識させられてしまった。
これから6年間・・・私は未だに初恋を引きずり、忘れられなかった先輩が他の女性と仲睦まじく暮らしていく様を・・・すぐ側で見ていなくてはならないのだ。そして・・2人が愛し合って、今後生れてくるかもしれない子供を・・・あたかも自分が生んだように世間を騙し、1人で契約期間が切れるまでの間・・・育てていかなくてはならないのだ。
朱莉は天井を向いた。徐々に蛍光灯の明かりが滲んでくる。
涙が零れ落ちないように・・・朱莉は悲しみが引くまで天井をじっと見つめていた—
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