第44話 私と淳吾の近況ばかりを聞かれるの
「それを言われれば、そのとおりなんだがな。お前は、強い奴と勝負したくならないのか!」
まるで格闘ゲームやアニメの主人公が口にしそうな台詞を言いながら、相沢武が淳吾に詰め寄ってくる。ここで華麗に本塁打を放ち、やっぱり只者じゃなかったかと言われるのも格好いいが、生憎とその妄想を現実にするだけの力が淳吾にはなかった。
「仮に俺が勝って、君が調子を崩したら、チームメイトに何を言われるかわからないだろ。これに懲りたら、もう勝負を挑んだりはしないでくれ。肩を無駄に使うだけだぞ」
「いや……そこまで無駄じゃなかったかな」
そう言って相沢武がニヤリと笑う。
「見れたのは打席でのタイミングの取り方だけだったが、うちの野手の中じゃ玲二を除けばナンバーワンだ。それだけでも勝負をしたかいがあったぜ」
「……そうか。少しは喜んでもらえたみたいでよかったよ」
勝負も終わったし、これ以上グラウンドに淳吾が残ってる理由は存在しない。足早に立ち去ろうとすると、すぐに審判役をしてくれていた土原玲菜も追いかけてくる。
相沢武はこれから使ったグラウンドをならすのだろう。駆け足で追いかけてきて、淳吾に文句を言ったりするような感じはなかった。
グラウンドをあとにして中庭へ戻ってる最中に、隣を歩いている土原玲菜が静かに話しかけてきた。
「淳吾は……武君のボールを打つ自信はあった?」
武君と聞かれて最初は誰だろうと思ったが、すぐに相沢武のことなのだと気付く。君付けとはいえ、下の名前で呼んだので親密な関係になったのかとやきもきする。
考えてみれば、相沢武は土原玲菜の弟と仲が良い。もしかして自宅へ遊びに来てる際などに、お互いに下の名前で呼びあうような仲になったのかもしれない。そう考えるほどに、やたらと胸がドキドキして苦しくなる。
仮に土原玲菜の気持ちが相沢武に向いてるのだとすれば、こちらへ戻したい。そんな気持ちが働いて、つい淳吾は自分を実力者のように勘違いさせる返答を口にしてしまう。
「どうかな。でも、威力のある真っ直ぐだったよ。カーブで緩急もついていたしね。打つのは難しいんじゃないかな。普通の奴ならね」
台詞の最後で、意味ありげに笑って見せる。本当の淳吾は決してこんなキャラではないのだが、好きな女性の前で格好つけたい心が違う自分を演じさせた。
「そうなんだ……それならなおのこと、きちんと対戦をしてあげてほしかった……」
「俺もそうしようと途中までは思ってたけどね。想像してたよりも彼が真剣だったからさ、途中で考えを変えたんだ」
「打ってしまうと武君が自信をなくして、チームへ迷惑をかけてしまうから?」
土原玲菜の問いかけに、やたらと大物ぶって頷く。こんなに強気な態度をとって、本当に実力がバレたらどうするんだと不安になるも、一度走り出したお調子者列車は簡単に止められない。
大物感たっぷりに「ああ」と頷けば、何故か土原玲菜が少しだけ嬉しそうな表情をした。
「……どうかした?」
「だって、色々と言いながらも、きちんとチームのことを気にかけているんだもの。やっぱり淳吾は優しい人だわ」
綺麗な顔立ちの女性に微笑みながらそう言われれば、淳吾でなくともドキリとする。相沢武との関係性が気になりながらも、思わず土原玲菜の顔に見惚れてしまう。
今度は土原玲菜が淳吾に「どうしたの?」聞いてきた。そこでなるべく自然になるよう注意しながら、相沢武の件について聞いてみる。
「あのさ……さっき、相沢君のことを、下の名前で呼んでたけど……」
たったこれだけの質問を口にするだけなのに、淳吾は全身からありったけの勇気をかき集めないといけなかった。
*
バクバクする心臓の鼓動を聞きながら、土原玲菜の返答を待つ。ほんの数秒程度かもしれないが、まるで無限の時を泳いでるように感じられる。
口から心臓が飛び出てきそうなほどの緊張は、先ほどの相沢武との対戦時に覚えたのよりも上だった。落ち着くように何度も自分自身へ心の中で言い聞かせるも、逆にどんどんと平常心が遠ざかっていく。
淳吾が極限の緊張状態へ追い込まれてる一方で、土原玲菜はきょとんとした顔をしている。どうしてそんな質問をされたのか意味がわからない。そう言ってるみたいだった。
それでも尋ねられたからには答えるべきだと判断したのか、淳吾の目をしっかりと見つめながら綺麗な唇を開く。
「最近、弟が相沢君を下の名前で呼んでいるから、私も真似ただけよ。本人も、そっちの方がいいと言っていたし」
他意なんてまったくない。これまでと変わらない口調から、土原玲菜の意思がはっきり伝わってきた。やはり淳吾の気にしすぎだったらしい。
「そうなんだ。相沢君はよく家へ遊びに来るの?」
「ええ。野球部の練習が終わると大抵寄っていくわ。弟と野球の話で盛り上がってるみたいね」
「へえ。あ、その……玲菜さんは、そこへ加わったりしないの?」
「するわよ。飲み物とかを持っていってあげた時に少しだけね。でも、そうすると、野球の話じゃなくて、私と淳吾の近況ばかりを聞かれるの。どうしてなのかしら」
小首を傾げて不思議そうにする土原玲菜に対して、淳吾は微妙な笑みを見せることしかできなかった。
高校生という年齢であれば、人生で一番といっていいくらい、自分や他人を含めた色恋沙汰へ夢中になる時期なのかもしれない。実際に淳吾もおおいに興味がある。
ひとり暮らしを選択して、アルバイトをしようと考えたのも、彼女を手に入れてバラ色の学園生活を送りたかったからだ。
望んだ形とはだいぶ違ってしまっているが、結果的に彼女を作るのには成功した。本気で淳吾を好いてくれているのかは、不明なままだったりするが。
そこらへんはあまり考えないようにして、とりあえずは彼女がいる高校生活というのを楽しんでいる。当の淳吾だって、最初は土原玲菜の容姿に惹かれて交際を承諾したくらいだ。
当初は戸惑う回数の方が多かったが、最近では素直に喜べるようになった。本物の好意も芽生えた。
だからこそ、相沢武と妙に仲が良さそうな雰囲気を出されれば嫉妬もする。いつの間にかずいぶんと本気になりつつあるんだなと思い、淳吾は心の中で苦笑した。
「どうして、そんなのが気になったの?」
「え? ああ……なんとなくだよ」
嫉妬したからなんて、言えるはずがない。適当に誤魔化しながら、淳吾はなんとか話題を逸らそうとする。
「それにしても、どうして相沢君は急に勝負を挑んできたりしたんだろうね」
「多分……もうすぐ春の大会が始まるからじゃないかしら」
さらっと言われた情報に、淳吾は驚いて目を丸くする。
「そうなの?」
「最近、弟と武君がその話ばかりしてるから、そうじゃないかと思ったの。大会があるのなら、戦力の充実を図りたいのはどこの高校でも一緒でしょうしね」
そう言って土原玲菜が、じっと淳吾の目を見つめてくる。もちろん参加するのよねといった期待が、綺麗な瞳に宿っている。
参加したいのはやまやまだが、戦力どころか足手まといにしかならない。
勝手に夏を想定していただけに、まだ時間があるだろうと考えていた。いくら一生懸命に努力を重ねてきたとはいえ、一ヶ月かそこらで優秀な選手になれるほど甘くないのは、どのスポーツも一緒だ。
*
夜になって淳吾は部屋でひとり、ボーっとしていた。軟式と硬式では打撃の感触もだいぶ違うとわかったので、もう例のバッティングセンターに通わなくてもいいかと思い始めていた。
軟球を打つ技術が格段に上昇しても、硬式野球ではさほど役に立ってくれないと理解したからだ。その分、早朝には小笠原大吾の草野球チームに参加して守備や打撃の練習をさせてもらっている。
夜のジョギングだけは継続したいと思ったので、やっぱり出発することにした。部屋で、考え事ばかりしていても仕方ない。
今夜の行動を決めた淳吾は静かな夜の街を走りながら、自分はどうするべきなのかと考えた。絶妙な案は浮かんでこない。
そうしてるうちに、気がつけばいつものバッティングセンターに到着していた。せっかくだからと中に入り、140キロのケージ内で料金を投入する。
すぐにアームが回転し始め、小気味よいストレートを放ってくる。しかし140キロは出てるはずなのに、相沢武の真っ直ぐよりも全然遅く感じる。
安田学らとの対戦を経て、体に染みつき始めているフォームでスイングをするも、何かがへこんだような音が鳴るだけで、すんなりと打球が前に飛んでくれなかった。
これが硬球と軟球の差なのだとしたら、せっかく覚えかけている感覚をバッティングセンターで失うのはまずい。そこで淳吾はあえて空振りをすることで、スイング練習だけでもしようと考えた。
向かってくるボールをバットへ当てようとは考えずに、相沢武や安田学のストレートをホームランするような感覚でおもいきりスイングする。
打球を前に飛ばした際の独特な爽快感は味わえないものの、悩み事で一杯だった頭の中をほんの少しだけスッキリさせられたような気がした。
打撃練習をさせてもらうのは早朝だけにして、夜は素振りをするだけでもいいかもしれないな。そんなふうに考えていた淳吾の背後に、聞き慣れた女性の声がいきなり飛んでくる。
「あれ。また三振してんの?」
慌てて振り向いた先にいたのは、ラフな格好をしている小笠原茜だった。きっと今夜も、係長とやらによって溜めさせられたストレスを発散させにきたのだろう。
「三振は三振ですけど、わざとですよ」
少しだけむくれた感じで反論すると、小笠原茜は意味ありげに「へぇ~」と言いながら目を細めた。
「な、何ですか?」
「わざと三振ができるだけ、打撃が上達したんだなと思ってさ。やっぱり、若い子は覚えるのが早いよねぇ」
「若い子って……茜さんもまだ若いでしょ」
小笠原茜の年齢が二十歳だというのは、本人の口から直接教えてもらっている。加えて父親のチームへ淳吾が参加するようになってからは、小笠原さんだと紛らわしいので茜さんと呼ぶようにもなっていた。
「あれ? これって……」
「ん? 何かしたの?」
「あ、いや……何でもないです」
恋人の女性が知り合いを下の名前で呼んだのと、淳吾が小笠原茜を「茜さん」と呼ぶのが同じ理由なのではないかと思っただけです……なんて言えるはずがなかった。
曖昧に誤魔化す淳吾を不審そうに見つめながらも、最終的に小笠原茜は自分のストレス発散を優先させたみたいだった。
「係長の……バカヤローっ!!!」
この場に淳吾がいるのも構わずに、係長への文句を叫んでは90キロのボールを打ち返す。甲高い金属を響かせるたび、小笠原茜は満足そうな顔をする。
その様子を、ケージから離れたベンチで見つめる。先ほどまでの焦りは、いつの間にか消えていた。やるべきことをやるしかない。
流れに身を任せて、その場その場で頑張ればいい。バッティングセンターに来てよかったなと思いながら、この場にいない係長へ浴びせられる小笠原茜の怒声を聞き続けた。
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