第35話 あの係長とそっくりだわ……

 翌朝も登校前に、淳吾は小笠原大吾らが練習をしているグラウンドへ来ていた。少しでも実力をアップさせるためには、この機会を利用しない手はない。


 チームの関係者に挨拶をしたあと、淳吾は用意してきたジャージに着替えて道具の準備をする。


 もともとはグローブもバットも持っていなかったが、自分の物が必要だろうと源さんが古いのを譲ってくれた。


 初心者には新品よりも、使いこまれた道具の方がいいと言われ、ありがたく頂戴した。見栄えもさほど悪くなく、丁寧に使われていたのがよくわかる。


 チームでは名手と呼ばれている源さんのグローブを使ってはいるが、あまり外野守備が上達したとはいえない。それでも、最初から打球を見失うようなケースは減った。


「おはよう、淳吾君」


「あ、おはよう……って、ええ!?」


 てっきり源さんが声をかけてきてくれたと思ったが、途中で女性の声だったのに気づいて淳吾は驚きを露にする。


 グラウンドにいたのは、淳吾と似たようなジャージ姿の小笠原茜だった。まさかいるとは思わなかったので、すぐに言葉を続けられずに唖然としてしまう。


「何よ、そんなに驚くことないでしょ」


「はっはっは、そのとおりだぞ、淳吾君」


 豪快に笑いながら、小笠原大吾もやってくる。愛娘が練習に来てくれてよほど嬉しいのか、いつになく上機嫌だ。


「俺の娘なんだから、野球に興味を持って当然。子供の頃は、一生懸命だったしな」


「途中でキツい練習が嫌になってやめたけどね」


 悪びれもせずに言い放ったあとで、淳吾と話があるからと小笠原茜は自分の父親をしっしと追い払う。


 冷たくされても会話をしてもらえた事実が嬉しいのか、小笠原大吾は笑顔を浮かべっぱなしだった。


「普段から、娘に嫌われてるかもなんて言ってるからね。茜ちゃんが来てくれて嬉しいんだろうね」


 小笠原大吾の代わりに、今度は源さんが淳吾の側までやってくる。今度は小笠原茜も邪魔にせず、3人での会話になる。


「そう思うなら、もう少し娘に配慮する心を持ってくれてもいいと思うんだけどね」


「ははは。茜ちゃんは相変わらず厳しいね。でも、お父さんを大切にしてあげてね」


「気が向いたらそうします」


 笑顔で返された源さんは「困ったな」と言いつつも、基本的には楽しそうに小笠原茜との会話に応じる。


「それより、今日はどうしたんだい? 淳吾君の応援かな」


「ええ、そんなところです」


 何か用事があるだけだと思ってたので、小笠原茜の発言に淳吾が一番ビックリする。


「チームに紹介したのも私だしね。それに淳吾君、頑張ってるみたいじゃん。毎日、練習に参加してるんだって?」


「まあね。少しでも上手くなりたくてさ」


 淳吾はチームの人たちには、私立群雲学園の野球部に所属してるのを教えていた。色々とお世話をしてくれる人たちに、あまり多くの隠し事をするのもどうかと思ったからだ。


 実力を誤解されてる点や土原玲菜との関係は秘密にしたままだが、所属する野球部のチームメイトに内緒でレベルアップしたいという願望は正直に伝えていた。


 だからこそ小笠原大吾のみならず、源さんや他のチームメイトも協力してくれている。練習試合での惨劇を目の当たりにしてるだけに、守備時のアドバイスが大半だったりもするが、淳吾にとっては大助かりだ。


「俺が気になったから、こんな朝早くからわざわざ来てくれたんですか」


「そうよ。感謝しなさい」


 ここで会話は終了して、これから練習をするという流れになるかと思いきや、ここでまた突然の乱入者がやってくる。


「勘違いするな。茜ちゃんが来たのは、俺が目的なんだからな」


 淳吾と小笠原茜の背後から割り込み、得意げにそう告げてきたのは安田学だった。


「は、はあ……」


 としか答えられない淳吾とは違い、小笠原茜は露骨に嫌そうな顔をする。もしかしたら、安田学に狙われてるという自覚があるのかもしれない。


   *


「それより、茜ちゃん。この間はどうしたんだい? せっかくデートだったのに」


 淳吾には奇妙にしか思えない人差し指を立てたポーズ。恐らくは自分で格好いいと思ってるのだろうが、残念ながら小笠原茜の心を響かせられてないのは、彼女の顔を見てればよくわかる。


 とはいえ、せっかくのデートとか言ってるあたり、源さんが言っていたよりも2人の仲はいいのかもしれない。淳吾がそう思っていると、違うと言わんばかりに小笠原茜が大きなため息をついた。


 心底面倒そうな態度は、小笠原大吾と接する時に近いものがある。娘を溺愛している父親には絶対に言えない印象だが、そのように感じているのは淳吾だけじゃなかった。


 側で小笠原茜と安田学を交互に見ている源さんも、苦笑いを浮かべて事の成り行きを見守っている。仲裁に入ったりしないところを見れば、きっといつものことなのだろう。


「あのね、安田さん。私はデートなんかに応じたつもりはないんですけど。そもそも、勝手にコンサートのチケットを家に置いていかれても困るんです」


 これだけピシャリと言われれば、さすがに相手の気持ちに気づくだろうと思いきや、安田学に気にしてるようなそぶりは一切見られない。これまで同様に余裕の笑みを浮かべながら、小笠原茜の言葉に耳を傾けている。


「なるほど。ロマンチックな言葉と一緒でなかったのが不満なんだね。今度からは気をつけるよ」


「……やっぱり聞いてくれないし。あの係長とそっくりだわ……」


 どの係長なのかは、呟いた当人に聞かなくとも予想がついた。淳吾と初対面時に、例のバッティングセンターで、小笠原茜が「係長のバカヤロー」と叫びながらバットを振る姿を目撃したからだ。


 人の話を聞かずに、セクハラじみた発言を平気でするような係長なのだろう。社会人である小笠原茜の気苦労が、ほんの少しだけわかった気がした。


 そういえば、自分の知り合いにも似たのがいたような気がするな。そう考えて記憶を調べていると、同じ私立群雲学園の野球部に所属する田辺誠の顔が浮かんだ。


 土原玲菜に好意を抱いているらしいが、思い込みがかなり激しい性格だった。そのため、淳吾や他の人間が何を言ってもあまり効果はなく、逆に暴走するためのエネルギーを与えるだけの結果になった。


 しかし話をしている限りでは、さほど悪い人間に思えなかった。悪意があって様々な行動や言動をしてるわけじゃないので、周囲も大々的に文句を言えないでいる。


 こうして見ていると、安田学と田辺誠はそっくりだった。名字が違うだけで、実は血の分けた兄弟なんじゃないかと思ってしまうほどだ。


「ん? 何をこっち見てるんだよ。さては俺と茜ちゃんの仲を羨んでるんだろ」


 淳吾の視線に気づいた安田学が、何故か得意げな様子でそんなことを言ってきた。仲の良さを示そうとしたのか、小笠原茜の肩をさりげなく抱こうとしたが、事前に予想してたとしか思えない反応で回避されてしまう。


 おかげでバランスを崩し、安田学はその場へずっこけそうになる。その姿があまりに滑稽で、まるでコントみたいだったので、周囲にいたチームメートの方々から大爆笑される。


 恥をかかされたと思うのは勝手だが、他の人に文句を言えないからといって、淳吾に恨みがましい視線を向けてくるのだけはやめてほしかった。


「何だよ、その笑いたそうな顔は。エラーしまくりの半人前のくせに生意気だ!」


 確かにそのとおりなので何も言い返さないでいたのだが、何故かそれが余計に安田学の怒りに火をつけてしまったみたいだった。


「こうなったら、お仕置きだ。特別に俺が勝負してやるよ。お前に実力の差を教えてやった上で、赤っ恥をかかせてやるっ」


   *


 おとなげないという源さんの制止を振りきって、安田学は淳吾に勝負を挑んできた。断ろうかとも考えたが、打撃の実戦経験を積める絶好の機会なのは間違いない。


 淳吾が「わかりました」と応じると、対戦相手となる年上の男性は勝ち誇ったように笑った。最初から、負けるはずがないと思ってる証拠だ。


「心配しなくても、守備力を競うなんて虐めみたいな勝負にはしないって。俺がピッチャーでお前がバッターをやればいいんだ」


 見返してやりたいとかはない。バッティングセンターのマシン以外のボールを見れるチャンスを貰えて、ありがたいくらいだった。


 そのことを伝えてお礼を言えば、お前を喜ばせたいわけじゃないと勝負を撤回されるかもしれない。普通の人間ならそういう可能性は少ないが、相手は安田学。決して源さんみたいなタイプの大人ではなかった。


 安田学の提案した勝負内容は、淳吾がヒットを打てるかどうかで勝敗を決するというものだった。しかも、こちらに有利な条件を付け加えてくれる。


「今回は特別に5打席を用意してやるよ。そのうちの1打席でも、ヒットが打てたらお前の勝ちだ」


「ほう。それはまた、ずいぶんと淳吾君に有利な内容だな」


 いきなり背後から声が聞こえてきたので、誰かと思って振り返ると、そこにはチームの主将でもある小笠原大吾が立っていた。


 勝手に勝負をしようとしてる安田学と淳吾を諌めるようなそぶりはなく、純粋に見物しようとやってきた感じだ。


「ちょっと、お父さん。何を楽しんでるのよ。普通なら、練習が優先だと止めるんじゃないの」


「まあ、いいじゃないか。淳吾君も上手くなりたくてここに来てるんだし、安田の球を経験するのもいい勉強だよ」


 それも一理あると判断したのか、しつこく食い下がったりせずに小笠原茜は実父の説明に納得する。


 愛娘に自分の考えを理解してもらえたのが嬉しいのか、笑顔の小笠原大吾がどんどん饒舌になっていく。


「どうせなら、何かご褒美でもつけてみたらどうだ。その方がお互いにやりがいもでるだろう」


 満足そうにうんうん頷いているが、小笠原大吾の提案はまさしく余計なお世話だった。しかも淳吾にとってではなく、小笠原茜にとってだ。


「いいっすね。それじゃ、俺が勝ったら、茜ちゃんをください。お義父さん」


 こういう展開になるのは、わかりきっていたのだろう。勝手に景品扱いされた小笠原茜が、ため息交じりに頭を抱えた。


 その一方でお義父さん呼ばわりされた小笠原大吾は、怒りで顔を真っ赤にする。


「ふ、ふ、ふざけるな! お前にお義父さんなどと、呼ばれる筋合いはないっ!」


「でも、大吾さんっすよね。ご褒美をつけろと言ったの。今さら訂正はなしっすよ」


 娘はご褒美で差し出すような景品じゃないと怒鳴れば済む話なのに、何故か小笠原大吾は「ぐぬぬ」と悔しそうに唸る。


 その隙に、なかったことにされたら敵わないとばかりに、安田学は小走りでマウンドへ向かう。このまま淳吾との勝負に勝って、なし崩し的に小笠原茜との交際を認めてもらうつもりなのは明らかだった。


「こうなったら……淳吾君に勝ってもらうしかないな。あいつの思いどおりにさせないためにも!」


 どうしてそうなるのかは不明だが、とにかく小笠原大吾の中ではそのような結論に達したらしかった。淳吾の両肩に手を乗せると、何度も「頼む」と言ってくる。


「い、いや、頼むって言われても……」


「大丈夫だ。俺が攻略法を授ける」

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