第34話 淳吾は外野を守ってたの?

 攻撃が終われば、守備の時間がやってくる。淳吾もレフトのポジションへ移動し、少しでもチームの役に立とうとする。


 ライナーならなんとかなると思っていたが、現実はそんなに甘くないとさらに思い知らされる。この試合中だけで何度、同じ心境になったかなんて、もう数える気も起きない。


 打席に入っていた左打者のライナーがレフト線際に飛んできたので走っていたら、急激にスライス――つまりは淳吾が向かっている方向へ曲がっていったのだ。


 目的地までの距離が伸びるような感じになり、なんとか捕れると思っていた打球は、無情にも外野の土の上でバウンドする。当然のごとく地面に衝突したボールはそのまま転がり、あっという間にフェンスまで到達する。


「い、急いで拾わないと……」


 焦りに焦ってボールだけを追っていたら、これまた予想外の事態に遭遇する。フェンスに当たった打球が、淳吾が待っているところとは全然違う方向へ行ってしまったのだ。


 今度はセンター方向へ転がりだす硬球を追いかけようとしたところで、中堅手の源さんがフォローに来てくれてボールを内野へ返してくれた。


 ピッチャーの安田学は淳吾の守備に不満そうにしてたが、優しい源さんはフェンスの跳ね返りについてアドバイスをくれる。


「フェンスにぶつかる角度から、ボールがどこへ跳ね返るのか計算するんだ。フェンスから少し離れてると、わかりやすいかもしれないね」


 淳吾ひとりが守備の足を引っ張りまくりで、心の底から申し訳なく思いながら「ありがとうございます」と源さんへお礼を言う。ほんの少しではあるが、相沢武の足を引っ張りたくないと言っていた伊藤和明の気持ちがわかったような気がした。


 外野守備が上手な人なら、バッターが打った瞬間にどこへ落ちるのか、ある程度はわかるらしい。けれど今の淳吾に、そんな技術があるはずもない。加えて才能もあるとは思えないので、地道に努力をするしかなかった。


 なるべく打者から目を離さないようにして、打球の行方をきちんと目で追う。次のバッターは初球を打ち上げるも、厄介なことに淳吾が守る左翼へ打球が飛んでくる。


 中堅手の源さんから「レフト!」という声が飛ぶ。今度はしくじらないように気をつけながら、空に舞い上がっている打球を追いかける。


「……っと、風か?」


 真っ直ぐに落ちてきてくれれば大助かりなのだが、打者の放ったフライは空を見上げてる淳吾の視界の中で右へ左へふらふら移動している。


「くっ……うわっ、わっ!」


 落ちてきた硬球にグローブを伸ばし、なんとかキャッチをする。その際にも危うくこぼしそうになったが、かろうじて落球をせずに済んだ。


 源さんに「ナイスキャッチ」と褒められる。たった1回の捕球で、お世辞にも難なくできたとは言えない。それでも淳吾は、例えようのない嬉しさを感じた。


 これが野球の面白さなのかもしれないなと思いながら、淳吾が頑張って捕球してアウトにしたボールを、手を上げて待っている内野手へ投げる。これでアウトカウントがひとつ増えた。


 短距離が専門でなかったとはいえ、淳吾が中学時代に所属していたのは陸上部だったので、周囲と比べてもそんなに足は遅くない。むしろ速い部類に入る。


 打球がレフトに飛んでくれば、快足とまではいかないが、それなりの走力を発揮して落下地点へ急ぐ。1回フライを捕れたのもあって、少しだけ積極的に守備へ参加できるようになった。


 だが落とし穴というのは、えてして調子に乗っている人間の足元に用意される。丁度、今現在の淳吾みたいなタイプだ。そして避けようもなく、見事にハマってしまう。


「……あっ!」


 気づいた頃にはもう遅い。飛んできたライナー性の打球の目測を誤り、淳吾はレフトのポジションで万歳をするような惨めな格好を晒すはめになった。


 もちろん打球は捕れず、淳吾の頭上を飛び越えていく。外野を転がり、フェンスまで到達したボールを処理したのは、センターからフォローに入ってくれた源さんだった。


   *


「まったく。どんだけ、エラーすれば気が済むんだか」


 その回の相手の攻撃が終わり、ベンチに戻った淳吾を待っていたのは、投手をしている安田学からのお説教と嫌味だった。


 へまをしたのは他ならぬ淳吾自身なのだから反論したりせず、素直に相手の文句を受け入れて頭を下げる。


 こんな簡単に謝罪をされるとは思ってなかったのか、怒っている素振りを見せていたはずの安田学が少し唖然とした感じで何も言えなくなってしまった。


「まあまあ。仕方ないよ、淳吾君は外野を守るのが初めてなんだからね」


「にしたって、さすがに下手すぎるだろ」


「下手で当然じゃないか。何度も言うけど、淳吾君は初心者なんだからね」


 源さんだけじゃなく、小笠原茜の父親も淳吾の味方になってくれるので、それ以上の文句は言われなかった。


 しかし、投手をしている安田学の立場になれば、何度も淳吾にエラーをされてるのだから、腹を立てて当然だった。繰り返し謝罪をしていると、いつの間にか淳吾の打席になっていた。


 借り物の金属バットを片手に急いで打席に立ち、ピッチャーと相対する。今朝の試合では5回までしかやらないため、恐らくはこれが最後の打席になる。


 少しでもチームの役に立つためには、バッティングを頑張るしかない。もっとも、その打撃でさえも初心者なのだが。


 相手投手の1球目は変化球で、打つタイミングも見つけられないままボールを見送って終了。これでワンストライク、ノーボルとなる。2球目も変化球で、今度はバットを振ってみたものの、とてもじゃないが当たる気がしない。


 誰がどう見ても、同様の感想を抱くはずなので、もう1球変化球を続ければ簡単に淳吾は三振をする。そして投じられた3球目は予想どおりの変化球だった。


 他の選手が打って着実に点数を積み重ねていく中、淳吾ひとりが1本のヒットも打てずに終わる。まだ最後の5イニング目が残っているけれど、淳吾まで打順が回ってくるとは思えなかった。


 それでもきちんと守備はしようと、不慣れな外野のポジションで一生懸命に守ろうとする。打球を見失わないように集中し、打者がバットを振るのをじっくり見る。


 キィンと響いた金属音がグラウンドへ木霊すと同時に、淳吾は足を動かす。だがここでも問題が発生する。やはりバットにボールが当たった瞬間に打球を見失ってしまうのだ。


 フライだというのは、周囲の人が声をかけてくれるのでわかっている。それでも1回打球を見失ってしまったら、あとはどうにもならない。結局、打球を捕れずにまた源さんのお世話になった。


 こうして淳吾の最初の実戦は散々な結果に終わった。黙ってると落ち込みそうなので、これが私立群雲学園での初参加試合じゃなくてよかったと無理やり思うことにする。


 最初からこういう結果になると予想できていたのか、小笠原茜の父親は豪快に笑いながら「ほろ苦いデビュー戦になったな」と淳吾の背中を叩いてきた。


「あ、いえ……迷惑ばかりかけて、申し訳ないです」


 小笠原茜の父親である大吾は「気にするな」と言ってくれたが、結局、負け投手になってしまった安田学はそうもいかないとばかりに淳吾を叱責してくる。


「まったくだよ。特に最後の守備は何だ! ミスを恐れて前に出ないなんて初心者以下じゃねえか!」


「す、すみません……」


「ミスってもいいから、自分の判断で落下地点の予測をつけて行動しないと、いつまで経っても外野の守備は上達しねえぞ! もうちょっと考えろよな!」


 怒鳴るようにそれだけ言うと、足早に安田学は淳吾の前から去って行った。代わりにこちらへ来たのは、試合中からサポートしまくってくれた源さんだった。


「話は聞いてたよ。彼も口は悪かったけど、淳吾君にアドバイスをしてくれたみたいだね」


 源さんに言われてようやくハっとする。安田学は、淳吾に外野守備の基本みたいなのを口で説明してくれたのだ。


 後片付けをしている安田学の背中に1回だけ頭を下げたあと、淳吾はもう今日の試合の結果で落ち込むのはやめた。気落ちしてる暇があったら、反省して上手くなるための努力をしようと決めたからだ。


   *


「……外野守備か……」


 何気なくポツリと呟いた淳吾の言葉に反応したのは、隣に座って昼食をとっている土原玲菜だった。


「急にどうしたの?」


「あ、いや……何でもないんだ」


 ここは早朝のグラウンドではなく、お昼休憩中の学園の中庭。しかも側には、淳吾と恋人付き合いをしてくれてる女性もいる。


 気持ちを切り替えなければいけないのに、淳吾の心はいまだに朝早くに出向いていたグラウンドにあった。


 小笠原茜の紹介で、硬球で活動している草野球チームに初参加してから、すでに数日が経過していた。


 参加している大半の人間が社会人なので、さすがに毎日は活動してないだろうと思いきや、小笠原大吾は連日に渡って練習を行っていた。


 もっとも練習試合の予定がある日以外は、参加できる人間だけ集まるというシステムだった。そのため指定の練習日は設けられておらず、朝に時間がある人間は好きな時に練習へ参加できる。


 誰かに強制されてるわけでもないので、草野球チームに所属している人間には好意的に受け止められてるみたいだった。そして淳吾は、今朝まで皆勤賞を続けている。


 試合の経験はできなくとも、練習に参加できるだけで、初心者も同然の淳吾には大助かりだ。おまけにチームメイトともある程度の会話ができるようになり、色々なアドバイスも貰える。


 大抵の選手は淳吾よりもずっと年上だったが、コミュケーションをとる上ではこれが幸いした。皆が皆、息子や孫に接するみたいに可愛がってくれる。


 顔を合わせれば文句を言ってくるのは、安田学くらいだった。もっとも、厳しい発言ばかりをしてるものの、よくよく聞いてれば言葉の端々に淳吾への気遣いがあったりもする。


 源さんの説明では、きっと小笠原茜をめぐるライバルだと勝手に判断して、負けないよう強気になってるのだろうということだった。本来ならそこで自分には恋人がいますと言えば解決だったが、なんとなく恥ずかしかったので教えてはいない。


 淳吾が土原玲菜との関係を恥ずかしがってるわけではなく、誰かに彼女がいると話すことがなんとも照れ臭かった。


「淳吾は外野を守ってたの?」


「え? いや、そういうわけじゃないんだ」


 野球が上手という誤解を正当な評価とするために頑張ってる以上、淳吾の現在の境遇を事細かに教えたりもできない。突き放してるみたいで心苦しいが、こればかりは仕方なかった。


 土原玲菜もしつこく聞いては申し訳ないと判断したのか、それ以降は淳吾の守備位置について追求してきたりはしなかった。


 最初は美人だからと交際し始めた土原玲菜だったが、こうして一緒に昼食をとったりしてるうちに、きちんとした好意も芽生えてきている。


 確かに野球レベルが低かったからといって、簡単に別れを切り出すようなタイプではないものの、淳吾のプレーを見て笑顔を浮かべてくれるのならそれにこしたことはない。


 もっと頑張るための英気を養おうと、淳吾は土原玲菜の作ってくれたお弁当を美味しく平らげた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る