第22話 それじゃ、デートをしようか
「土曜日の放課後……デートをする?」
夜のバッティングセンター通いを続けてるせいで、日中はうとうとしがちな学園生活。昼休みの現在も用意してもらったお弁当を食べながらボーっとしていたが、隣に座っている土原玲菜の言葉で淳吾の眠気は木っ端微塵にされた。
いきなりの展開にむせるほど驚いてると、すぐに土原玲菜は持ってきた水筒からお茶を汲んで淳吾へ手渡してくれた。ありがたく受け取って、口外へ飛び出そうとしていた卵焼きの欠片を慌てて胃袋へ流し込む。
「デ、デート?」
「そう。嫌ならいいのだけど……」
現在の恋人関係を始めた時点で、相手にはこちらへの恋愛感情は一切なかった。それでも一応は淳吾との関係を大事に考えてくれてるとわかり、不思議と気持ちが暖かくなる。
毎日お昼にお弁当を作ってきてくれてるおかげで、淳吾の食費は大助かり。おかげで昼食代を、夜のバッティングセンターで使えている。
秘密の特訓を暴露するわけにはいかないので詳細な説明はできないが、日頃からお世話になっている土原玲菜へお礼をするのも悪くない。
「そうだね……それじゃ、デートをしようか」
小笠原茜と出会い、砕けた口調で会話をしていたせいもあって、年上の土原玲菜とも自然に会話できるようになった。
相手女性の言葉遣いや、反応は変わらない。嫌がってる素振りはないので、許容してもらえてると勝手に判断した。
「玲菜さんは、どこか行きたいところがあるの?」
尋ねると、すぐに土原玲菜は頷いた。ならそこにしようと決め、お昼休みが終了する。
そして翌日の土曜日。土原玲菜が用意しておくれたお弁当を持って、学校帰りに向かったのは敷地内にある野球部のグラウンドだった。
前にも似たような展開があったのを思い出し、淳吾はその場で脱力しそうになる。改めて問いかけるまでもなく、土原玲菜の目的は弟である土原玲二の応援なのは明らかだった。
本来なら淳吾にも参加してほしいのだろうが、生憎とそのつもりはなかった。二人で外野の芝生に座り、お弁当を食べながらグラウンドの風景を眺める。
そのうちに私立群雲学園の野球部員だけではなく、違うユニフォームを着た男性たちも数多く現れた。何が起こるのか考えていると、唐突に相沢武に聞かされた言葉が脳裏に蘇ってくる。
「そうか……今日が練習試合のある日だったのか」
淳吾の呟きを聞いた土原玲菜が、隣で「そう」と小さく頷く。外野の芝生には、他にも見物に来た群雲学園の生徒がちらほら存在していた。
せっかくだから観戦していこうと決め、芝生に座ったままで練習試合が開始されるのを待つ。程なくして審判役の部員も出てきて、試合開始前の一礼が行われる。
群雲学園のグラウンドで行われるのもあり、土原玲二たちは後攻――つまりは1回の表に守備、1回の裏に攻撃をする形になっている。
指定されている9回で勝敗がつかず、延長戦に突入すれば点を入れた方が勝つ。しかし表に攻撃だと点を取っても、裏で相手の攻撃に耐えなければならない。
その点を考慮すれば、均衡を崩した時点で裏の攻撃は終了となる。これをサヨナラ勝ちと言うが、これは後攻側だけが得られる権利なので、基本的には後攻が有利だと言われる。
プロ野球などでは、試合が行われる球場を本拠地にしているチームが後攻となる。それをホームゲームと言い、逆に試合相手のチームにとってはビジターゲームとなる。
とはいえプロ野球と違って、高校野球は1試合で決着がつくし、プロチームほどの細かい選手起用も少ない。実際はあまり影響がないだろうというのが、淳吾の個人的な見解だった。
好投手を擁するチームなら、表の攻撃で先制点を取った方が相手にプレッシャーを与えられて、有利にゲームを進められる可能性もある。そして私立群雲学園は、投手力で試合に勝っていくようなチームだと聞いている。
*
「あれ……?」
守備位置についた私立群雲学園の選手たちを見て、淳吾は思わず首を傾げた。てっきりマウンドに上がると思っていた投手が、何故かライト――右翼手の守備位置についたからだ。
「今日は全員の守備力が、どこまで上がってるのかをチェックするみたい。それに投手がひとりだけだと、万が一の事態になった場合、どうしようもなくなるし……」
よほど怪訝そうな顔をしていたのだろうか。隣に座っている土原玲菜が、恐らくは弟の土原玲二から聞いたであろう情報を淳吾に教えてくれた。
ライトの守備位置についた相沢武の代わりにマウンドへ立ったのは、以前にコンビニの前で淳吾へ声をかけてきた伊藤和明だった。痩せ型で決して恵まれた体格ではないが、真面目に練習している成果か、顔つきが少し鋭くなったように見える。
だからといって本人が人見知り気味だと言っていた性格が急激に改善されるわけもなく、マウンドの上で極度の緊張と戦ってるのもすぐにわかった。捕手として伊藤和明の球を受ける土原玲二も当然気づいており、あれこれと言葉をかけている。
ベンチでも伊藤和明の緊張をほぐすために、チームメイトが様々な方法を試したはずだ。けれど劇的な効果は、まったく見られていない。すぐ側にいる土原玲二の言葉も、ろくに耳へ届いてないみたいだった。
そうこうしてるうちに試合開始の時間になり、土原玲二も自分の守備位置につく。捕手の後ろでストライクやボールの判定などを行う球審がプレイボールを宣言して、練習試合が開始される。
審判は基本的に4人制で行われ、それぞれのベース付近に立って、アウトやセーフなどの判定を行う塁審が球審の他に3名存在する。
本来は都道府県ごとに存在する高等学校野球連盟に頼んで球審を派遣してもらうはずなのだが、交通費負担などの理由から今回は部員たちが各審判を行うみたいだった。そうなると普通は、ホーム側の群雲学園が用意することになる。
けれど野球部員数がギリギリなので、審判をしていたら試合ができない。そうした事情がある以上、相手側の部員が頼まれて審判をするしかなかった。
ここが地元ではないだけに、地域の高校の情報はほとんど知らない。そんな淳吾に色々と教えてくれるのが、隣にいる土原玲菜だ。彼女によれば、今回の対戦高校は地域でも強豪ではないにしろ、常に1回戦負けをするようなレベルではないらしかった。
無名の高校である私立群雲学園が練習試合を申し込める相手としては、かなりの上位にランクしている高校だ。強豪とやりたくても門前払いをされるのがわかりきっているので、こうしたところと対戦して実力を確かめるなり、レベルアップを目指すしかない。
先攻の高校が1番の打者をバッターバックスへ送り込む。マウンド上で対峙する伊藤和明の緊張はまだ微塵も解消されてないのが、外野の芝生席に座っている淳吾にもわかる。
ぎこちない動作で振りかぶり、最初の1球を伊藤和明が投げる。コントロールはさほど悪くないのか、ストライクコースを通過してボールは土原玲二のミットへ収まった。
相手高校の1年生が球審を担当しているらしく、テレビで野球観戦をしてる際に聞こえてくる「ストライーク!」という豪快な声が周囲に木霊したりはしなかった。
勉強のためにさせられてるのだろうが、どこか自信なさげに小さな声で「ストライク」と告げる。手を上げるポーズも弱々しく、同じ高校の先輩にベンチからしっかりやれなんて野次を飛ばされる。
私立群雲学園が常に1回戦負けする弱小高校とわかっているだけに、相手は試合が開始されても余裕の態度を悪びれもせずに維持していた。
*
グラウンド内外へ響き渡るくらいの金属音が聞こえたのは、伊藤和明が2球目を投じた直後だった。今回もストライクコースへストレートを投げ込んだが、相手打者は見逃さずにおもいきりスイングをした。
バッティングセンターで時速90キロのボールに空振りをしていた淳吾とは違い、最初からジャストミートしている。直角に伸びる打球は瞬く間に中翼手の上を飛び越えていく。
ようやくグラウンドに落下した打球はワンバウンドでフェンスへ届き、打者は快足を飛ばして一気に三塁まで到達する。スムーズな中継プレイが行われていれば三塁打にはならなかったかもしれないが、まだ守備に慣れてると言い難い群雲学園の野球部員の動きは実にぎこちない。
外野に到達したボールを走者が向かってる三塁などへ直接送球せず、途中で他の守備側の選手へ渡して代わりに投げてもらう。長い距離をひとりで投げずに、何人かで繋ぐのを中継プレイと言う。この程度なら、淳吾でも知っている。
実際に野球をプレイするのは初心者も同然だが、よくプロ野球を見たりするので、ある程度はルールを把握できていた。もっとも専門的なことまではよくわからないので、誰かにあれこれと質問されても答えられる自信はなかった。
いきなりノーアウト三塁のピンチを背負った伊藤和明は、見てるこちらがかわいそうになるくらい狼狽しまくっていた。野球の攻撃はアウトを三つ取るまで続けられる。
投手がボールを投げて、それを打者が打つ。グラウンドに転がったボールを内野手がキャッチし、打者が一塁ベースへ到達する前に一塁手へ渡せばアウトとなる。もちろん外野まで転がった場合も同様だ。
しかし実際には外野まで転がってる間に、打者は悠々と一塁ベースを踏んでいる。右翼手なら多少の可能性はあるが、中翼手や左翼手がゴロをアウトにするのはほぼ不可能に近い。
打球が上がればフライとなる。グラウンドの左右に引かれているラインの内側に落ちればフェアとなり、外側ならファールとなってストライクがひとつ加算された状態で投手と打者の勝負が継続される。ファールとフェアについては、ゴロの場合も同様だ。
ストライクが三つでアウトひとつになるが、ストライクが二つ――俗に言うツーストライクの場合は、フライを直接キャッチされた場合を除いて、いくらファールを打ってもアウトにはならない。
もちろん例外もある。それがバントの存在だ。バットをスイングするのではなく、最初から寝かせた状態で両手に持ち、わざと力のないゴロを頃がすのをバントと言う。主に走者を先の塁へ進ませたい時などに使い、そうしたケースでは送りバントなどとも呼ばれる。
ツーストライク以降にバントが失敗すると、スリーバントとなり打者はアウトになる。だから通常はバントが上手くいかずにツーストライクまで追い込まれると、途中でヒッティング――通常のスイングに切り替えたりする場合が多くなる。
ランナーが三塁の状態で、バントでボールを転がして走者を迎え入れるのをスクイズと言う。高校野球はもちろんプロ野球でも使用される作戦のひとつだ。
走者を三塁からスタートさせ、打者がバントをする。相手守備陣が打球を処理してる間に、ホームベースを踏めば一点が入る。バッターボックスに入ってる打者に打力がない場合、使用されるケースが大半だ。淳吾の主観なので、確実にそうだとは言えないが。
チャンスのたびにスクイズが成功すると、着実に攻撃側は得点を積み上げられる。だからこそ、守備側も対策をとる。
内野手――特に一塁手と三塁手を前進して守らせ、ボールが転がった直後にキャッチして、捕手へ渡す。そうしてランナーがホームベースを踏む前に、アウトにしてしまうのだ。
スクイズをするのかしないのかも含めた攻撃側と守備側の駆け引きも、野球の面白さのひとつとなる。
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