第92話 付き纏いの再来
「………、………っ!」
荒野を越えた先の密林。
そこに住まう生き物が眠る夜闇の中、三人の少女を抱える勇者が樹林の枝の上を疾駆する。
その表情は徐々に歪み、呼吸が乱れていく。
先程までそんな様子は一つも顔に現われていなかったが、それは現さなかっただけで変化と不調にソリトは最初から把握していた。
木の枝を足場に軽く跳び、別の木の上に着地する。
直後に再び枝を足場に跳び、次の木の上に移る。
徐々に不調が体に現れ始めているのをソリトはその身で理解する。
限界が来るのはリーチェではなく自分が先かもしれない事を想定して先を急ぐ。
この異変があったのは地竜を倒した後から。
聖剣と聖槍も知らない自分達に秘めていた能力。
あれは魔力を通常の聖武具の解放と同等に消費するだけでなく、精神力もまた大きく消費させるものだった。
予想外の消費。
精神力や魔力の回復は体力と違い中々戻らない。
そんな状態をソリトは体力だけで補っていた。
だが、強い負の感情や警戒による緊迫状態は神経を意識でも無意識でも体力を削る。
もう体力だけで補うのは限界だ。早く休め。身を案じろ。でなければ、何時立ち上がるか分からないぞ。
肉体が警告を告げている。
だが、根は上げられない。
そんな状況ではないではないからだ。
休息は体の負担が限界になる前にリーチェから知らされた時。
それまでは距離を稼ぎつつ、皇国へと目指す。
それがソリトの判断だった。
以前ルティアは自分に接触していれば気分が落ち着く程度だが、精神が回復がすると言っていた。
その通り、精神力は回復していっている。
しかし、精神状態が何らかの状況で負荷が掛かっていた場合、回復に時間が掛かる。
今のソリトはその状態だった。
「………すぅ……はぁ」
大きくゆっくり呼吸をして体をリラックスさせ、ソリトは肉体の負担を誤魔化す。
でも、いざというときの為に、休める場所を探しながら森を駆ける。
少しして、何処からか水の流れる音が聴こえてきた。
「【調和の勇者】様、そろそろ」
「分かった」
運良くリーチェが合図を出した。
ソリトは水の流れる音が微かに聴こえる北西に向かった。
そしてソリトは、高さ三十メートルの樹木から、滑空して清流付近に着地した。
密林の中とは思えない、樹木に囲まれた、少し開けた空間。
程好く石に生えた苔、美しい清流や石の地面が月光に照らされ、不思議と他とは幻想的で別空間な場所だった。
「俺は木の上から見張る。お前達は崖近くで休んでおけ」
「はーいやよー」
「分かりました」
「いえ、ソリトさんもです」
「俺は見張りだ」
「いえ、ソリトさんも休んでください」
密林の中へ戻ろうとした瞬間、ルティアの言葉で三人に体を側面だけを向けた状態で、ソリトは振り返るのを止めた。
「無理だ」
「休んでください」
「………」
「休んでください」
「まだ何も言ってないだろ」
ルティアはにっこりと笑顔を崩さず、同じ言葉を繰り返す。
一瞬、不調な状態を察したと考えたがソリトは直ぐに自分の考えを否定した。
背負われていた状態で顔色は窺えない。
異変に気付いたならば、それはもはや察したという域を超えている。
今回の場合、頭を撃ち抜かれたのを見て、心配しているだけの事だろう。
見張りに行くのを止める意思が異様に強いので、ソリトは勘繰ってしまった。
「見張りながら休む」
「それは休むとは言いません!」
「あの、ルティア様」
「はい。どうされました」
「少し耳をお借しいただけますか?」
そう言われて、ルティアは少し屈んでリーチェに片方だけ耳を近付ける。
「ん…ふふ……くすぐったいです」
「少しだけ我慢をお願いいたします」
「ドーラも、ドーラも!」
クスクスと笑うルティアとその原因のリーチェの耳元で囁くという二人の姿、それを何故か羨ましそうに近づくドーラ。
一体何を見せられているんだ、とソリトは向きかけていた体を自分達が来た方角の密林に向ける。
「ソリトさん!」
「話は終わったのか」
「はい。というより説得されたですかね。とにかく、ソリトさんのお好きなようにしてください。でも気を付けてくださいね」
という、ルティアの言葉を聞きながら、ソリトは近くの樹木の上まで跳躍して、密林の中へと入っていった。
少しして、ソリトの背後から枝の軋む音が微かに響く。
付け加えると、響いているのはソリトが乗った時の音ではない。
木の枝につま先が着地した瞬間、音も立てずに次の木へ跳び移る。これがソリトの移動方法。
ギッ、ギッと離れずに耳に入ってくる音。
間違いなく付けられている。
清流の心地よい音が小さくなった辺りで一度足を止める。
ギシッ、とその音も止む。
「言ったよな、聖女」
ソリトは背後を振り返る。
「何でしょうか、頑固っ張り勇者さん」
「変に混ぜるな。ややこしい」
「適当な言葉だと思ったんですが」
「……休んでろと言った筈だが」
「はい、言われました」
「遂にボケたのかと思ったが違ったみたいだな」
「違います!ボケる年齢が早いです!まあ、いつかは『え?なんだって?』特権を使ってみたいですけど」
「平穏な望みだな」
「そうですね」
ソリトは愛想笑いをしながら、ルティアも似た笑みを返しながら軽くやり取りする。
「じゃあ、俺は行く」
「はい。気を付けて行ってください」
不思議と会話が噛み合っていない違和感と嫌な予感の二つを抱きソリトは再び前を向く。
「…………」
「どうかしました?」
ルティアが問い掛けてきた。
直後、ソリトは左の木に跳び移り、北に向かって全力で進み出した。
「はあ……はあ、はあ……!」
北から西へ、南へ、清流を中心に密林の中を跳び回る。
追い掛けてきている音はない。だが、念を入れて速度は緩めずに辺りの地形を把握しながら見回り、見張りをするために東へと戻っていった。
「………ぁ」
これ以上は体に支障を来す事になる、とソリトは足を止めた。
久しぶりに肩から息をすることに懐かしさを感じながら、木に背もたれて全身を休ませる。
軋む音は聞こえてこない。
「まあ、あいつを撒くくらいどうってこと……」
「お帰りなさいソリトさん。見回りご苦労様です。でも、無理は感心しませんよ」
「ッ!」
ソリトは咄嗟の事で背もたれていた木に張り付いた。
「どうやって追い付いた聖女!」
「追い付いたも何も、私はさっきいた場所から移動してませんから。ソリトさんなら、清流の見えないところには行かないだろうと思って、ずっと待ってたんですが、何か?」
ルティアは堂々と言い切った。
「お前なぁ」
「私の事は気にしないでください。〝好きにやっている〟ことなので。私は、ただソリトさんに〝付き纏う〟だけです。何せ付き纏い聖女ですからね」
何気に根に持っていたらしい。
「そういう事か」
この状況はリーチェに囁かれた内容が原因。それは間違えようがない。
ルティアが一人にする気が無いことは、ソリトも解っていた。
行動力も変わらない。寧ろ、ルティアに付き纏われる事が久々だ。全く嬉しくない。
その付き纏う図太さが戻ったのはリーチェが原因だ。
ルティアはリーチェに説得されたと言っていた。
あれは説得ではなく、一つの案を提示して貰ったのだろう。
好きに行動してください。こちらも好きに行動させてもらいますから。というような内容を。
こうなれば、ソリトがとやかく言える筋合いは無くなる。
筋合いではないが、何を言われたのかソリトはそれが気になった。
「何を言われた」
「特に変な事は。『もしかして、付き纏うくらいで行動しないと【調和の勇者】様は決して頼らない人なのでは?』と。それで最近はソリトさんの言葉に従っていて〝付き纏って〟いない事を思い出しました」
予想とは少し違ったが、火が再び宿った事は確かだった。
「それは分かったが、二人も見張りは必要ないだろ。だから……」
「だから戻れ、なんて言ったら怒りますよ、ソリトさん」
「……は?」
「ソリトさん無言でしたけど。私の事少しは頼っても良い存在だって認めてくれた筈ですよ。なのに、ソリトさんはまた一人で何でもやろうとしてます。可笑しいと思いませんか?」
確かにその通りだ。
ソリトは無言ながら、ルティアを少しだけ認めた。
そして、言葉にしてなくとも、それを守らなければ、自分の言葉は裏切らないという信念に反することと変わらない。
裏切らないというのであれば、そこには自然と行動でも示す必要がある。それは理解した。
それよりも、
「お前、何か怒ってないか」
ルティアは笑顔を浮かべるが、何も言わない。
ご立腹なようだ。
そして、間違いなく、根に持っている。
「俺にどうしろと?」
「警戒するのは良いとして、私としては休息に専念して貰いたいです。何せ、気配を消していたとはいえ、私に気づかないくらい疲労してる様子ですから」
そう言われて、ソリトは一つだけ気付いた事があった。
【気配感知】は使っていたが、【魔力感知】を使ってはいなかったことに。
正しくは、いつの間にか使うことを止めていた。
どうやら、無意識にスキルを解いてしまうほどにソリトの限界は近かったらしい。
これでは見張りをしても気付けるか怪しい。
ルティアの言うとおり、休息に専念した方が良いのかもしれない。
「分かった、戻ろう」
「はい。時間を取ってしまったのは私ですが、少しだけでも休みに戻りましょう」
そして、ソリトはルティアに従う形で清流の方へと戻っていった。
「師匠も師匠ですよ。強引にでもソリトさんを休ませないといつまでたっても休まないんですから」
「謝罪。ごめんなさい」
清流に戻ってソリトは直ぐにルティアに一息吐かされた。
その後、ルティアは立ちながら、地面に置かれた聖剣に説教をしている。
人の姿であれば立たされて説教されている聖剣の姿がソリトは目に浮かんだ。
しかし、現実は剣に説教をする聖女という何ともシュールな光景だった。
ドーラも同じものが浮かんでいるのか、ソリトに隣で聖剣の上の虚空を見ている。
リーチェは聖武具が人の姿に変われる事を知らないため、ルティアを可哀想な目で見ていた。
王女とはいえ、聖武具についての本は勇者にしか読むことを許されていない。
可哀想な目になるのも仕方のない事。
そう、少しの間、リーチェにはその目でルティアを見て貰うのも仕方ない事だ、とソリトは少しの休息の間の楽しみにする事にした。
―――
フォロー2000人、PV35万突破に、今朝ジャンル週間206位、総合329位の報告が来ました!
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