21.宮殿へ

「……聞いておかなきゃいけない事があるんだけど」


「何かしら?」


 フェナは自分の長髪を指でいじりながら応答する。


「君を雇用こようした場合、支払う一回分の報酬ほうしゅうはどれぐらいなの?」


「そんなに身構えなくていいのに。──質問の答えとしては……首筋に牙を押し付けて、私があごと口を動かしてる間、数十秒だけ我慢がまんしてもらう。それだけよ。本当に、たったそれだけ」


「そしてその後、僕は急いで首を圧迫あっぱくしながら止血しないとマズい事になる……と」


「そうはならないわ。あなたの血は何て言うか……栄養価の高い物質を、無理に一つのボトルに封入ふうにゅうした、年代物のワインみたいなのよね。数滴すうてきの血で頭がとろけそうになる、まさに禁断の味なの。あなたが失血死するぐらいの血を飲む事は無いと、私は確約かくやくするわよ」


やとい主として売り込む相手を、歩くワインボトルあつかいかよ……。まあ、白々しらじらしい嘘をつかれるよりはずっといいけどね」


「それが私の長所の一つよ。──悪魔をほふる剣術と、裏表の無い性格をそなえた女なんて、"イルト"中を探してもそうはいないわ。少しは、私に魅力を感じてほしいわね」


 フェナはわざとらしく開いた胸元を強調する。色仕掛いろじかけのつもりらしい。


「それで、どうなの? 私を手に入れたくなったかしら? ──あなたは私に血を分け与え、私はあなたに私自身をし与える。あなたは"対悪魔用兵器"と呼ばれる戦力を得られるし、私は今日から食事の心配がなくなる。完全なる利害りがい一致いっちよ」


「それに、なしくずし的にとは言え、すでに一度は協力したなかでもある。──いいよ。今から君をやとわせてもらう。今日からよろしくね──フェナ」


「こちらこそ──クウ。うふふ」


 二人は、極めて自然な笑顔でお互いに笑い合った。


「──けえっ、昼間っからイチャつきやがって。てめえら、来る場所を間違えてんじゃねえかあ? ああ?」


 クウとフェナが後ろを見る。


 ジョッキを持ったノームの男が、酒臭い息を吐きながら二人をにらんでいた。


「ここは男と女が雰囲気ふんいき作る場所じゃあねえぞ? 気持ちよく酔う為にある場所だあ。てめえら、それも分かんねえのかあ?」


 クウが、フェナの手を引いて立ち上がる。


「店に入った時から、こうなった場合はどうしようか考えてたんだ。僕の結論は──相手にしないのが正解。さあフェナ、すぐにお会計して、とりあえず外に出よう。──あ、すみません。お会計をお願いします」


 クウが、近場にいたエプロン姿の女性に声を掛けつつ手を上げる。酔っぱらいの男が、ジョッキを持っていない方の手で、クウの手首をつかんだ。


「おい、待てこの野郎。無視してんじゃねえぞ、コラ」


「うわ、止めて下さいよ。──財布が取り出せないですって」


 その様子を見て、フェナが動く。ノームの男にずいっと顔を近づけると、怖い顔でにらみ付ける。


「下らない真似まねは止めなさい。──お酒も上手に飲めないくせに、よくこんな場所に来たわね。来る場所を間違えてるのは、あなたの方よ」


 見事な啖呵たんかである。ノームの男は次の言葉にきゅうし、顔が急激に紅潮こうちょうしていく。今にも沸騰ふっとうしそうである。


「あなた、どうせ素面しらふじゃ喧嘩けんかも仕掛けられない腰抜けなんでしょう? 今すぐその手を離せば、今回は見逃してあげてもいいわ。──いい子だから、席に戻りなさい」


「このクソ女──!」


 確実に余計な一言である。


 男の怒りの炎に、純度じゅんどの高い油が注がれた。ノームの男はジョッキを床に叩きつけ、フェナになぐりかかる。


「フェナ──!」


 すかさずクウが、男を真横から突き飛ばす。男は空中に投げ飛ばされ、離れた場所で飲んでいた男数人が座るテーブルに見事に衝突しょうとつした。テーブルは壊れ、男は体の向きが上下逆になる。


「えっ? ……嘘でしょ」


 クウは唖然あぜんとする。クウの体感では軽く押した程度だったのだが、実際は想定した数倍の推進力すいしんりょくが与えられていたらしい。


 店内が、何とも言えぬ空気に包まれた。


 クウはアールマスに貰った硬貨の袋を──そっと店のカウンターに置く。そして、フェナの手を引いて脱兎だっとごとく外へけ出した。




「──ああ、やっちゃった」


 額に手を当て、絶望的な表情で下を向くクウ。


「フェナ、あの人は大丈夫かな? 怪我けがさせちゃったかな?」


「大丈夫よ。──何度か振り向いて見たけど、あの男、何か怒鳴どなり散らしながら途中まで追っかけてきてたもの。千鳥足ちどりあしでね」


 フェナは腕組みをしながら言う。


「クウ、気にする必要はないわ。確実にあっちが悪いもの」


「悪いのは君の口も、だよ。──考えてみたけど、やっぱり変だ。何かおかしい」


 クウは自分の両手を見る。


「上手く言えないけど──確実に、何かおかしいんだ。僕、あんなに力が強いはず無いのに……」


「クウは、自分が思うよりたくましい筋力を持ってたって事かしら。あなたも男の子だものね。──あら?」


 フェナはクウの背中を見る。一瞬だけ──円形に紫色の光が生じた様に見えた。


「──気の所為せいかしら」


 フェナは腕組みを止め、クウを見る。


「それで、これから何処どこに行くの? 私はあなたに付いて行くわよ」


「王宮に行こうと思ってるんだ。他に行く当ても無いからね。──さっきの店に、貰ったお金袋ごと全額置いてきちゃったから、もう違うお店で買い物も出来ないし……」


勿体無もったいない事したわね。あそこは、私がおごってあげるつもりだったのに」


「壊したテーブルの弁償代べんしょうだい慰謝料いしゃりょう一括払いっかつばらいした。そう思う事にするよ」


 クウは王宮の位置する方角を、自分の目で確認する。


 王宮への入り口は、目の前だった。




「あの、すみません」


 クウが話しかけたのは、王宮の門の前に姿勢良く立っていた、白銀はくぎんよろいを着た騎士だった。


「何か用かい?」


 騎士がクウを見た所で、クウは──フードをいだ。クウの黒髪があらわになる。


「大通りの看板を見たんです。"セラシア王女"様が──"人間"をお探しなんですよね?」


「ああ。──ちょっと待ってくれよ」


 騎士は全く驚かず、門を離れて行ってしまった。意外な反応に、クウは後方に立つフェナと顔を見合わせる。


 数分経って、騎士が戻って来る。騎士は、何故なぜか水の入ったおけを持っていた。


「それじゃ、頭をこっちに近づけて」


「えっ……何をする気ですか?」


「そんなの、決まってるだろう」


 騎士は銀色の籠手こてを外してクウの頭をつかむと、桶の水でクウの頭をらし始めた。


「あの看板を見て、自分が伝説の"人間"だと名乗り出たのは──君で多分、18人目だな。髪の毛に炭を塗り込んで黒くしたり、"魔法薬"で一時的に色を変えたり、様々なアイデアを色んなヤツに見せてもらったよ。──さあ、君は何どんな方法で変装してるのかな?」


「いや、ちょっ──。痛いし──冷たい──!」


「ああ、ちなみにこの水はただの水じゃない。宮殿の魔導士に調合ちょうごうしてもらった、魔法を打ち消す特殊とくしゅな聖水なんだ。──うん? 色が変わらないな?」


「痛い──! 指が! 指が食い込んでます──!」


 クウは情けない声でさけぶ。フェナは心配そうにその様子を見ていた。


「全く変化が無いぞ。こんな手応てごたえの無さは──初めてだ……」


「──騎士さん、その辺でいいんじゃないかしら。傍目はためから見たら──新手あらて虐待ぎゃくたいにしか見えないわよ」


 フェナの発言で、騎士は手を止める。


「まさか、君は──本当に?」


 クウは無言で腰の"朧剣ろうけん"を手に取り、騎士に見せる。


 クウの意識に反応し、剣の刀身が──強い緑色の光をともなって現れた。


「それは──まさか、"輪"か?」


 騎士は激しく狼狽うろたえながら、クウに何度も頭を下げる。


「こ、これは済まなかった──! 君もいつもの連中と同じで──王宮に入り込むためにイカサマをしているのかと──!」


「いえ、いいんですよ。分かって頂けたら。──へくしゅん!」


 クウのくしゃみが、宮殿のかべに反響する。


 平謝ひらあやまりする騎士の後ろで、宮殿の門が音を立てて開いた。

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