第52話 ライバルと代わり

 よく晴れた日の青空に、革を叩く音が響く。


 黒絵の指先から放たれた白球は、司の構えるミットで音を奏でていた。


「うん、良いボールだ」


 キャッチャーとして構える司の後ろに、巧はネット越しで立っている。ピッチング練習も見るのは主に黒絵だ。


 伊澄は先発、リリーフどちらからの出場でも問題なく投げられる。そして棗はリリーフに力を入れ始めたばかりだが、リリーフという役目は棗に合っていたのか、良い球が走っている。


 そして黒絵も良い球を投げるが、先発としての力量は伊澄とは程遠い。一試合だけであればこの三人でリレーすれば問題ないが、大会を勝ち抜く上では伊澄にばかり負担がかかってしまう。それを踏まえて、黒絵というもう一本の先発の柱を建てることが急務だと巧は考えている。


「次、チェンジアップ!」


 ストレートは約百十〜百二十キロ、対してチェンジアップは九十〜百キロ、球速差を考えると非常に有効な武器だ。


 黒絵のチェンジアップは良い音を鳴らして司のミットに収まる。反復練習をすることで磨きはかかっている。しかし、狙われてしまえば打たれてしまうだろう。


 来るとわかっているチェンジアップでも空振りや凡打を奪えるというのが理想だ。しかし、まだまだ完成とは程遠い代物だ。


「しかし、良い音鳴らすな」


「え、そう? ありがとう」


 球速が出ていようが出ていまいが、司はキャッチングの技術でミットの音を鳴らす。そうすることでピッチャーの気分を上げ、調子が良かろうと悪かろうと、その時の状態以上のピッチングが期待できる。ピッチャーとしても投げやすいだろう。


「次、もう一回チェンジアップ!」


 なかなか完成には至らない。むしろすぐに練習した変化球が習得できるのであれば、どんなピッチャーでも全方向の変化球を磨いて投手有利打者不利となるだろう。


 練習して磨いた武器で勝負する。それが野球の面白いところだ。




「今日の全体練習は終わり。三十分だけならまだグラウンド使って良いけど、暗いからボールは使うなよー」


 時刻はすでに七時、だいぶ暗くなり始めている中、巧は部員に声をかけて自分もバットを手にする。下校するまでの間、素振りをしようと考えてだ。


 練習では体を動かすことも多いが、今日のように黒絵の投球を見たり、選手の状態をチェックするだけで一日が終わることもある。そのため各自練習となった際にはこうやって体を動かしている。


 今はもう五月の最終日。決まっている皇桜学園との練習試合は一週間半後の六月十二日だ。


 通常、夜間練習の際には照明をつけて練習するが、その照明の使用許可は得られていない。ただ、強豪と練習試合をするということで学校側の計らいで三十分だけ練習時間を延長してもらえた。しかし、暗い中で練習をしようとなると、バットを振るか走るくらいだ。


 オーバーワークは禁物だ。しかし、強豪校と比べると圧倒的に練習量が足りていない。伊澄や陽依なんかは去年も強豪シニアに身を置いていた身だ、物足りないだろう。司にしても中堅シニアとはいえ、多分今よりももっと練習量はあったはずだ。


 学校があり、女子野球部は強豪ではないため、学校設備も自由には利用できない。限られた環境、限られた時間の中で、出来る限りの努力をしていくしかない。


 三十分間素振りに徹して汗を流した後、荒れてしまったグラウンドをならす。そして帰り支度をしていると、後ろから声をかけられた。


「巧くん、お疲れ様」


 三年生二人、夜空と珠姫だ。


「スタメン悩んでる?」


 夜空は単刀直入に用件を言ってくる。確かに悩んでいるには悩んでいるが……。


「ある程度決まっているよ。今回は当日までのお楽しみってことで」


 以前の練習試合では、二人と美雪先生に相談しながら決めていた。ただ、今後のことも考えつつ、それぞれ想いを抱える二人が私情を挟まないためにも今回は巧が一人でスタメンを決めることにした。


 夜空は「ちぇーっ」とつまらなさそうだが、夜空がスタメンを考えるとなれば、巧が監督をする前と何も変わらない。そして夜空の負担を減らすことも考えれば、巧がある程度自分自身で監督業をこなすことが一番だと巧は考えている。


「文句言うならスタメン外すぞー」


「私は外したら試合してもらえないじゃん」


 もちろん冗談で言ったが、脅しにすらならない。


 夜空と伊澄の試合出場は皇桜学園と試合をする上での絶対条件だ。


「でも、皇桜の方だけ条件出してきて、こっちの手の内見られるだけじゃない?」


 夏の大会は一回負ければ終わりのトーナメントだ。その前後の試合次第だが、強豪である皇桜と当たった場合、直前も強豪との試合でもない限り先発は伊澄だろう。


 そしてもし、今回の練習試合で皇桜が新入生の様子見などでレギュラーを使ってこなければ、こちらの実力を見られるだけに終わってしまう。しかし、それも問題ない。


「ちゃんと、『夏の大会を想定して試合しましょう』って言ったから大丈夫。あ、言ったのは美雪先生だけど」


 巧は監督とはいえ、学校側からすればただの一般生徒だ。野球部の責任者は美雪先生だ。練習試合や合宿のように他校との連絡は美雪先生が行っている。


「みんなそろそろ帰ってねー」


 話をしているうちに時刻は七時半を回っていた。巧たちだけでなく、他の部員も練習は終えているが雑談をしている。


 美雪先生の言葉に返事をし、各々ゆっくりと動き出した。


「じゃあ、私たちもそろそろ帰りますか」


 夜空の家は逆方向なので、学校で分かれる。伊澄や陽依も夜空と同じ方向だが、伊澄は途中で別方向となる。三人とも自転車通学だ。


 巧と珠姫は家が近いため途中まで同じ方向で、司は同じ方向だが巧たちよりもだいぶ遠いため自転車通学となっている。


 司は先に帰っていったため、巧は珠姫と二人で帰路に着く。方向が一緒なので、二人で帰ることは多い。


「試合、楽しみだね」


「そうだなぁ」


 強豪と練習試合をする機会はそう多くはない。しかも今回は条件付きとはいえ、練習試合の誘いを受けた。


 相手のプレーを見ることで参考にもなるし、夜空や伊澄、陽依のように上を目指す選手にとっては良い刺激となるだろう。逆に実力の差に自信を失う可能性もあるが、公式戦で当たる可能性はある。メリットの方が大きい。


「珠姫的には注目の選手はいる?」


「えーっと、そうだなぁ……」


 二個上の世代となると、関わりはあるがあまり知っているわけではない。特に女子野球となると、男子野球部に入ることを考えていた巧にとってはあまり注目していないところだ。


「ファーストの子とかは同じシニアだったから個人的には注目してるかな? 秋大会とか春季大会でも出てたから多分レギュラーだと思う」


 秋大会は春の選抜に繋がる大会で、春季大会は地区大会、県大会、地方大会とあるが、三重県の場合は東海地方までと全国まである大会ではない。県大会以上になると、新入生が入部する四月以降も大会が続くが、明鈴は地区大会で散っているため、一年生の入部や巧の監督就任以前に負けていた。


「そうなのか。因縁の相手みたいな感じ?」


「んー、まあ、そうかな?」


 同じシニア、同じポジションとなればライバル関係だったのだろうということが想像つく。ただ、イップス前の珠姫は日本代表に選ばれる実力の持ち主なので、当時の実力的に言えば珠姫の方が上だろう。


「まあ、ちょっと顔合わせづらいけどね」


 暗い顔をする珠姫が黙り込んだ。聞いていいものがわからないため、巧も黙っていたが、やがて珠姫は明るく話し始めた。


「私って元々皇桜に進学する予定だったけど、怪我で進学が取り消しになったからさ、その代わりにスカウトされたのがその子なんだよね」


 その話に、巧は言葉が詰まった。明るく振る舞ってはいるが、表情の奥には複雑な気持ちが見え隠れしている。


「でも、だからこそ絶対に負けたくない」


 珠姫はその元チームメイトを意識している。


「勝ちたいな」


 ただの練習試合。しかし、これは夏の大会を目前にして、重要な試合となりそうだ。

 

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