194 告白





活気にあふれるリンゲンの街には働く人が多い。


浮き世で働けば憂さがたまり、その憂さを晴らす場所が必要だ。人々は仕事終わりに酒杯をあおり、あるいはたまの外食でごちそうを食べ、また明日も仕事へ向かう。


夜、そんな人達を相手にする酒保がリンゲンにはそこかしこにある。人が増えて需要が増えれば、こうした店が増えるのは市場のことわり。ことわりに沿った動きを邪魔せず、健全な競争を促した政庁の手腕も認めてやる必要があるかも知れない。


繁華街にある酒場は、激しい競争を生き抜いているだけあって、うまい酒と料理を出す店が多い。


その中でも、灯りをおしまず使い店内を明るくし、健全な喧騒が夜遅くまで続いているような店は、リンゲンの騎士団長を務めるアセレアの好みにもった。


彼女と同じく飲み食いが好きな部下を連れて、気さくに飲むがしばしばで、この日もそういう夜だった。


「相変わらず、この店で出す、紅水晶鶏は最高だな・・・」


特製の麹につけて柔らかくした鶏肉を、発酵豆のひしおを水に溶いたものをつけつつ焼いたもの。しっかりと焼いてあるのに歯に当てるだけでほろりと崩れるほど柔らかく、奥歯で噛めば旨味汁がじゅわりと溢れてくる。それが口のなかにあるうちに、冷たい泡麦酒でぐっと飲み込むのがーー。


ーー最高だ。


というわけである。料理の記憶をはんすうしながら、アセレアが酒場の奥まった廊下を歩いているとーー。


前方に、立ちふさがる影があった。廊下よりも酒場の広間サールのほうが明るいので、逆光になっている。



その影の主には、見覚えがあった。


「なんだ、セシル。貴様も小便か」


廊下は広くない。長身のセシルと呼ばれた男が壁にもたれるようにて立てば、簡単に塞げるようなつくりだ。


廊下をふさぐ、異国風の頭布を巻いたその男はぞくりとするような色気と美貌の持ち主だが、この男はリンゲンの情報官で、アセレアの部下のひとりでもある。


「いえ」


セシルは壁に腕でもたれる姿勢のまま、苦笑する。何気ない仕草にも魅力がある。


当然に同僚たちからも人気があり、事実、この男を連れてくると、飲み会に参加する人数が増えるのをアセレアは実感していた。いい男がいると女たちが集まり、その女たち目当てに男がまた参加するーーという構図だ。


そしてーー、と、アセレアはしこたま飲んで、それでもまだほろ酔い加減だという頭で考える。


こいつは何かを隠している。それが何かはわからないけれど、油断ならないやつだ。なるべく目の届く範囲においておきたい。


それがあって、こうして毎晩のように、部下同僚を集めて飲み会をやっているわけだ。


だからこれは半分公務だ。けっして、自分の趣味でやっているわけではないのだ。アセレアは見えない誰かに向かって胸中で言い訳をする。


「そうか。今日も酒がうまいか? たくさん飲めよ。飲めるやつほど仕事ができるもんだ。そしてばりばり仕事をしてくれ」


いま、アセレアとセシルは、上司部下の関係だ。アセレアは上司らしい、もっともらしいが根拠のないことを言って、脇を通りすぎようとすると。


セシルは廊下の端に腕をつっぱり、通せんぼをした。


アセレアはほのかな酔眼でセシルを見て、苦笑して言う。


「・・・なんだ。通せ。それとも、私をここで口説く気か?」


セシルの目が妖しく濡れたように光る。


「ええ。実はそうなんです。・・・貴女に言いたいことがある」


ふっ、とアセレアは笑う。


「それは光栄だが・・・口説く相手を間違っているぞ。お前の可愛い相手は、いま席で飲んでいる連中だ。若くて可愛くて、肌の弾力だってすごいぞ。よりどりみどりだろう」


「そのよりどりみどりたちはですね、『セシルはとんでもない女たらしだから気をつけろとアセレア団長からなんども注意されている』と口を揃えて言うんですよ。これじゃあ、まともに口説けない」


おおげさに、冗談めいた詠嘆。けれど、セシルの瞳の奥が静まっていることをアセレアは看破する。


「お前には悪いが、事実だろう。女たらしに対する心構えを事前に説いておいただけだ。だが大丈夫だ。お前なら、それを乗り越えて火遊びできると期待している」


「だから話に来たのさ。貴女と」


「なるほど。言いたいことはわかった。続きは席に戻ってやろうか」


そう言って、廊下で通せんぼする腕をどかそうと、アセレアが手を動かしかけるとーー。


「まだ、貴女に言いたいことを、言ってない」セシルが言う。


「・・・なんだ?」


アセレアは儀礼上、聞いていやる。どんな歯の浮くような台詞で嘘を語ってくれるのか、内心ではちょっと楽しみだった。聞いている瞬間は心地よいし、しかも後で嗤ってやれる。


だが、頭布のセシルの口から出てきた言葉は、アセレアにとって意外なものだった。


「俺は、お察しのとおり、さる組織の間諜スパイだ」


「・・・なに?」


アセレアの頭は混乱する。


それは彼女の疑いとまったく合致するものだった。だがそうだとすると、いま語ったことはセシルにとって極秘とも言えるものではないのか? それをなぜいまここで言う?


アセレアはとっさに一歩さがり、距離を取った。


セシルの姿勢は変わらない。見た限りでは、武器を扱う様子はない。


「冗談・・・とは受け取ってもらえませんか」


居酒屋の広間サールからは、店員たちの威勢のよい注文を取る声と、酔客たちの喧騒が聞こえてくる。


セシルの両眼は妖しく濡れ光っているが、危害を加えるような動きはない。行動ではなく、対話を望んでいるのだと、アセレアは判断する。


冷えた汗がせっかくの酔いを醒ましていくのを惜しく感じながら、アセレアはゆっくりと姿勢を自然体に戻しつつ、提案する。


「・・・店を変えるぞ」




■□■




「あれえ、アセレア団長さん、久しぶりぃ。ん? そうでもないか? それよりそれより、こっちのお客さん、すっごいいい男じゃない。新入りさん?」

「奥の席は空いているか? ・・・じゃあそっちを借りるぞ。・・・ああ、今日は女の子はつけなくていい」


薄暗い店内。わざわざ蝋燭の灯りが多いのは、雰囲気づくりのためか。女店主とのやり取りのあと、角の席にある柔らかい布張りの椅子に、どっかりとアセレアは座る。その横、視線が互い違いになる位置の椅子に、セシルが腰をかける。


膝高の低い机に玻璃杯をふたつ、そして玻璃瓶に入った琥珀色を置いて、晴着姿の女店員が去っていく。


アセレアは玻璃瓶を手づからとってふたつの杯に酒を注ぎ、ふたつの杯をセシルの前に置く。


「好きなほうを選べ。毒は入っていない・・・普通の店だ」


セシルが選ばなかったほうの杯を手に取り、先にアセレアが口をつけてみせる。酒精が空気を醸すような強い酒だが、彼女は普通に飲んだ。セシルも同じようにして、そして言った。


「店は普通みたいだが、女性は普通来ない種類の店ですね?」


他の客の様子を見渡せば、店の女の子がそれぞれ卓につき、談笑したり騒いだりしながら酒を飲んでいる。女性というのは、いわずもがな、女団長のアセレアのことだ。


「楽しく飲むのが好きなものでな。それに、部下は結局、男が多い。そいつらをこういう店に連れてくると、喜ばれるのさ」


「・・・なるほどな。いい店だ」


薄暗い店内には、低く音楽が流れている。


「酒もいい。飲め」


アセレアは、片手でセシルの杯に酒を注ぐ。受けた彼は、杯に口をつけて、


「改めて聞きますがーー俺が言うことを、冗談だとは思いませんでしたか?」


「思わんな」


アセレアは自分の杯に手づから注ぐ。


「なぜ?」


「よく聞かれるが、勘だ」


「勘ね・・・いい加減に生きているんですねと言われたことは? よく言われるほうですか?」


「別にそれで困っていないし、私の勘は役に立つ。で、どうだ? 身の上話なら聞くぞ? それとももっと酒が入ったほうが話しやすいか?」


アセレアは杯をあおり、セシルにも同じようにするように促す。促された彼は、同じように杯をあおった。


「・・・話をしたとして、貴女は信じるのか?」


「そりゃあ。内容による」


「・・・・・・」


返事のかわりに、セシルは再び酒が注がれた杯をあおる。


「言いにくいようなら、こちらから質問するが、どうだ?」


気短に、アセレアが言うと、頭布の男は頷いた。そういう趣向も面白い。


「どこの組織から来た?」


「王都のほうから・・・と言っておきましょう」


「なんの目的でここに入り込んだ?」


「リンゲンの情報収集。王太子継承選に関わる情報を集めて報告している」


「お前の本当の主人は? 誰に雇われている?」


「それはさすがに言えない」


ご主君リュミフォンセ様に危害を及ぼす気か?」


、女は殺さない主義で」


「・・・・・・。もっと飲め。飲み比べだ」


琥珀色の液体が、再びふたりの杯を満たす。店の女中が新しい酒瓶が置いていく。


「なぜーー私に言おうと思った?」


「寝返りたいから」


「寝返る?」


「ああ。第二王子派が優勢のように見えるから、そっちに鞍替えしたい」


「わからんな」アセレアは言いながら玻璃杯に口をつける。「だったら黙ったまま仕えておけばよかっただろう」


「特殊な立場に特殊な技能。わかってもらえれば、俺はもっと高く評価される」


「・・・金か。それなりに羽振りは悪くないだろうに」


「それでももっと金が欲しい、という人間は多い。この街に住むほとんどがそうだろうな」


「逆に、間諜だとバラすことで、投獄されるとは考えなかったのか?」


「俺は女は殺さない主義だ。なら、向こうもそうするだろう」


「殺す以外はするような口ぶりだな」


「俺には利用価値があるはずだ。わからないなら、お互いを、もっとよく知る必要があると思うんだ」


「だったらもっと話せ」


お互いにまた杯をあおる。そして満たす。


「欲しい情報があれば取ってくる。だが俺の話ならーー、幸いお互いは女と男だ。もっといいやり方がある」


「なんだ? 私を抱きたいのか?」


「それもある」


ハッ、とアセレアが乾いた笑いを漏らした。


「別に構わんぞ。お前が必要なことをすべて話すのならばな。ちなみに、そのときには私が上に乗る」


「それはぞくぞくするな」


「まともに話す気がないなら、帰らせてもらう」


アセレアがふかふかの椅子から立ち上がり。だが、さすがに飲みすぎたのか、体がよろける。


それを咄嗟に、セシルが立ち上がって彼女をかかえた。


「ーーーー」


酒精の混じった熱い呼気がお互いの顔にかかる。酔いの熱が体を溶かし、まるでお互いの境界をなくしているような感覚。


そのまま、ふたりの唇が近づき・・・。


「・・・。・・・飲みすぎてる。送ろう?」


「・・・。いや、いい・・・結構だ」


一瞬早く差し込んだ手。指の隙間から覗く妖しげな瞳。


アセレアは、その手でセシルの顔をぐいと押しのけつつ、今度は一人で立った。


「鞍替えの件は、預からせてもらう」


そしてその晩、彼女は一人で帰った。









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