191 リュミフォンセの返答








第二王子のオーギュ殿下が東部公爵ご令嬢との醜聞の噂。


冷静に見れば、噂は、単純な醜聞を「関係をもった」「関係を持っていた」というふうに話をすり替えようとしているように見える。


これら一連が第一王子派、東部公爵、もしくはその周辺の謀略であるとして。


じゃあ、わたしは、どう返すのが正解なのかしら?


噂を流した犯人を突き詰めて、噂の訂正を出してもらえればいいのだけれど、そもそも噂の根源が東部公爵だというのも、わたしの推測であって、証拠はない。知らないと突っぱねられればそれまでだ。もし違っていたら目も当てられない。


噂を流したという物証があればいいのだろうけれど・・・基本的に、噂を流すのに物はいらない。まさか手紙で指示をしていないだろう。となれば、現場を押さえるしかないけれど、まさか公爵本人が噂を流す作業をやっているわけではないだろうから、これは難しい。


それに、噂は独り歩きする性質がある。東部公爵から訂正を出してもらうことに成功しても、多くの人が賛同してくれなければ、噂も消えないという可能性もある。そうなれば、まったくの徒労に終わる。


だから、噂の根源を突き止めて、訂正を出してもらって、噂を消すーーという線は、ナシ。


わたしは頭のなかでひとつバツをつけて、思考を進める。


それより、噂で困ったときは、単純に否定するよりも、別の噂で上書きするほうが良いと聞いたことがある。あれは、他領の情報の報告を聞いているときだったかしらーー。情報官のセシルか、会議に同席しているアセレアが言っていたのだったのかしら。


噂の受け取り手は、単純な否定を聞くと、あれこれ邪推して、かえって噂が強まるもの。それより、よりニュース性の高い情報を追加して上書きをしたほうが、噂の効果は良い方向に転がっていくそうだ。


考えてみれば、敵がやっているのも、似たようなことだ。


まず聞く人の気を引くような強い噂を流して、それを補足したり尾ひれをつけて、少しづつ内容を改変していく。こちらのほうが、直感的に効果がありそう。この方向性ね。


じゃあ、どんな噂を流せばいいか、ということだけれどーー。


すぐに思いつかない。


うーん。視点を少し変えてみよう。


この噂によって、噂の主が得ようとしているものは、オーギュ様とわたしの婚約解消だろう。もしくは、婚約解消まで至らなくても、不仲になるだけでも良い。


それでオーギュ様の第二王子派の権勢は削がれ、王太子選は第一王子派が有利になる。


だからーーわたしは思考をは続けながらも顔をあげ、オーギュ様の不安そうな顔を見るーー、ここで、わたしが感情的に裏切られたと騒ぎ立てて、婚約解消まで至ってしまえば、それは噂の主ーー敵の思い通りというわけだ。


だから、それだけはしてはならない。


こういう噂を立てられるようなことをしたこと自体が腹立たしいし、婚約者であるわたしに対する裏切りだと思うし、もう何もかも投げ捨てたいという衝動もあるけれど。


感情に任せて行動しないこと。自制。


それが、いまのわたしに一番求められていることだ。頭に刻む。


思考を続ける。


ところで、敵は何故、オーギュ様とわたしの婚約関係を狙ってきたのだろう。わたしやオーギュ様を直接狙うことでも良かったはずだ。


いや、いまでも、わたしに対して、内戦を起こしてでも権力を狙おうとする野心家だとする噂や評判はある。それでは不足だと、敵側では考えているということ。


戦いは、相手の弱みを狙う。・・・教養の戦術の勉強で習ったことだ。


つまり、敵は、オーギュ様とわたしの関係性、絆が弱いと見た。とは言えないだろうか。だから噂で攻めてきたーーという見方もできる。


ということは。わたしとオーギュ様の絆が依然として強い、ということを敵に示せばいいっていうことかしら?


我ながら、その方向性は正しそうで、良案に思えた。けれど、すぐに壁にぶつかる。


ーーでも、どうやって? 絆の強さを外に向かって示す?


噂。上書き。絆の強さ。示す。


キーワードが頭の中で明滅する。


正面に立つオーギュ様は、わたしの反応を待っている。窓は夏の白い日差しに白く輝いている。執務室の扉は拳3つ分が開かれたままで侍女たちが出ていったときと変わらない。部屋の隅に立つ氷柱は汗をかいて、ひとまわり小さくなった気がする。


ふいに、白い閃きが、脳内にまたたく。


ーーこれだ。


思いついたアイデアは、悪くないと思えた。


わたしは心を決めて、座っていた椅子から立ち上がった。


重厚な執務机は、わたしの体に比べてだいぶ大きい。机の前に立つオーギュ様のもとに行くには、机を避けて大回りをしなければならない。


踵が床に敷いた薄縁とぶつかってくぐもった音がなる。今日のわたしは膝下の白い薄手のドレスに、綿で編んだ上着を羽織った姿だ。


オーギュ様は、旅装ーーとはいえ船旅だ。脱いだ日除けの外套の下は、微服になっている。表情はーー少し戸惑っているように見える。


わたしは視線を彼に向けたまま、執務机を避けて向こう側へと出た。そしてほんの少しだけ大回りをして、オーギュ様の背後を通り抜ける。上から見れば、オーギュ様を中心にして4分の3の円弧を描く動きだ。


こつっ、こつっ、こつっ・・・。薄く冷気が漂う部屋に、わたしの足音が響く。


「リュ・・・リュミフォン・・・セ?」


最初の位置からずっと動かずに立ち尽くしたままのオーギュ様。けれど青い瞳の動きは、確実にわたしの動きを見ている。


「オーギュ様」わたしは足を止めて、くるり、彼と差し向かう。「ーーわたくし、とても怒っておりますの。わかっていらして?」


ようやく口を開いたわたしの言葉に、オーギュ様は一瞬だけ間をおいたが、しかし、しっかりと頷いてきた。


「ーー無論だ。誤解とはいえ、君に心配をかけてしまって、申し訳ないと思っている。だから、こうして、はるばるここリンゲンまで足を運んで説明にやって来たんだ」


「そうですかーー」


わたしは二歩進んで、手を伸ばせばオーギュ様に触れられる位置にまで近づいて。


「ではーー。ポーリーヌ様とは、なにも無かったのですね?」


覗き込むようにして、青い瞳を見つめる。


「ああ。そうだ・・・つっ!?」


オーギュ様の表情が、痛みでだろう、わずかに歪む。


ぎゅむっ。わたしは一歩進み、彼の足を踏んだからだ。


けれど踏み込んだそのぶん、互いの呼気を感じるほどに、距離が縮まる。囁く。


「ーーほんとうに? ポーリーヌ様の肢体は、美しいものでしたでしょう?」


「・・・・・・。っーー本当だ。何もなかった」


「・・・・・・」


下から覗き込む青い瞳に、わずかな揺れ。でもそのあとは、わたしの目をしっかりと見返してきた。そのときを思い出して、確認して、しかし、後ろめたいことは無いーーという感じの動きね。


考えてみれば、この世界では貴族にとって恋は華だ。婚約どころか結婚していようがいなかろうが、恋愛が優先されるところがある。・・・第一王子のセブール様であれば、そのようながあったとしても、言い訳にも来ずに、しらを切り通すか、開き直るかしたと思う。


この世界ではそちらのほうがむしろ標準で、魅力がある素敵な人だと称賛すらされる。


そのように考えてみると、噂ひとつでこうして婚約者のもとに駆けつけるオーギュ様の行動は、頭にバカがつくほど、誠実な行動だと言えるかも知れない。


でも、学生時代にずっと一緒に過ごしていた仲の良い女子に、そんなふうに迫られて。何も無かったなんて、信じられる?


じーーーっ。


三度覗き込んだ青い瞳は、今度は揺るがない。わたしの視線を、ちゃんと受け止めている。


・・・・・・。信じてやるか・・・。


わたしも甘いなあ。


一度目を閉じて、踏みつけていた足をどかした。


けれど、オーギュ様からは離れずに。


くるりと背を向けて身を寄せ。


彼の胸に、背中からもたれかかった。


とす、と音がすることもなく。ただ彼の熱がじんわりと伝わってくる。


これから起こるだろうことは、ちょっとポーリーヌ嬢に申し訳ない気がして、先に心の中で小さく謝っておく。


「りゅ、リュミフォンセ・・・?」


オーギュ様の戸惑いに揺れる声。


聞き取りにくいのは、ふたつの鼓動がうるさいからだ。


「そう言えば、わたしたちはーー・・・」


わたしは声を出す。口がうまく動かないのは、ご愛嬌と思って欲しい。さすがに緊張がある。


今回の1件。いっけんただの醜聞のようで、そのじつ狙われたのは、わたしたちふたりの絆だ。


ーーであれば、ふたりの間に、『わかりやすい絆』があると。示せばいい。


目の端で、開いている扉を見る。部屋の冷気が、廊下の外へと流れ出して言っている。


薄暗い廊下のさき、誰がいるだろうか。


あちらの噂も、館の侍女、おしゃべり雀から始まった。


ならばこちらも、同じように返すのがいいだろう。


「・・・ーーこれまでーーー、婚約者らしいことを、あまりしてきていませんでしたねーー」


かすれる声で、そう言って。オーギュ様に寄りかかった姿勢のまま。


わたしは顔をあお向ける。彼の胸のところに、わたしの頭があたる。髪が揺れる。


そして、わたしは目を薄く閉じる。


いわずとも、伝わるはず。


「ーーー・・・・・・!」


おそるおそる、といった感じの彼の指が、わたしの顎のつけ根のあたりにそっと触れた。


そこに甘い電気が走る。わたしがわずかに身じろぎした次の瞬間、柔らかいものが頬に触れた。


その柔らかいものは、頬にわずかな熱を灼きつけて離れ。


そして唇に降りてきた。



ーー小鳥のついばみを連想する。


陶然とした幸福感が、わたしの全身を駆けめぐる。幸せにしばられて、しばらく動けそうにない。


扉の隙間のむこう、ざわめきに震える薄影。


けれど、いまはどうでもいい。


ーーなにもかも。
















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