184 だ・れ・の・せ・い・よ!
数えれば数瞬でしかなかったかも知れない。
でも、このとき開いた扉の横に立ち、わたしの頭のなかはまっしろになった。
その時間は、まるで永遠だった。
ーーどうして、あの女が、ここに!?
わたしに気がついたルーナリィは、挨拶するように片手をふった。
ハァイ。
ハーイ。
いや、ハァイ。じゃないし!
この女は、
さらにいえば、あんまり認めたくないけど、わたしの実の生母でもある。情報が多すぎる。
最後に会ったのは2年前であり、公式には行方不明となっている存在だ。
なんの準備もなく受け入れられる相手じゃない。
とりあえず、チェセに見せるのも、マズイ。
「リュミフォンセ様・・・? どうかなされましたか?」
チェセは、わたしのすぐ脇、扉を開けた位置で、訝る。
わたしが部屋に入ろうとしないのを、不審に思ったのだろう。扉の構造が外開きのため、チェセから部屋のなかは見えていない。
どうしよう・・・! なんて言いつくろえば・・・!
わたしは、焼き切れるかというほど頭を高速回転させる。
生涯でもっとも脳細胞を活性化させた瞬間である。
「アー!」
わたしは声をあげる。奇声・・・奇声じゃないよ?!
「ど、どうされました、リュミフォンセ様」
えーっと!
「ソウダワー! せっ、セッカクの
「一番いいお茶・・・つい先日お館でお出しした、青翡翠茶のことでございますか?」
「そ、ソウソレヨー! ソレガノミタイワー・・・ドウシテモ!」
「あれは稀少なものでございまして、ここ迎賓館にはご用意していないのですが・・・今回ご用意したお茶葉も劣らぬ質のものでして、しかもより焼き菓子に合うようにご準備おりますよ」
そ、それは美味しそうね! でもここで屈するわけにはいかなくてよ!
「でっ、でも・・・あれがトツゼン、ノミタクナッチャッタノー! ・・・チェセ。申し訳ないのだけれど、お館に戻って取ってきてくれるカシラ?」
「わかりました。それではすぐに人をやって・・・」
「ちぇ、チェセが行かないと、お茶の葉の種類がわからないんじゃないカシラー?」
わたしがそういうと、チェセの栗色の瞳がまたたいた。表情には出さないけれど、明らかに訝っている。
「部屋のなかになにか・・・」
「アー!」
わたしが声をあげると、チェセはびくりと動きを止めた。
「あー。あー。仕事ばっかりだと、
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
うう・・・いたたまれない・・・チェセの視線を浴びている時間がつらいよう・・・。
もうこれ以上は誤魔化せないかしら? わたしがもう白旗をあげようとした瞬間ーー。
「承知しました。青翡翠茶をお館から取って参ります。焼き菓子の場所はおわかりですね? よろしければ、先にお召し上がりになりながらお待ち下さい。そうですね・・・四の鐘の頃には、戻りますので」
そしてチェセはメイドスカートの裾をつまんで淑女の礼を取ると、身を翻して廊下を戻っていく。
・・・もう完全になにかあることはバレているわね。それを見越したうえで、わたしに任せてくれたんだ。
侍女頭の優秀さに心底感謝しながら、わたしはげんなりとした気持ちで部屋の中に入り、扉を閉める。
ふぅー。思わず息がもれる。
そして、部屋の中央ーーわたしの執務机の席にいる、ルーナリィと対面する。
部屋の中に入ると、空気が違う。空間遮断の魔法が使われているのかしら・・・。ひょっとしたら、ルーナリィの姿も、わたしにしか見えないようになっていたのかも。
この女とは、数回、直接に戦闘をしているからか、戦う必要がない相手だとわかっていても、どこか緊張が体に残る。
その相手の女は、けだるげな視線をこちらに向けながら、艷やかな紅い唇を開く。
「ひさしぶりねぇ、リュミフォンセちゃん。会っていきなりぃ、お小言っていうのもどうかと思うんだけどぉ。ご主人だからってぇ、あんまり侍女にわがままばっかり言って困らせちゃあ、だめよぉ?」
「だ・れ・の・せ・い・よ!」
いっけん正論だけれど、起こったことから考えればめちゃくちゃな物言いに、さすがにわたしもいらだった。
やっぱり嫌いだわ、このおんな! ちょっとはこっちの迷惑とか、状況とか、察しなさいよ!
そしてやはりというべきか、彼女はこちらの話をまったく聞かずに、話を進める。
大仰な身振りを交えて、胸元に手を当てながら、ルーナリィは言う。
「人間関係は相手を思いやることからはじまる・・・それは相手が誰であろうと、同じことよぉ。相手の気持ちを考えないと、素敵な殿方に巡り会えないわよ。間違いないわ。私も、相手を思いやることでぇ、素敵な旦那様を手に入れたんだから」
お説教に見せて、結局最後は自分ののろけか! それに、相手を思いやれとか、貴女にだけは絶対に言われたくないから!
「・・・家出をしたあなたに言われることじゃありません。それに、お相手のことなら心配ご無用です。わたし、すでに第二王子と婚約をしていますから。手紙にも書きましたけれど」
言ってやると、ルーナリィは、「あ、そういえば」的な表情で、漆黒の瞳をぱちぱちさせた。
「・・・そうね。・・・政略結婚だなんて、可哀相だと思うけれどぉ。・・・でも、本人がそれで良いっていうなら、親から何かいうべきじゃあないわよね・・・。でも、貴女が望まない結婚なら、いつでも言ってね? ぶち壊すのはぁ、得意だから」
うがー! どうしてこの女、ことごとく話が噛み合わないの?! 最後のぶち壊すのが得意ってところだけすごく同意するわ!
心の中のリュミフォンセAが、頭をかきむしる。気が狂いそうだ。その様子を見て落ち着いたまた別の心の中のリュミフォンセBが、冷静な言葉をつむいでくれる。
「結婚は決定事項で、わたしも受け入れていることだからいいの。それで、御用はなにかしら? 2年もずっと顔を出さなかったのに、突然ここまで来たのは、何か特別な理由があるんでしょう?」
「まぁ・・・。ちょっとした情報提供・・・かしらぁ。貴女には、たいした用事じゃないかも知れないけどぉ・・・」
肩透かしのルーナリィの物言いに、リュミフォンセBの怒りメータは、一瞬で沸点まで到達してしまった。
「本当、何しに来たの! もう帰って! 一瞬でも早く! っていうかお父様はどこよ? 話があるなら、お父様に来てもらってよ!」
「やだぁ・・・。久方ぶりにあった母親に、そんな口の利き方ぁ・・・。やっぱり貴族社会に毒されちゃっているのね」
よよよ、と泣き真似をしてみせるルーナリィ。
このっ、自由人め・・・! 誰のせいで、こんな苦労をしてると思っているの・・・!
比較的理性が残っていたリュミフォンセBがあっさりと理性を手放したため、わたしが次の言葉を続けられずに黙っていると、ルーナリィのほうが先に言葉をつなげた。
「それに、王子の妻って・・・ふふっ。それだと、元王様の私のほうが、格上になるわねぇ」
「元王様って・・・、あなたのは、元魔王でしょうに!」
「あら、魔王だって王様よ?」
「そうかも知れないけど! そういうことじゃないでしょ?」
けれどこれ以上、この女と議論は無意味だ。
わたしはぐっとこらえて、すーはーと深呼吸を繰り返すと、幸いなことにまだ理性を失っていないリュミフォンセCがあらたに心の中に現れた。
チェセが戻ってくるまでそう時間はない。わたしは心のなかのリュミフォンセCに喋ってもらうことで話を進めることにした。肉体はすべて同じ
「それで。提供したい情報ってなにかしら? 重要なものであることを期待したいけれど」
「そうねぇ・・・どこからお話したらいいかしらぁ・・・。まぁー。端的に言うと、『大いなる魂の流れが、次の周期に入った』ということかしらぁ」
ぜんぜん端的じゃない。どういうこと?
わたしは腕を組む。
「難しそうなお話だけれど・・・そのお話の結論だけ聞かせていただける?」
「結論は・・・そうねぇ」
ルーナリィは上方に視線をしばらくさまよわせて・・・言う。
続いた言葉は、驚くべき内容だった。
「『次の魔王にならないように、気をつけなさい』っていうことかしらぁ?」
はぁっ?
わたしが、次の魔王になるかもって?
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