126 なんか泣きそう







飲み込んだお茶が逆流しかけて、わたしはむせて咳をする。


口を手布で押さえていると、メアリさんが「だいじょうぶですか?」と聞いてくれた。大丈夫よ、という意味で手の平を向けるが、実際のところ別の意味で大丈夫じゃない。


メアリさんが、結婚? 誰と?


隣のシノンが背中をさすってくれて、気管のムカムカはわりと早く収まった。そしてどうしても視界に入ってくるのが、照れたように頭をかく勇者ルークだ。ま、まさかこの二人が・・・。


「メアリ。いま、貴女がルークと結婚するように聞こえたのだけれど、どういうことかしら?」


咳が収まったわたしが聞くと、メアリさんはいっそう顔を赤らめてはにかみながら答えてくれる。その様子が可愛らしい。


「どういうことと言いますか・・・そのままの意味です。魔王を倒すこの旅が終わったら、一緒になろうと二人で約束しているのです」


『戦いが終わったら』なんて、フラグっぽい台詞なのが気になるけれど。


甘酸っぱい!


メアリさんとルーク、二人で急に照れ出して、座の空気が変わっている。なんだか急に暑くなってきたわ。


わたしは「なんてこと」と呟いて、心の奥から湧き上がってくる、なんだか良くわからない感情を押さえつける。


このごちゃまぜの感情に名前をつけるなら、『メアリさんを取られる寂しさと妬心と怒りその他をまぜた煮込み鍋、わかっていたことだという冷静な想いの香草を添えて』だろうか。


けれど、そんなわけのわからない激情を押さえつけるために、今まで令嬢力を培ってきたのだ。


「まあ。メアリが結婚だなんて。ぜんぜん知らなかったわ。ずいぶんと驚いたけれど、おめでとう。結婚のときには、ぜひお祝いをさせてね」


わたしの言葉に、メアリさんは嬉しそうに微笑んでくれた。その様子から、彼女自身も結婚を望んでいるのが垣間見えて。良かったという想いと、またごちゃまぜの感情がわたしの胸のなかでふたたびぼこぼこと渦巻く。


あ。まずい。なんか泣きそう。


わたしが必死になって涙をこらえていると、オーギュ様が口を開いた。


「リュミフォンセ様とメアリ殿は、ずいぶんと親しいのですね。メアリ殿の元の主家はロンファーレンス家だったと思いますが、リュミフォンセと接する機会が多かったのでしょうか?」


オーギュ様のその質問に、わたしは肯定のために頷く。


「わたしが幼いころから、ついていてくれた侍女なのです。2年前、彼女が勇者一党入りしたときに別れましたが・・・。それまではわたしは彼女に育ててもらったので・・・わたしは、彼女を姉同然に思っています」


もったいなくもありがたいです、とメアリさんが言い、わたしたちは視線を交わして心情を通じ合わせる。


「なんと、リュミフォンセ様は、勇者の仲間に育てられたのですか! 道理で、モンスターとの戦いのなかでも、リュミフォンセ様はどっしりと構えられているわけですな」


得心がいった、というようにヴィクト様が大きく頷いているけれど。それはね、誤解があると思います。


そこで、わたしではなく、メアリさんが多少困惑しながらも、訂正を入れてくれる。


「・・・いえ、その当時はまだ私は勇者一党の者ではありませんでしたし。その、戦いについては、私からリュミフォンセ様になにかをお教えしたことはありませんので」


そうだそうだ。まるでわたしが軍人か戦闘員みたいに思われては、心外だ。


心のなかで、メアリさんにエールを送った。けれど、と言葉を継いだのはオーギュ様だ。


「戦いを直接教えずとも、心構えは伝わるのでしょうね。であれば、リュミフォンセ様の肝の座り方にも納得・・・」


わたしがじっとジト目で見ると、何かを察したのか、青い瞳を一度またたかせて、オーギュ様は発言を変えてくれた。わたしから視線を逸したのは気になったけれど。


「・・・ということも無いですね。人の在り方はさまざまですからね!・・・ところで、勇者殿は、魔王を倒したらどうする気なのです? 何か希望があるのですか?」


「オレっスか? そうだなぁ・・・」


苦しい言い訳の身代わりで急に話を振られたルークは、考えるように空を見上げた。


「オレは、もともと西部の北辺、スロっていうところで羊飼いをやっていたんスよ。広い平原以外は、なんっもないところで。年中風がびゅうびゅう吹くし、水場は少ないし、冬は雪が真横に飛んでくるような場所で。


そんな田舎で育ったから、学もないし。オレから戦いを取ったら、何も残んないッス。でも何かい仕事をしなければいけないから、冒険者にでもなろうかと思っていますよ」


勇者ルークのそんな言葉を聞いて、オーギュ様は驚いたという表情を作った。


「勇者ルーク殿。貴殿が魔王を倒せば、貴方はこの国の英雄だ。英雄に冒険者などさせておくわけにはいかない。王国で王都に邸宅を用意するし、衣食も保証する。希望すれば、将軍の職も準備することになるでしょう。メアリ殿と結婚するにしても、不自由なく暮らせるように取り計らいますよ」


それは素晴らしい話ーー誰もが飛びつき羨ましがる話なのだろうけれど、ルークはばりばりと自身の黒髪をかき混ぜて、言う。


「それは王様からも、聞いているッス。それって貴族様になるってことですよね。でも、羊飼いあがりのオレに向いているとは思えないんスよ。もちろん有り難い話ですし、感謝もしていますし、文句を言える義理でもないんですけど。・・・ところで、メアリの希望はどうっスか?」


水を向けられて、メアリさんは穏やかに微笑んで言った。


「私は、結婚して家庭に入るのも悪くないと思っていますよ」


「でもメアリは、また侍女メイドをやりたいんだろ? リュミフォンセ様のところで?」


「ルーク」


たしなめるような声。困ったように微笑むメアリさん。ルークは軽い調子だけれど、でも真っ直ぐにメアリさんを見る。


「でも、そうだろ?」


「御本人がいらっしゃる前でするべき話じゃないわ。おねだりしているみたいでしょう」


「本当にやりたいことがあるなら、遠慮なんてしちゃダメだ。言うべきことを、言うべきときに言わないと、後悔する。だろう?」


「・・・困ったひとね」


言って、メアリさんは何かを迷うようにうつむく。


「メアリ。もし貴女が戻ってきてくれるのなら、わたしは嬉しいわ」


わたしが言うと、メアリさんはこちらを向いて微笑んでくれたが、その表情に薄く憂いがはたかれている。


即答をくれないメアリさんの様子に、わたしがじれったさを感じていると、なぜか貴公子ふたりがそわそわしだした。


「もし、住む場所が王都であれば、勇者殿とメアリ殿は同じ場所に問題なく住めるわけですから、これは都合が良いでしょうね」


そうオーギュ様が言えば、


「いや、北都ベルンは、勇者殿の生地であるスロからさほど遠くない。私は辺境伯子ですから、もし勇者殿が望むなら、ベルンに邸宅を準備することも容易い。王都だけが唯一の選択肢、というわけでもない。北部に拠点を構えられることも検討されたほうがよろしかろう」


ぐいと身を乗り出すようにして、ヴィクト様が言う。


そしてふたりとも、わたしに視線を向けた。


・・・? なんで突然、自分たちの領地をアピールし出したんだろう。


わたしは胸中で首をかしげながらも、お国アピールに加わることにした。


「リンゲンも自然が豊かで良いところですよ。それに、実はいま、リンゲンでは暗黒荒野に開拓村を置く企画を進行させているのです」


この言葉で、皆の気を引くことができた。わたしは続けて説明する。


「勇者様の懸念される通り、魔王が討伐されたあと、冒険者の需要が減り、多くの冒険者が仕事にあぶれてしまうことが懸念されています。西部は冒険者の数が多いので、なおさら大きな問題になるのです。


そこで、冒険者を別の職につけるための教育計画も企画しているのですが、冒険者たちも今まで培ってきた技術を活かしたい人が多く、参加希望者がなかなか集まりません。そこで、これまでの冒険者の技能を活かせるような仕事を考えました。そして、暗黒荒野に開拓村を作ればどうかと考えたのです」


へぇ、と興味深そうに身を乗り出しのたは、勇者ルークだった。わたしは続ける。


「リンゲンは、もともと暗黒荒野に領地の境界を接する危険な辺境の地です。ですが、暗黒荒野から流れてくるモンスターを阻む砦の役割をする村があれば、街の安全は保たれます。それに、いずれまた数年すれば新たな魔王が現れるわけですから、開拓村を最前線の防衛拠点としていまのうちに置いておくわけです。


そして、この開拓村がうまく行けば、次の段階として、いまだ謎の多い暗黒荒野の調査拠点としての役割も果たせるのではと考えています。当然、この開拓村では強力なモンスターと戦うことになるでしょうから、強い冒険者が来てくれれば、助かります」


「リュミフォンセ様、その話、すごく興味あるっス」


やった! プレゼンが通った! リンゲンから送られてくる執務に関する手紙に同封されていた、レオンの企画書の内容をそのまま話しただけだったんだけど。さすがレオンの企画だ。


「いい場所ッスよね、西部は。冒険者に皆やさしいですし」


「西部では、伝統的に冒険者を大事にしていますからね。公爵様が冒険者を優遇する政策に力を入れているのも大きいです」


頷きながらわたしが話すと、勇者ルークはうんうんと同調してくれる。


「まずは魔王を見つけて、倒すことが先決っスけどね。でも明るい未来が見えてきた感じッス」


反応の良さにわたしは気を良くして、皆の方を見れば。


勇者以外の全員が「ソレじゃない」みたいな、なんだか微妙な顔をしていた。


えっ、わたし、なにか間違ったかしら・・・。


戸惑っていると、オーギュ様が表情を引き締め、真剣な声で言った。


「リュミフォンセ様。大事なお話があります。少しふたりだけで、お話するお時間をいただけないでしょうか」







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