77 ウドナ河の水路







「聖剣技ーー銀雨落星」


白外套の男性の流星の斬撃によって、大瀬はまるで乳酪バターのように切り刻まれ、形を整えていく。


星影の女の巨大斧に不格好に破壊されていた大瀬は、その流星群によって傷をつなげられ、やがて一本の道を顕した。


驚くべきことに、斬撃の流星群は、わたしたちが逃げてきた上流区間すべてにわたって落とされた。


これほど広範囲に、精緻かつ高威力の斬撃を放てるなんてーー。


尋常じゃない。星影の女の巨大斧も予想を遥かに超える威力だったけれど、この白外套の男性の実力も相当なものだ。これが、調律者バランサー・・・。


わたしはうぬぼれていたように思う。自分がであれば、直に対峙すれば勇者も魔王ともそこそこに戦えるように思っていたけれど、こんな力を持っている人が、存在していたなんて。


これほどの実力を持った存在が知られていないなんて、きっと存在自体が一般にーー政治上層部にも、秘匿されているのだ。王国の公爵であるお祖父様も、王ですらこの存在を知らないかも知れない。


やがて、最後の流星が落ち、破壊が終わった。


その結果出現した、白波の滝の真ん中に、静かに流れる一筋の小川。


異様な光景ではあったけれど、わたしが求めていた大瀬のなかの水路だった。


「ーーあ、ありがとうございます。これがまさにわたしが求めていたものです。ご助力、感謝致します」


わたしが驚きつつも丁重に礼をすると、白外套の男性は、たはっと笑顔を見せた。


「どういたしまして。これで君の許しがもらえるなら、安いものだよ」


優しい言葉。


ーーわたしは微笑する。



「あー! あー! それじゃあ私もぉ、お詫びをしようかなぁー!」


それまで黙っていた星影の仮面の女が、突然大声を出して割って入ってきた。


わたしと白外套の男は、声をあげた星影の女のほうを見る。


白い虎に腰掛けた姿勢は変わらない。彼女はぐるぐると肩を回して体を温めるようにすると、白外套の男性とは逆のほう、つまりまだ手を入れていない大瀬が続くウドナの下流へと向き合った。


「まって」わたしは呼びかける。「貴女には聞きたいことがあるのーー閉じ込めていると言っていた、勇者一行はーー無事なの?」


「んー? ああ、そのこと・・・まぁ、あのくらいなら、無事だと思うわぁ」


「あのくらいって、彼らに一体何をしたの?」


「それは英雄エロォゥズの秘密だから言えないわぁ。・・・ちょぉっと集中したいから、静かにお願いね?」


どこかふざけた感じがまだ残っていたけれど、しかし彼女がふっと強く息を吐くと、周囲の空気が変わった。


勇者一行のことは、これ以上聞けない気がした。


まだ何もしていないのに、ぴりぴりとしたものを感じる。


この女は、ふざけているようで相当な実力者なのだ。


「今代勇者たちのことは、心配いらないよーー彼らにはちょっとした試練を受けてもらっているんだ」


そう言ってくれたのは、白外套の男性。必要なことを教えてくれるのは彼だ。


「ぶぅぶぅ。そんなことまで教えちゃうのぉ? すこぉし、その娘に甘すぎない?」


それほど幼い歳のようにも見えないけれど、まるで童女のように唇を尖らせる、星影の女。けれど彼女が再び集中へと戻ると、空気は痛いほどに緊張感を持って張り詰めていく。


生物として、いいえ、存在としての格が違うーーそんなたわごとが頭に思い浮かぶほどに。彼女は次元を跳んで他の世界にも干渉できるようなことを話していた。きっと彼女には、『この世界』は狭すぎるのだろう。


エテルナーーが、星影の仮面の女の元へと、集まっていく。しかし、エテルナは高まるのではなく、感じがする。


わたしが奇妙に思っていると、星影の仮面の女の艶のある唇から、朗々とした声が流れ始めた。



『ーー斂斂と恋恋と 爛爛と卵卵と

 7つの黒の獄 巡り果てつ 鉦の音 足らぬ業』



ーーこれは詠唱だ。けれど、この世界の魔法で詠唱が必要だなんて、聞いたことがない。



『理の格子 腐乱すべし 孵卵すべし 篤信せよ

 そは腐り落つる ちぎれ滅せよ

 断て 棄てられ 崩れ 塵に帰せ

 定めしによりて』



わたしが心中、首をひねるけれども、質問を許されないひりついた雰囲気がその場を支配する。何が起こっているのか理解できないけれど、多くの生命を握りつぶせるほどの膨大な力が、行使されようとしているのはわかる。


そして、星影の女のは発動する。



『来たれよ 万物の惣主 そして腐れりの王!』



ひぅん。と。


星影の女が突き出した手の先から、不可視の何かが。


ウドナの下流の方向、まだ形を残す、大瀬の岩場を駆け抜ける。


それは衝撃でも光でもない。喩えるなら超速の風・・・だろうか。けれど現実の大気はゆるぎもしていない。


「・・・・・・?」


夜空の下、ウドナ河はごうごうと流れ続けている。しばらく変化は訪れなかった。


けれど、突然、岩が形を変えた。


大きく真円にくり抜かれた岩が、どしゃりと崩れ落ちる。


あとに残る輪郭の鋭さから、それが人為的なものだとわかる。


続けて、流れる水が、水面の高さをさげていく。ぐおん、ごうんと河がかたちを変え、その変化がどんどんと下流へと続いていく。


ーー岩が、砂に変わっている。


水面の高さが変わっているのは、水底の岩が崩壊しているからだ。


不思議な光景だった。小さな滝が重なった岩場の地形、大瀬のその中央に。ごうんごうんとわずかな音が響くごとに、幅広の水路が伸びていき、まるで公都の目抜き通りが自動で引かれていくようだった。


わたしは呆然と、次々と連なっていく静かな破壊を見守っている。


「自壊の連鎖。物質をつなぎとめている『つながり』を概念上腐らせ落とすのよ。元素魔法と腐属性魔法の混合呪文。すごいでしょう。1刻ほどあれば、『水路』が開通するわよ」


星影の仮面の女が、えへんと胸を張った。


「どちらもことわりを覆す禁呪だよ・・・『星影の麗人』」


「あら、それは『あちらの世界』の話でしょう。『こちらの世界』には存在しない魔法よぉ・・・それを軽々と使ってしまう、私の天才っぷりたるや。すごいでしょう。褒めて撫でて?」


白外套の男性は、ため息をつくように軽く笑い。


いつの間にか、白外套の男性は、星影の仮面の女に並んでいた・・・またあの瞬間移動めいた移動術を使ったみたいだ。


白外套の男性は、お願いされた通りに、星影の仮面の女の頭を撫でながら話す。


「うん、たしかに君は魔法の天才だよ、『星影の麗人』・・・。でも、あの威力だと、異世界魔法は、『結界』の範囲を越えてしまうよ」


「あらぁ。私ったら、うっかり」


てへ、と星影の女はちろりと舌を出した。


そして白外套の男性は、わたしのほうを振り向いて言った。


「それじゃあ、僕らはもう行くよ。『結界』の外で巨大な力を使うと、次元が歪んで『黄昏の楽園』の者が紛れ込むことがある。その確認をしなくてはならなくなったから」


「あらあ。あのお嬢さんの『記憶』。消さなくてもいいのぉ?」


記憶を消す? わたしの驚きをよそに、また不満げに唇を尖らせる星影の女に、白外套の男性はゆるゆると首を振った。


「いいよ。彼女はもうーー『候補者スクワイヤ』だ」


「そう?」


「ああ。彼女はきっと、僕らのことをいたずらに話したりしないさーーだろう?」


呼びかけられて、わたしは頷いた。


「それを貴方が望まれるなら。わたしは貴方がたのことを話さぬと、約束を守りましょう」


白外套の男性は頼むよと笑った。一方で星影の女は、まるで貴族みたいな物言いねぇとぼやいた。


「ではご機嫌よう、お嬢さん。良い夜を。ーー子供は、早く寝ないとだめよぉ」


ひらひらと手を振る、星影の仮面の女。


「また会おうーーつながるフィルがあれば」


「まっ・・・・・・」



そして、彼らは、一瞬で消えてしまった。


現れたときと同様に。音もなく。


一刻前とはずいぶんとかたちを変えてしまった、夜のウドナ河の真ん中。


流れる水音に混じって、どうんごぼりと静かな破壊の音が聞こえてくる。


「・・・・・・」


急速に戻ってくる静寂に、耳が痛くなる。


わたしは彼らに向けて伸ばしかけたまま、空中にとどめていた手を、力なく下ろす。


「いったい・・・なんだったのかしら・・・?」


夢ではなかった。それはウドナ河の大瀬に刻まれた、一本の水路が教えてくれる。


ただあまりの出来事に、頭の整理が付かなくて、しばらくそこに立ち尽くしていた。


夜空に浮かぶふたつの月が、わたしたちを見下ろしていた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る