76 『調律者』




星影の仮面の女も、新たに現れた白外套の男も、瀕死に追い込んだわたしたちに対して、ほぼ無警戒だった。


きっといつでも追い詰められる自信があるのだろう。白外套の男の実力はわからないけれど、星影の仮面の女とそう大きく違わないとしたら、わたしたちの状況は絶望的だ。


「・・・・・・」



一瞬のあとに、白外套の男が、岩場にうずくまるわたしたちの前に立っていた。瞬間移動のような突然さだった。実際に瞬間移動を使えるのかも知れない。周囲のウドナの流れは先程までの破壊魔法の暴虐に怒り狂うように白波を立てて逆巻いている。


それよりも目の前の白外套の男だ。白い銀の髪。紺色の瞳。優しそうな垂れ下がった目尻、何より印象的なのは、その物静かな印象だ。白っぽい外見も相まって、まるで月のようだと、わたしは思った。


男の移動に合わせて、宙に浮かぶ星影の女とその乗り物の白い虎が、高度を下げて男の背後に位置する。


白外套の男は、わたしを見て、紺色の瞳をまたたかせた。


「ーー君はーー?!」


彼は明らかに驚いたようすで、後ろーー星影の仮面に向かって体をひねる。


「『星影の麗人』。彼女は、何者だい?」


「ーーーー?」


なにかあっただろうか。


白外套の男は、わたしを見てなにかに驚いた様子だけど、皆目見当がつかない。


問いかけられた星影の女は、少し気だるそうに、豊かな髪に指通しながら、白外套の男に説明する。


「このお嬢さんはねぇ、『リンゲンの住民』なのだそうよぉ。名前は教えてくれないの。

あの破壊はねぇ、ウドナの大瀬を砕いて工事して、船を行き来できるようにしたくてやったんですってぇ。

でもぉ、それ以上のことを教えてくれなくてぇ。それでも聞いたら、噛みつかれたちゃったからぁ、私も仕方なくお相手したんだけどぉ」


噛み付いたのではなく、身の危険を感じたわたしは魔法の槍で攻撃し、お相手というか攻城破壊兵器のような巨大黒斧で追い回されたのだけれど、星影の仮面にとっては、あのように可愛らしく表現できることだったらしい。


「・・・・・・。大瀬を工事・・・・・・それは予想外の理由だね。教えてくれてありがとう。事情はわかったよ。でも、君は、なにか彼女から感じることはないかい?」


白外套の男に再び問われて、星影の女は、むむむっと眉根を寄せるようにする。


「うーん。確かに可愛らしいし、大人になったら美人になりそうだけどーー、『貴方の私』のほうが、きっと美人だと思うわぁ」


「・・・・・・。答えてくれてありがとう。ーーいや、どうやら、僕の勘違いだったみたいだ」


脇で聞いているわたしは、なにか釈然としないものがあったけれど、星影の女は、白外套の男からお礼を言われて、わかりやすく舞い上がっている。話はあれで終わったらしい。


白外套の男は、紺色の瞳を再びわたしたちへと向けてーー片膝をつき、地面にうずくまるようにす座るわたしと視線をあわせた。それでも向こうのほうが少しばかり高いけれど。


「さて。いろいろあるけれど、僕らが君に確認したいのはひとつだけだーー」


彼の視線とわたしの視線がまっすぐにかち合う。


「『黄昏の楽園の支配者』という言葉に聞き覚えは?」


たそがれのらくえん? また新しい単語だ。


紺色の瞳が、わたしを射抜く。わたしが虚構を構えればそれを砕き、真実を見通すための瞳だ。


「ない・・・です」


「・・・・・・うん。ありがとう、わかったよ」


白外套の男は視線を切って立ち上がり、星影の女のほうを見上げた。


「このお嬢さんは『シロ』だ。もう問題ないよ。いこう」


えええーっ。と、星影の女は、不平の声をあげた。


「でもでもぉ、王国の西部に、こんな力を持った人間が居るなんて、初情報よぉ。『あいつら』が関わっている可能性は高くてよぉ」


「大丈夫さ。僕の特殊能力ユニークアビリティ『紺碧の海』で確認した。記憶を消されていたのだとしても真偽は確認できる。確かにこのお嬢さんは規格外イレギュラーだけどーーただの僕らの認識外イレギュラーだよ」


そして彼は、わたしのほうを見て、静かに語りかける。


「お嬢さん。君は、『その力』ーーを隠して生きているんだね。強大な魔法力を」


少し戸惑った末、わたしは頷く。そのころには、痺れは抜け、舌も動くようになっていた。


「ーーそうよ」


そうだ。魔王の落とし子たる、人を外れた魔力と位階。


熟練した戦闘者である騎士の二倍以上、そしてそれらをたやすく屠る力。


平凡に公爵令嬢としての人生を生きるにはーー明らかに過剰な力。


平穏な人生を求めて、わたしはそれを隠すことにした。おじいさまからステイタスカードを貰って、自分の素性を知ったその日から、ずっとだ。


火炙りの刑になる恐怖から、それを隠してきた。けれどいまは、その幼い理解よりも、もう少し付け加えることができる。


力を持っていることを見せつけて、あるいはうまく説明して、皆に示すことはできただろう。けれど、わたしは皆と一緒が良かった。


幼い少女であるわたしが、熟練した騎士を簡単に打ち倒せると知られたら、きっと皆がわたしを見る目はばけものを見るそれと、変わらないものになるだろうという予感があった。もし表面上は隠されていたのだとしても。


この世界にはこんなことわざある。


『有能な猟犬シヤンは、うさぎラパンを狩り尽くしたあと、狩人たちに煮殺される』


「わかるよ。普通に生きる人達のなかで、突出した力というのは、恐怖の対象だ」


するっと。わたしの長年の悩みは、初対面の眼の前の男と共有された。


わたしは目を見開いて、うつむけていた顔をあげる。


「それが例え、彼らが自分たちを守ってくれる力だとわかっていてもーー、普通に生きる人達にとって、突出した力というのは『異物』なんだ。

脅威が迫ったときには身の安全のために必要なものでも、差し迫った脅威が無くなった途端に、ただの邪魔な代物になるーー『理解できない、恐ろしいモノ』」


わたしは、目を見開く。なんとなれば、白外套の男性が話すことは、わたしが感じていることと同じことを、言葉に置き換えてくれていたからだ。


わたしは、ゆらり、という風情で、バウの鼻先に支えられながら立ち上がった。そのころには、体に残っていた最後の電撃のしびれも収まりつつあった。


「あなたーーも?」


そうなの?


舌がしびれていて音にならなかった言葉も、白外套の男性は汲み取ってくれた。


「かつて護っていた人たちに追われるというのは、結構こたえるものだね」


「・・・やっぱり、そう、なのね」


突出した異常な強さは、必ずしも良いことばかりではない。周囲の人は、最初はその異常な才能を称賛するが、やがて距離を置き、うとみ、嫌い、最後は呪うようになる。


この人は、わたしが心配していることを、体験した人なのだ。


「けれど、いまは違う。居場所を見つけたからね。・・・調律者バランサーのことは、聞いたかい?」


調律者バランサーについては、星影の仮面の女が話をしていた。


「ええ、少し。わかっているのは名前だけだけど・・・」


はは、と白外套の男は笑って肩をすくめた。魅力的な笑顔だ。


調律者バランサーというのは、一番わかりやすいのは、異常な力を持っているために、『この世界』を追われた者たちの集まりさ。

追放者のようなものだから、構成員メンバーは名前を明かせない。かくいう僕も、『この世界』では死んだことになっている身だからね。だから僕の名前も明かせないんだ」


「なぜ、『この世界』から、追放、されたのに・・・戦い続けているの?」


電撃のしびれは終わりつつある。白外套の男は、笑みを自嘲を含んだものに変えた。


「そうだね、僕らは追放されたにもかかわらず、『この世界』のために、『この世界』を脅かすものと戦い続けているーー。

きっと、この世界に未練を残しているのかも知れないね。強大な存在と戦えることだけが、僕らの存在意義だからだろうね」


問答はそれで終わりだった。謎は尽きないけれど、この人は、わたしを逃してくれるみたいだ。


「もし、君が不幸にも『その力』がばれて」


白外套の男性は少しおどけた調子だったけれど。


「『この世界』に居場所を無くすようになればーー調律者バランサーに迎えよう。君には、その資格がありそうだ」


わたしは苦笑する。


ーー優しい人だ。


「わたしは、異常者だというお墨付きね。悲しむべきか喜ぶべきかーーよくわからないわ」


そう言われて、白外套の男性は「そういうつもりじゃなかったんだけど」と頭をかいた。


「でも・・・ありがとう。少し心の整理ができた気がするわ」


そう言って、ふたり、顔を見合わせて笑った。


「和解は受け入れてもらえたかな。じゃあこれは、ほんのお詫びの印だ」


しゃらん。


軽やかな音。


その一瞬の間に、白外套の男性は、わたしたちの背後、ウドナの上流側に移動していた。腰の剣も鞘から抜き放ち、刃が月の白い光を浴びて輝いている。


「聖剣技ーー銀雨落星」


白外套の男性は、手に持った刃を軽く振るーーたったそれだけの動作に見えたけれど、引き起こされた破壊は尋常なものではなかった。


白光の斬撃が、まるで流星群のように大瀬に降り注ぐーー。








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