69 殖産施策の会議
『最重要』と書かれた書類のタイトルは、こうだったーー『リンゲンまでの交通の確保についての提言』。
いま、リンゲンにたどり着く道は、たった一本しかない。
ヴィエナという街まで通じる、ウドナ河に沿って山の中、森の中を通る、勾配のある土道が一本あるだけなのだ。森の入り口にある街ヴィエナ街からは街道が整備され、ロンファや王都に向かえるようになっている。
そのリンゲンーヴィエナ間の一本道は、春夏は道に平行して流れるウドナ河の氾濫地帯と重なり、夏には『爆ぜ実の山』と呼ばれる、自然爆発を起こす不思議な木の実の茂る山ーーの近くを通るため、春夏秋冬のうち、半分の春と夏の季節の間、通行が困難になる。
冬も通れることになっているけれど、このあたりに降る雪は、決して少ないわけではない。軍人のアセレアは気合で超えれると言っていたことがあったけれど、普通の旅人にとってはそう簡単なものではないーーよほどの用事がなければ命がけの道は通らないだろう。
提案書で指摘している問題点は『リンゲンで産業を興しても、他の都市との交通が確保できなければ、収入が確保できない』という至極もっともなものだった。
生産品とは、それを必要とする別のところへ持っていってお金と交換して、ようやく、価値を持つものだからだ。殖産施策を通してリンゲンで何かを生産したとしても、交通が確保できなければ、この交換がそもそもできない。
そういうわけで、リンゲンと他の街との交通が、『最重要』であることは間違いなかった。
(最重要、とあるのは、『リンゲンの交通の確保』か。ふむ、なるほど。この課題の対策案は、皆がこれまで考えていたことだろう。
だが、それがこれまで果たされなかったのは、それなりの理由があるのだろうな)
わたしの目の前、会議机に置かれた書類の脇の黒い仔狼が、訳知り顔で念話で語りかけてくる。
どうもこの仔も議論に混ざりたいみたいなのだが、今は狼の姿なので自重しているのだ。
人間の姿ーー剣士ノワルの姿になったとしても、彼の今の役割は、一介の冒険者に過ぎないので、リンゲン開発のための、殖産施策に口を出す立場でもない。
なのでわたしの飼い狼のふりをして、助言役をするしかないのだけれど、それだとここに居る皆と意見を戦わせることはできない。黒い仔狼ーーバウにとって、それほどリンゲンの政策に興味があるということもないけれど、頭が良く真面目な子なので、いろいろと一言いいたくなっているのかも知れない。
(それにしても、先程の、冬の食料を補うために雪よけを作って
そうわたしの頭のなかに語りかけり仔狼。すっかり
会議の席上、誰かと誰かが声高に議論を始めた。
どうも今年の天候の見通しで意見が食い違ったらしい。しかし別の人は別の議論をしており、そちらは合意を得たようだ。実に会議は活発だ。
議論が決着を見たらしきところから、議長役のレオンが拾い上げ、黒板に決定事項を書いて確認する。決定したらそれを付き人がろう板に写しとって積み上げて保管している。聞けば、あとで清書して法令化して布告するのだという。
ろう板はすでに木箱2つ分にもなっており、ものすごい効率で物事と政策が決まっていく。数年議論していたことが、危機をきっかけに一挙に前に進むというけれど、わたしはいまそれを目の当たりにしている。
成人もしていない、幼い公爵令嬢のわたしは、所詮お飾りなので、こうした会議で専門家たちの意見に口をはさむことは、かえって有害だ。まあそういう言い訳のもと、わたしはわからないものをわからないままに聞き流しずっと黙っている。
ときおり『寝てませんよ。みなさんのことは心配していますよ』というポーズを取るのもお仕事だ。
けれど常にそのポーズを取っている必要もないので、わたしには結構膨大な暇がある。お茶もポットで用意してもらったので、チェセの手をわずらわせることもない。
なので、仔狼とじゃれるようにして、わたしは手近な資料を手元に引き寄せ、ページをめくっているわけだ。
めくったページは報告書になっており、わかりやすいのだろうが表現も固く、理解には背景知識が必要なので、読み進めるのが普通に難しい。
自然、わたしと仔狼で額を突き合わせるようにして、資料を覗き込むことになる。
その資料のそのページにはこうあった。
課題:『リンゲンまでの交通の確保』
【対策案】
①新街道の開拓
②ウドナ河の
③ウドナ河並行運河の新造
④北方旧道の回復
(根本的な対策は、いずれも大工事だ。工期は十数年に渡り、費用も・・・・・試算だけで、金貨数十万枚という単位だな)
ふむふむとバウ。
(とにかく、道の新設にはめちゃくちゃ時間とお金がかかるってことだよね?)
おいそれとできることではない。もしできていたら、リンゲンを僻地と呼ぶ者はいないだろう。
(②の『ウドナ河の・・・かい・・・さく?』 ってなにかしら)
(その名の通り、河を開くことだな。急流や河の岩場は、船で通行ができない。そこで、船で通行できるように、岩を砕いて河の傾斜、水量を整え、船を通れるようにすることだ。治水の目的もあるーーつまり、氾濫を減らすのも目的としている)
へぇー。バウ物知りー。精霊の眷属で長く生きてるから、と理由を思い浮かんだけれど、さっき答えはもっと長生きしているサフィリアからはきっと返ってこないだろう。引き合いに出して申し訳ないけど・・・。うん、結局本人の資質と勉強次第なんだと思う。
(船が通れる道があれば、重量物でも輸送することができる。物も人も行き来が頻繁になるので、リンゲンが他の都市と水路で繋がれば、交流は飛躍的に増えるだろうな)
前世日本で、水路は高速道路みたいなものだって聞いたことがある。
自動車のないこの世界だと、一番効率のいい輸送方法なのかも。
言いながら、わたしは少し前にリンゲンまで辿ってきた道のりを思い出す。まるで巨大な滝のように見える、ウドナ河上流域を見たのを思い出す。
ウドナ河上流域には、『
(・・・・・・。それには、あのウドナ河の『大瀬』を砕かないといけないってこと?)
(そうなるな)
(それは、ものすごーく大変そうね)
アセレア情報によれば、あの『大瀬』は数里ーー数キロメートルに渡ると言っていた。それだけの岩石を砕くというと、岩の山脈を砕いていくようなものだ。
想像しただけでげんなりしているわたしを置いて、バウが資料を先に進み読む。
(代替案として出されているのが③だろうな。河が開けないなら、いっそ並行して別の運河を作ってしまおうという案だな)
(でもそれも大変なんでしょ?)
(もちろん。この資料によれば、運河の候補となる地も、地質調査の結果、固い岩盤が多いらしい)
八方ふさがりだ。
ちなみに④の旧道復活は、かつてリンゲンの北方に伸びていた街道を復活させる案だが、リンゲンを北方に出て、さる峠を超えた先は『暗黒荒野』。つまり魔王領なのだ。魔王領を通って西部の都市のどれかに至ろうというのは、危険すぎるだろう。仮に開通させたとしても、好んで通る人がいるとも思えない。
根本的な対策は、どれも現実的な案とは思えない。
(ふむ、そういうわけで、補助案があるらしい。こちらが本命なのだろう)
バウはまたたふたふと肉球による催促をする。ページをめくるとたしかに報告書は続いていた。補助案、と言うものが3つ挙げられていた。
(なるほど。最初の4案は、これを導くための前提として書かれているのだな)
ふむう。書くのも意味がない無茶な案は、『ちゃんと考えましたよ』というポーズというわけか。理由あってベストな手段は採れないが、せめてベターな案を実施していこうという結論を得るために、こういう資料の作り方をしているというわけね。
バウの説明を聞きながら、わたしは内容を理解していく。
【補助案】
①爆ぜ実の木 伐採
②
③洪水地帯の架橋
①は、邪魔者の爆ぜ実を、爆発しにくい寒い季節のうちに伐採することで、夏の通行の安全度をあげようという案だ。
人手は現在リンゲンに、たむろしているーーいえ、駐在している、冒険者を含む霞姫騎士団を宛てる。今のところ魔王軍の襲撃はないし、危険物の扱いに慣れた彼らは、理想的な働き手になるだろう。
②は結局、道を開拓することがむずかしければ、
問題は、
③は春でも道を通行できるように氾濫地帯に陸橋を架けようしようという案だ。ウドナ河の氾濫は、一気にどばっと水が流れるという格好ではなく、じわじわと水位があがって湿地帯が増えていく、という氾濫の仕方だ。
だから氾濫地域にある森の木もすべて流れずに、大きな木は残っていたりするのだ。この倒れなかった大きな木を
ウリッシュ急便と組み合わせた案なので、橋の幅と強度はウリッシュが通れる、すれ違えれば充分ということにするのだろう。
なるほど、とバウの話を聞いて頷くわたし。理解できた気がする。
そうしてわたしと仔狼のバウが顔をあげると、皆がわたしたちを見ていた。
なぜか、皆一様に、ほっこりとした顔をしている。
「激務のなか、究極の癒やしですな」
「美少女と小動物ーー鉄板の組み合わせです」
「いや実に可憐で可愛らしい」
会議に参加する面々はそう言い合って、わたしにはわからぬ目配せを交わす。
そしてみなほっこりとした笑顔になる。
隣を見ると、チェセが『やはりリュミフォンセ様は素晴らしいです』と手放しで褒めてくれた。なんのことだかよくわからない。その奥ではやはりサフィリアは立ったまま寝続けていた。
腑に落ちないことがあるものの、今のバウとのやり取りで思いついた案があったので、その案を述べてみる。
「ーーーーーー」
みんなほっこりとした顔のまま頷いてくれる。
「よろしいでしょう。無駄にはなりませんし、やってみる価値はあるでしょう」
厳しいレオンがわたしの意見に丸をつけてくれた。
わたしの案が黒板に書かれ、承認されたものがろう板に書き写される。
そういうのを見ると、わたしの考えも役に立ったのだと、わたしのなかで喜びが高まる。
やった! 案が通ったよ!
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