19 メイドと吸血鬼と①
「しもべの
ヴラドの声が頭にがんがんと響く。お屋敷の前の階段で、わたしはたたらを踏む。意識がもうろうとし、平衡を保っていられない。咬まれたときに、何かを体に送り込まれたのだ・・・。
猛烈にその場に腰をおろしたい。けれど、そうしたらわたしの人生が終わる気がした。せめて睨みつけようと、顔をあげる。
ヴラドの背が見上げるように高い。もともと長身だったけれど、さらに二回り大きくなった。そして巨大化した、牙のごとき両の犬歯。黒い外套に身を包んだその姿は、日本にいたころの前世の知識を刺激した。
「ヴァンパイア・・・?」
呟いた瞬間、わたしの顔が跳ね上がった。体勢を崩したけれど、腰はつけなかった。そのまま体を引きずるようにして、階段を上にあがる。頬を張られたのだとわかった・・・ヴラドの指で。
「おお〜っと。この程度で傷んでくれるなよ? この姿になると、手加減が非常に難しいのだ、許せよ」
ヴラドはわたしの頬を殴った自身の人指し指を、舌でぺろりと撫でた。
「だがいただけない。間違うべきではないな、わたしはただのヴァンパイアではない。ヴァンパイア=ロード。夜に息づくしもべどもを統べる王だ」
そして長身の腰を折り曲げ、まるで爬虫類のように縦に鋭く細い瞳孔を、わたしに近づけてくる。
「そして歓喜しろ。王に咬まれたお前はもうすぐ、不死の体となり、そして、わたしの忠実なしもべとなる。お前は選ばれたのだよ、リュミフォンセ」
どくんどくんと、鼓動が止まらない。頭はもうろうとしているのに、意識の裏側がどんどん明瞭になっているような気がする。わたしがわたしで無くなってしまう、そんな気がする。
護衛の騎士が付かなくなるまでの半年を、ずっとこいつは待っていたのだ。魔法の先生の振りをして。そしてバウのことも調べ、バウがいなくなるときを狙っていた。さらに、訓練場にいる騎士たちからも引き離した。さらにお祖父様は出張だ。
わたしはぞっとする。こいつの魔法の腕なら、皆を皆殺しにすることもできただろう。けれどそうせず、わたしを支配下に置こうとしているのは、わたしを介して、この公爵家を乗っ取ろうとしているのではないか? 思い出せ。こいつ、ヴラドは、王都で高名な魔法学者であるとともに、ウラル家、中級貴族の地位があった。・・・その地位は、どうやって手に入れた?
「ウラル家の人は、どうしたの・・・?」
ウラル家とは、こいつ、ヴラドが名乗った家名だ。わたしの推測が正しければ、その家の誰かを操って、その家名を乗っ取ったのだ。
「ほう、この状況で、良くそこまで頭がまわったな。我が
おことわりだ、と言ってやりたいけれど、口がうまく動かない、舌がまわらない。けれど一歩でもこいつから離れようと、階段を一段のぼる。
「それに見目も良い。人間種族ではあるが、特別にしとねで可愛がってやってもよいぞ」
は? わたし8歳なんだけど。
「いやいやいやなにいってんの?」
ダメージも忘れて、素で返してしまった。こいつ。
おぞけがたつ。さらに体を這うようにわたしの体に当てられている、やつの視線がたまらなくイヤだ。
萎えかけていた心を奮い立たせる。負けられない戦いがここにある!
わたしは自分の体に集中する。咬まれたゾンビにする映画が前世時代にあったけれど、あれはウィルスによるものだった。ヴァンパイアのしもべ化も同じ原理かも知れない。となれば、浄化の魔法が効くのかも・・・。
けれど回復系は苦手魔法だ。効果は薄いし発動にも時間がかかる。だからわたしは、気合で体を動かして、階段を登り、ヤツとの距離を広げる。ほんの少しでもいい、時間が稼げれば・・・
「無駄なあがきを」
そういってヤツが手を伸ばしてきたときだった。
「あなた! お嬢様にいったいなにをしているんです!!」
上からーーお屋敷の入り口のほうから声がした。見上げると、そこには金髪のメイドが武器のつもりだろうか、銀の壺を抱えて立っている。メアリさんだ。
入り口に待機して、様子がおかしかったから出てきたのか。
ちっ、とヴァンパイア=ロードと化したヴラドが舌打ちをした。
「出てこなければ、死ななかったものを」
メアリさんに向けて、ヴラドが指を伸ばす。魔法を使う気だ。
「やめて! あのひとに手を出さないで!」
わたしはもうろうとする意識でもできる魔法を発動しながら、腕を振る。手先にまとわせた紫電が、なんとかヴラドの腕を弾いた。ダメージはないだろうが、ヴラドはうるさそうにわたしをにらむ。
「そうか、あのメイドが大事か。ならば、守ってみるのだな!」
そして再び魔法を発動する。小さな詠唱紋が一回転した。小さな黒球を飛ばす初級魔法だけれど、ヴラドの実力なら一般人を殺すには充分すぎる威力だ。
だめぇっ!
絶望に世界がまるでスローモーションのように動く。ヴラドの魔法は無慈悲に発動され、未来の軌跡の先にはメアリさんがいる。同時に、ヴラドはわたしのほうへと近付こうとして足を踏み出している。もしもういちど咬みなおされたら、わたしのしもべ化の症状がいっきに進むに違いない。
どうする? 魔法球をはじく? いやそれは間に合わない。防御魔法を発動する? それももう遅い。メアリさんが自発的に躱してくれるのを期待する? できなくもないけど、現実的じゃない。
じゃあどうする? わたしも足を動かして、逃げなければいけない。バウはーー遠くに出ている、この一瞬にちょうどよく戻ってきてくれるはずもない! ああ、打つ手がない! いやあきらめるな考えろかんがえろーー! わたしの得意はなに?
そして、その時が来た。魔法の黒球は飛び行き。
ヴラドがまた一歩わたしに近づいた。
「小癪な・・・!」
ざり、と歯をすり合わせる音が聞こえる。
わたしは、ヴラドから3メートルほど離れた、階段の上段から、悔しそうな顔をするヤツを見下ろしていた。
メアリさんの腕に、お姫様抱っこされた姿勢で。
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