第七章 3
時間は少し巻き戻る。
肩がズキズキと痛む。どれくらい痛いかというとドッジボールで男子の全力で投げたボールを顔面で受けたくらいの痛みである。もちろんその程度の痛みで済んでいるのは輝石のおかげだ。もし普通の人間があの砲撃を受けていたら肩から先が千切れていただろう。
「ユウコ、大丈夫か!?」
「な、なんとか……。それより先輩は?」
「あれは完全に頭に血が昇っておるな。お主を傷つけられたのがよほど許せんようじゃ」
「一人で戦うなんて危険じゃないですか!」
「それでも仲間の為なら前に出るのが茶々という勇者なんじゃ。大丈夫、あれでも最強の勇者の弟子じゃからな。それより傷を見せるのじゃ」
赤く腫れあがった肌を見てティアーネは思ったより傷が大した事がない事に安堵した。最初の一撃が相手に衝撃を与える暴徒鎮圧モードだったのが幸いだった。もし最初の一撃が殺傷破壊を目的とした爆裂弾なら優子も近くにいた自分たちも一網打尽にされていたかもしれない。
「運に助けられた、か」
「え?」
「いや、こちらの話じゃ。うむ、この程度ならすぐ治る。少しヒヤっとするぞ」
そう言うと、どこからか取り出した小さなスプレー缶の中身をティアーネは盛大に優子の肩へ噴射する。
「つ、冷たいし染みます~!」
「効いておる証拠じゃ、我慢せい」
丸々一缶を使い切り肌が真っ白になっているが痛みは完全に無くなっていた。
「あの、それ何なんですか?」
「ただの傷薬じゃ。勇者ならある程度のダメージは短時間で自然に治るのじゃが戦闘中はのんびり待っておれんからの。どうじゃ、まだ痛むか?」
「痛みは引きましたから大丈夫そうです」
試しに右腕を回してみるがとくに問題なく動かすことが出来る。ただそんなやり取りをしている間にも爆発音が辺りに響いている。
「うむ、なら少しここで隠れておれ」
優子の体の震えが爆発の振動のせいだけではない事を見抜いたティアーネはそう言って自分の体をゆっくり浮かせ慎重に壁の上端から様子を見る。
戦いのペースは『軽トラ』に握られている。それは試験の時に戦った『自転車』との戦いの再現のようでもあった。
「むぅ、このままでは……」
なにかアドバイスでも送れればと思うがティアーネもそこまでエデンの兵器について詳しい訳ではない。『軽トラ』に乗っている砲台についても昔父に連れられて行った視察先で見たことがある程度である。
あまり知識面で役に立てないのなら手持ちのアイテムで何か援護できないかと思案していると――。
「あの武器持ちってそんなに強いんですか?」
「強い。単純な武器の強さだけではない。全ての能力が今まで戦ってきた喰らうモノとは一回り違うと思ってよい」
四つん這いで近寄ってきた優子が顔を出そうとするのを手で制止しながらティアーネが答えると優子の顔が曇る。
「そんなのを相手にして本当に先輩は大丈夫なんですか!?」
「茶々も単独で武器持ちと戦った経験は一度もない。だからこそ何か手を考えねばならぬのだが……」
サイコキネシスで動きを止めるにしても、その拘束はほんの一瞬が精々。その他のアイテムもある程度の接近を試みねばならないため、輝力を持たないティアーネでは自殺行為に等しい。
いや、手はあるにはある。だが肝心の状況を打開できる少女の心は折れかかっていた。
冷静に見えて思わぬ緊急事態にティアーネも動揺しているのは優子にも分かる。1人で戦う茶々の助けに行かなければと思う。
だが、そんな思いと裏腹に足が、いや体が震えて動かない。
(戦い方は教えてくれても恐怖を乗り越える方法は教えてくれない。沙織さんの言っていた事はこう言う事なんだ)
実際に痛みを受けてこそ分かる恐怖。今までの一方的な戦いと現実味のない相手との戦いで麻痺しかけていた現実感が急速に呼び覚まされる。
一歩間違えれば死ぬかもしれない。
その可能性をはっきりと認識出来てしまった時、優子は動けなくなってしまった。
「無理をせんでも良い。お主は我らが守る。命に代えてもな」
ティアーネの言葉で優子の中で何かが崩れた。気が付けば目から涙が取り留めもなく流れていく。
恐怖、後悔、安堵、不安、様々な感情が溢れ出し抑えきれなくなったのだ。
泣いている場合ではないと理性では分かっているが感情がそれを凌駕する。
「お主の様に喰らうモノの事件に巻き込まれ勇者になった者は意外に多い。じゃがその大半は三回目の戦いまでにほとんど脱落するのじゃ。理由は今なら分かるじゃろう?」
労せずアニメやゲームのキャラの様な存在になれる。そう聞けばほとんどの若者は輝石を手に取る。だが、ティアーネの言う通り大半の人は早々にギルドから脱退することになる。自分の命、他人の命、喰らうモノという存在への恐怖、そういった重圧に負け輝石を手放し去っていく。
「怖いじゃろう。そう思うお主は正常な心の持ち主じゃ。何も恥じる事はない。平和な世界で生きてきた者の普通の感覚なのだから」
「なら先輩は、ギルドに今も所属している人たちは普通じゃないんですか?」
「大半は普通じゃよ。まぁ、中には色々ぶっ飛んでおる奴もおるがな。茶々も、ぎりぎり普通の範囲に収まっておると言えるかもしれん」
「なら先輩たちはどうして平気で戦えるんです?」
特に答えを期待したわけではない優子の言葉にティアーネはしばし考え、ゆっくりと自分の考えを口にする。それが優子の心に届く事を祈りながら。
「我も様々な勇者を見てきた。だからこそ言えるが、戦い続ける事に大した理由は必要ではないのじゃろう。家族を守りたい、身近なものを護りたい、友達を救いたい。戦う理由はきっとそのくらいでいいのじゃ。後は自分が納得できるかどうかじゃよ」
「納得……?」
「どんなに美辞麗句、大言壮語を並び立てたとて、そこの心が籠っていないのなら無意味じゃ。恐怖に負けないためには確固たる願いや信念がなければならん」
そうかもしれないと優子は思う。
『自分の身に起こった事を知りたい』『喰らうモノと勇者ギルドの事を知る』という最初の目的は達した。
そして最後の問い『それらを知ったうえで自分はどうすべきか?』。その答えを求めて巣に残り、戦いの高揚感と恐怖を知った。
知りたいことを知ってしまった、満たされたが故の空虚。今まで自分を駆り立てていたものが無くなってしまったから優子は立ちあがる事ができない。
己の命の重さを痛みを実感させた肩の傷を無意識に擦る。
血も出ていないし既に痛みもないが今でも撃たれた時の痛みは思い出せる。
この先も痛みを感じる戦いに身を投じるのか、否か。
もし戦うのなら自分はどんな思いを持って戦えばいいのか……?
「……私は、知りたかったんです。自分に何が起こったのか知りたかっただけなんです」
「そうか」
「きっと私が無理に戦う必要なんてないんです。だってもう私より強い人は沢山いるんですから」
フィクションならば、戦えるのが優子だけというシチュエーションにして追い込む、あるいは決断に踏ん切りがつくようにしてくれるだろう。
だが現実は違う。
優子以外にも戦える者はいるし、恐らくこれからも現れるだろう。
今、この窮地もきっと茶々とティアーネが何とかしてくれる。
だから、もう自分が戦う理由なんてないはずだ。
「狙うならこっちを狙えっ!」
茶々の声が爆音に掻き消される。
けど、もう自分には関係ない……。
目を閉じ耳を塞いでやり過ごしてしまえばいい。
そのはずなのに……。
「…………なんて訳にはいかないでしょ、どう考えたって」
「ユウコ?」
そんな事を思っている自分に急に腹立たしさを感じた。
面倒な事は他人に任せればいい。
それはまるで、自分が散々心の中で不満をぶつけてきた担任や同級生と同じではないか?
そう思ったら急に今度は自分に対する怒りが抑えきれなくなってきた。
それに巣に入った後にも知りたいと思う事が色々増えたのだ。目的は達した?むしろ増えたくらいだ。
「まだまだ知りたいことがあるんです、私には!先輩の事も、ティアーネさんの事も、リョウさんの事も、勇者ギルドの事も、エデンの事も!それから、喰らうモノの事も。私は知りたいんです!だからこんな所で蹲っているわけにはいかないんです!」
「お、おう、そうか」
ティアーネもドン引きするほどに(実際には突然大声を出した優子に驚いただけだが)呆れるほどの身勝手な理由だが、この『好奇心』が今までの優子を支えてきた。もちろんそれだけではない。すぐ近くで自分とほぼ同じ年齢の子が命を懸けているのに何もしないなんて嫌だった。
何が出来るかではなく、何をしたいのか。
陽太郎に言われた言葉が折れかけた心を支え、土壇場で見せた優子の好奇心と負けん気が勇気の火を灯す。
……あるいは単に泣くだけ泣いて開き直っただけなのかもしれないが。
「この先どうするにしても、まずはここを切り抜けないと話になりません。私も出ます!」
「いや、待つのじゃ!」
ティアーネの制止の声と同時に今まで優子たちを守っていた壁が左右に伸びて激しい衝突の音が周囲に轟く。
何が起こったのかと問う前に優子は立ちあがり崩れた壁から顔を出すと、砲台を載せた『軽トラ』が派手にクラッシュしているのが見えた。
そして向こうから走り寄る茶々へ向けて砲台がゆっくりと旋回するのが見えた時、優子は壁越しに大鎌を振りかぶって。
「させませんっ!」
今までと違う決意を持って、それを振り下ろした。
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