第10話 一陣の風になって

 『一式陸攻』10機……それに搭載された『桜花』も10機……ただひたすらに敵艦隊を目指して飛んでいた。

 もうこれ以上の航空特攻作戦はできなかった。

 搭乗員達の表情も硬く、きつく唇を噛みしめて群青の海を見つめている。


――ただ一矢報いたい……


 彼等に共通する思いは、ただそれだけだった。

 政治的思想、信念、宗教……もうそんな物はどうでも良い。ただ、自分達を生み出し、育んだ、この山も河も大地を護りたい……それだけだった。

 彼等は高級軍人でも政治家でも官僚でもない。一介の兵士である……考える事を許されず、命令に従い行動する事しか許されなかった兵士である。それぞれの故郷に帰れば、土地を耕したり、街で働いていたりしたであろう何の力もない平民なのだ。


 それでも彼等は、命を賭して空を進んでいく。


 だからこそ、和人は彼等に続いた。

 愛機『03-103号機』は、轟々とエンジン音を響かせ僚機10機と共に、攻撃隊の直掩を行っている。垂直尾翼の数字『03』は和人がかつて所属していた第203海軍航空隊の識別番号だが、書き直す暇もなく塗料も無かった。


 やがて、和人の右手上空に黒い胡麻粒のような点が幾つも見えてきて、和人は翼を何回か振って、後続機に合図をすると無線機のスイッチを入れた。


「こちら最上一番……敵機見ゆ……高度7000……方位02……全機戦闘態勢!」


 そう言うと彼は、胴体下の落下増槽を切り離して、先行する特別攻撃隊の『一式陸攻』を追い抜いた。和人機に続く『零戦』は10機……各地から寄せ集められた物で、形式も塗色もバラバラだが市郎達整備兵達が丹念に整備した機体ばかりだ。


「我に続け!」


『03-103号機』が唸りを上げて突進して行き、後続機も和人の指示通り2機一組になって、編隊を組み突っ込んでいく。


 彼等を待ち構えていたのは、予想通り艦載機の『F6Fヘルキャット』だ。発艦した空母毎に梯団を組み、それはさながら雲の層のように何層にも渡っている。


「カミカゼなんてさせるかよ! ジャップ!!」


 愛機である『ホワイト10』を駆る第1空母飛行隊の『撃墜王エース』ティベッツ大尉は、向かってくる『零戦』を見下ろしながら口角を吊り上げて嘲笑あざわらった。

 彼我の戦力差は100対11。おまけにF6Fの対日本軍機の撃墜対被撃墜比率キルレシオは19対1とされており、圧倒的な戦績を残している。どう考えても負ける要素が一つもない戦いだ。


「全機散開! 『黄色い猿』共を血祭りにあげてやれ!!」


 彼の号令で、F6Fが大出力のエンジンに物を言わせて一気に散開し零戦隊を包囲しようと広がっていく。


「これで包囲殲滅だ……たかが11機で何ができる?」


 接近する『零戦』を真正面に捉えたF6Fのパイロットが見下すように笑う。照準器の中にその薄汚い緑色と赤いミートボールの機体を捉えたら、弾幕を浴びせ掛ければいい。それで奴は火だるまだ。

 そう思った瞬間、先頭の『零戦』の両翼から光が放たれた。


「ヘッ、そんな小便弾が当たるものかよ! 素人が!」


 が……次の瞬間、コックピットの風防ガラスが砕け散り、続いて20mmの機関砲弾がコックピットをズタズタに引き裂いていく。飛行帽ごと頭部を撃ち抜かれたその操縦士は、瞬時に物言わぬ肉の塊となり、そのまま白煙を引きながら海面に向かって降下していく。



「ジャックがやられた!」

「『零戦ジーク』の中にプロがいるぞ!」

「クソッ、回り込めない!」

ケツに付かれた! 離れない!」

「援護する、ちょっと待て!」

「ノーッ!!  撃たれた!  撃たれた!……大穴が開いた!  分解するっ!!」

「何だ此奴コイツ!? 後ろに目でも付いてやがるのか!?」

「こちら『ホワイト24』、メーデー! メーデー! 操縦不能!  墜落するっ!!」

「死にたくないっ!  助けてくれっ!!」

「あれは悪魔だ! 『ブルー・デーモン』だ! 誰か何とかしてくれっ!!」



 ティベッツ大尉は、無線機から飛び込んで来ている仲間の交信に耳を疑った。


――ブルー・デーモンだとっ!?


 噂には聞いた事がある。

 沖縄戦の際に恐ろしく手練れの『零戦ジーク』がいたと言う。そいつはこちらの予想がつかない機動マニューバ―を行い、こちらの射点を外し追い越オーバーシュートさせて、背後から機銃弾を数発叩き込んで仕留めるという。そしてその『零戦ジーク』の胴体には水色のストライプが描かれていると言う。

 今、ティベッツ大尉の眼前を、その『零戦ジーク』が飛び去って行く。


――こん畜生ガッデム


 ティベッツは、『零戦ジーク』を追いかけるべく愛機『ホワイト10』の速力を上げ、照準器の中にその機影を収めた。


「くたばれっ! ジャップ!!」


 F6Fの両翼から6挺の12.7mm機銃弾が一斉に放たれる。が、その弾丸の行き先にある筈の機影は、一瞬にしてその姿を消した。


「なにぃっ!?」


 慌てて首を回して周囲を探すが見つからない。しかし気が付けば、彼の背後を護っていた僚機が主翼をもぎ取られ錐揉み状態になって墜落し始め、直後に青いストライプの施された『零戦ジーク』が直下から上昇して行くのが見えた。


狼狽うろたえるな! 編隊を整え直せっ! これでは奴の思う壺だ!!」


 ディベッツは、まるで自分自身に言い聞かせるように無線機に向かってがなり立てた。


 100対11という圧倒的な戦力差は、裏を返せば、敵味方入り交じる乱戦に持ち込まれると、味方が味方を攻撃するという同士討ちの危険も孕んでいた。乱戦状態になってしまうと頭に血が上ってしまい照準器に『敵機』の機影が入った瞬間、発砲するパイロットは少なからず存在する。それが流れ弾となって、味方機に被弾させる事もあれば、撃墜した後それが味方機だったと気づくこともある。


 本来であれば、そうならないように徹底的に訓練されるのであるが、米軍とて無限に資材や人材がある訳ではない。操縦士のみならず、練度の高い兵員の消耗は戦力そのものを低下させている。


 逆に劣勢の日本機側から見れば、周りの機影は全て敵と見做していい状態になる。見境なく機関砲弾を放てば敵機に当たる。そして、あの『青い悪魔ブルー・デーモン』は味方を次々に『その狩場』に引き摺り込み翻弄している。


 実際、『青い悪魔ブルー・デーモン』の接近に恐慌を来たしたF6Fのパイロットが機銃を乱射すると、その弾丸は味方機に命中するというていたらくだ。

 乱戦に持ち込まれ100機いたF6Fは、既に6機が墜落し、損傷の激しい15機程が編隊から脱落していた。編隊を組み直してはみたものの、被弾して煙を噴きながらフラフラと飛んでいる機体が多い事にティベッツは驚いていた。


「ブラボー、チャーリー、デルタ小隊! 奴に構わず俺に続け!アルファ、エコー、フォックストロット小隊は引き続き奴を追え!」


 慌てて部隊を再編成し、彼は目標を手強い『青い悪魔』から突入態勢に入っている特別攻撃隊に変えた。


――冗談じゃない!! カード勝負の 最後の最後で『悪魔ジョーカー』を引き当てるなんて、俺は聞いてないぞ!


 戦争は自分達の勝ちなのだから、今更リスクを負う必要ない。そう考えたティベッツは『青い悪魔ブルー・デーモン』との勝負を諦め前方を飛ぶ『一式陸攻ベティー』に向かって進んでいく。


「ジャップ共が『桜花バカ』をぶっ放す前に、『一式陸攻ベティー』を撃ち落とせ!」


『桜花』は米軍から『BAKA-BOMBバカ爆弾』と呼ばれている。『バカ』とはその名の通り『馬鹿』であり、体当たりをするためだけの有人兵器の概念が彼等には理解できず『愚かな』行為だと彼等からは受け止められている。

 それ故日本語の『バカ』と名付けられている。


 それでも、そんな狂気な兵器が艦船に命中すれば、被害は著しいものとなる。事実、沖縄戦で『桜花バカ』が命中した駆逐艦は、船体が真っ二つに折れて轟沈している。艦艇の中でも小型な駆逐艦といえども、その中には数百人の人員が乗り組んでいるのだ。迎撃で100機も戦闘機を上げているのに被弾などされては堪らない。


「させるかよっ!」


 俊敏に動き回る『青い悪魔ブルー・デーモン』と違い、鈍重な『一式陸攻ベティー』は良い的だ。おまけに『桜花バカ』をぶら下げているので動きも直線的で、将来位置の予測も容易だ。

一式陸攻ベティー』も彼の接近に気付き、盛んに対空銃撃を行っているが、その技量は笑ってしまう程に低い。


 そのまま機銃の発射レバーを引くと、両翼から再び機銃の火箭が『一式陸攻ベティー』の翼や胴体を蜂の巣に変えていき、直後に盛大な炎を噴き上げて落下していく。

 その様子を見て、ティベッツはコックピット内で一人哄笑した。また旭日の撃墜キルマークを増やす事に成功した。これだけの戦績があれば、故郷アイダホに帰還すれば、彼は英雄として大いに称えられるだろう。そうすれば選挙に出て市長……いや州知事や議員になるのだって夢じゃない。

 彼は再び反転して、更にもう1機に狙いを定めて引き金を引いた。


――死ねよ、日本人ジャップども!


 翼から延びる火箭が、目標を捉える。

 さらにまた1機、エンジンとプロペラを吹き飛ばされて墜落していく。その様子を和人は視野の片隅に置きながら周囲を見回した。


――彼等は上手くやれただろうか……?


 後続した10機の『零戦』は、和人の指示のまま2機一組で突入した。お互いでお互いを庇い合う戦法で戦場を一気に駆け抜け離脱する。そして反転、さらにそれを繰り返し弾薬が尽きたら帰還する……そして和人は単機で敵編隊の中に飛び込み、編隊を崩させる。

 その作戦は、見事に成功した。


 しかし、やはり無傷という訳にはいかなかった。初期型の『零戦』では速度が伸びず、追撃してきたF6Fに銃撃され火を噴いて墜落していく。また別の空域では深追いしすぎたため、殺到してきた敵機の集中砲火を浴びズタズタにされた『零戦』もいる。

 そして和人自身もその身に銃弾を浴びていた。操縦席に飛び込んで来た銃弾が跳ね、和人の額を掠めさらに跳ね返り、脇腹に命中していた。


――もう良い! 貴様達は還れ……還ってくれ! 生きるんだ!!


 また1機、被弾した『零戦』が火を噴きながら墜落していく。

 和人は無線機に向かって叫んだ。


「こちら最上一番!  全機離脱せよ!」


 今の日本の技術では戦闘機搭載用の小型無線機の性能は悪く、この通信が僚機に伝わっているのかは判らない。それでも和人は叫び翼を振って僚機に合図した。





 そして終焉の時が来た……





 発射転把トリガーを引きF6Fの尾翼を吹き飛ばした刹那、それまで聞こえていたリズミカルな発射音が途絶えた。

 両翼前縁から突き出た銃口は沈黙し『03-103号機』の放つエンジン音だけが響いている。それは海軍航空隊パイロット最上和人としての戦いが終わりを告げた瞬間だった。


――還る……俺も……志乃の所へ……


 絞弁転把スロットル・レバーから離した左手を目の前に翳すと、そこにはべっとりと血に塗れた手袋が現れた。

 特攻隊員となった時『もう二度と戻らない』そう決意した筈だった。志乃やメイ、慶子や春子にも別れを告げてきた。


――俺は生きる……いや、生きていたい!


 それでも尚、心の奥底に潜むのは狂おしいまでの生への思いだった。

 僚機がどうなったのかは、もう和人には判らない。脇腹の痛み、額から流れ出る真っ赤な血が和人の世界を徐々に赤く染めていく。

 

――志乃……君の所へ……俺は……


 自分達の戦いは終わったのだと直感的に理解した。圧倒的な数の敵を前にして、怯む事なく全力で戦ったのだ。出血は止まらず、薄れてしまいそうになる意識の中で今和人は志乃の事だけを考えていた。


 が……そんな真っ赤な世界に飛び込んできたのは、敵機が『一式陸攻』を銃撃する姿だった。


 敵艦隊からの対空砲火を浴び、敵戦闘機の攻撃を受け炎に包まれる『一式陸攻』は、それでも前に進み続ける。『桜花』を撃ち放たんと進んでいく。

 しかし、それ阻止しようと向かっていくF6Fの姿が和人には見えた。


――やらせない……やらせるものか!!


 それは和人の最後の攻撃だった。もはや弾丸は尽き、愛機は満身創痍だ。

 誰の為でもなく、自分の意志で和人は絞弁転把スロットル・レバーを最大出力にする。悩みも痛みも苦しみも全てを受け止めながら和人は敵の戦闘機に向かって突っ込んで行く。さながら一陣の風のように……


「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 風と化した『03-103号機』が唸りを上げて突進する。和人が見つめるのは、『10』と数字が書かれ、無数の旭日撃墜キルマークを付けたF6Fの姿だ。額から流れ落ちる血は、目の中に流れ込み、彼の視界を赤く染め上げる。

 そして和人の突進に気が付いたF6Fのパイロット……ティベッツ大尉……の驚愕した顔が飛び込んで来た。


「ノーーーーーーーーッ!!」

「志乃っ……!!」


 それは刹那の事だった。

 ティベッツ大尉は、末期の瞳ではっきりと見た。自分に向かって押し寄せてくる強烈な『闘志』を……そして猛烈な爆炎と衝撃に意識が途切れた。



 米海軍第1戦闘飛行隊『F6F-5ヘルキャット(コールサイン:ホワイト10)』と大日本帝国海軍第731海軍航空隊零式艦上戦闘機52型乙『03-103号機』は空中衝突し、それぞれの航空燃料が爆発、白い星と日の丸のついた翼達が破片となってヒラヒラと空中を舞い、大海原の中へと吸い込まれていく。



 だが、その光景を目にした者はもう此処には誰もいない。

 特攻隊の姿はもう無く、生き残った和人の部下達は、出撃した基地に向かって必死に還り着こうとしている。




 米空母USS『ヨークタウン』は、特攻機の被弾は無かったが至近に落着した『桜花』の衝撃で、艦体が持ち上げられるほど大きく揺さぶられた。その結果、飛行甲板上に係留していた艦載機が数機衝撃で吹き飛ばされ海へ落下してしまったり、衝撃で兵員が薙ぎ倒され負傷者が発生するなど艦内は被害状況確認で大騒ぎになっていた。


 幾ばくかの時間が過ぎ、敵襲の混乱から立ち直った米艦隊は、本州沖へと再び進撃を始めその姿は水平線上から消え果てていく。




 海は再び静寂に包まれた。




 多くの男達が空を舞い、翼と共に散らせて行ったその命を、群青の海はただあるがままに受け止めていた。

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