第9話 最後の出撃

「搭乗員、整列!」

 司令官の厳しい声が掛けられ、待機所で車座になっていた特攻隊員達はすっくと立ち上がる。

 順に待機所を飛び出して行く特攻隊員達を和人は静かに見送っていく。ある者は勇躍して、ある者は落ち着いて、ある者は悲壮感を纏って……それが正直な彼等の気持ちなのだ。


 今回も和人以下の零戦隊に特攻出撃命令は下されなかった。

 しかし、彼は麾下の『零戦』パイロット達を待機所に集めていた。飛行前のブリーフィングを行なうために集められていたパイロットは全部で10名。いずれも和人より若い者達ばかりであった。


「第三天雷特別攻撃隊の出撃に沿って、我々も出撃する!目的は直掩だ。1機でも多く叩き落とし、彼等の花道を作る。それが我々の任務だ」


 和人は言葉を紡いだ。

 去る6日と9日には、広島と長崎に新型爆弾が投下され甚大な被害が出てしまった。情報によれば新型爆弾を投下したのはたった1機のB-29だと言う。その1機の爆撃機さえ、迎撃・撃墜することができなかったのは、戦闘機パイロットとして忸怩とした思いに駆られてしまう。


 だが、燃料は払底し、もはや帝国海軍は軍艦一隻満足に動かすことができない。刀折れ矢尽きた海軍に、日本を護る術はもう無いのだ。

 和人が少尉候補生時代に乗り組んだ、かつての連合艦隊旗艦『長門』も横須賀港に繋留され、浮遊砲台としてカモフラージュの為の迷彩塗装や木々の取り付け、主砲以外の兵装等々の撤去が行われた挙句、米軍艦載機の攻撃を受け中破し修理させる事なく放置されたままだと言う。


 それは若い彼等も肌感覚で判っているのだろう……和人の言葉に誰もが俯き、そして小さく肩を震わせている。

「この基地からの特攻出撃はこれが最後になる。もう燃料も機材も無くなるからだ……そして貴様達は2機一組で行動し、決して離れるな。敵戦闘機群を突破後、離脱……帰投せよ」

 隊長である和人の言葉に「『死ぬ事』で国に報いろ」と散々に教え込まれていた隊員達は息を飲んだ。

「隊長……自分は、突入します!そうでないと……先に征った連中に……」

 その中の一人が声を振り絞るように声を上げた。彼は既に何度も出撃を繰り返している。しかし、機体トラブルで引き返したり不時着したりで、その都度帰還してきている。

 部隊内でも『死に損ない』と陰口も叩かれているのを和人も聞いた事がある。


「貴様達に回せる爆弾はもう無い」


 凛とした声で和人が告げた。

 今、特攻機として集められた『零戦』に爆弾は搭載されていない。機銃の弾丸だけが目一杯搭載されているだけだ。


 それは冷静に戦局を分析していた司令官小谷の意向でもあった。

 小谷は攻撃ではなく、防衛のために戦闘機を温存したかった。訓練生たる予科練も廃止された今、補充のパイロットの当てもない。だから、特攻で今や貴重となった戦闘機と人員を浪費する事は避けたかった。

 本当の事を言えば、『一式陸攻』や『桜花』の搭乗員も全員戦闘機パイロットに転換させたい位であったが、時局と命令はそれを許さない。


 だから和人達『零戦隊』に出撃させなかったのだ。まして和人は、数少なくなった『撃墜王エース』の一人だ。彼が転属したのも、他の若いパイロット達に地上でできる戦闘訓練をして欲しかったからだ。

 それを和人自身に小谷が打ち明けられた時、和人は言葉を失った。


――志乃にまた会える……


 既に覚悟を決めていたつもりだったのに、一縷の希望が見えてきた。

 しかし、和人は首を振ってその気持ちを追い払ったのだ。

 そして彼はこの場に臨んでいる。


「此処からは俺の本音だ」


 和人は、部下達を見回す。「顔を上げろ」と肩を叩く。


「もうすぐ戦争は終わる……徹底抗戦、本土決戦を主張して全員玉砕を唱える者もいるだろうが、そうはならない……」


 それは和人の確信にも似た思いだった。


――志乃のような人間が生きている限り、日本は滅びない……必ず生き残る!


 遠く離れた場所でも、和人は志乃を信じている。

 降伏し占領された故国がどのような目に遭わされるのかは判らない。それでも彼女は力の限り生きていく事だろう。例え塗炭に塗れたとしても、いつか必ず立ち直り、前を向いて歩き出す事だろう。


「貴様達は、今は生き残る事だけを考えろ! 例え死に損ないとあざけりを受けたとしても、それは天が貴様達の命を奪う必要が無いと考えたからだ。特攻隊員である事を誇りとし、生きてこそ手にする栄光を掴み取れ」


 部下達は互いに顔を見合わせた。それまでの上官や先輩兵に「死ね」と命令され続けた彼等が、今は「生きろ」と命令を受けている……それに当惑したからだ。


 そして2機一組の編隊飛行……格闘戦に入った時の空戦技術はもはや修得する暇はない。となれば、1機の戦闘機に2人掛かりで挑んで討ち取ろう……相手が得意とする『一撃離脱戦法』で。

 本来格闘戦用に開発された『零戦』に、速度と上昇力を要求する一撃離脱戦法は向いていないのかもしれない。それでも2機一組にすることで、長機が攻撃を行っている間、僚機が上空や長機の後方に付いて援護・哨戒を行えば、攻撃を行う長機は後方に留意する必要がないため、攻撃に集中する事ができる筈だ。


 攻撃を行った後は、速やかに離脱することで攻撃を受けなくする……そうすれば生存性は、飛躍的に向上する。

 現場の指揮官として、そう結論付けた和人は手早く各隊員のすべきことを伝達する。複雑な事をする技量はない彼等には、単純かつ明快に指示するしかない。


 説明するにつれ、彼等の顔に赤味が差し来るのを和人は感じていた。死ぬ事を覚悟していた若者達に、次の目標を指し示す事こそ年長者の役割だ。いずれは果てる命だとしても、それに至るまでに何を為すのかを考える事。

 和人は、限られた僅かな時間の中で、彼等の未来を拓こうとしていた。


「よし、総員乗機せよ!」


 和人の命令に、隊員達は一斉に駆け出す。

 先程出撃した特攻隊員達に勝るとも劣らない表情を、その若き顔に宿しながら。


 愛機『03-103号機』は、暖機運転を終えて、高速で3翅のプロペラを回転させ主が来るのを待っていた。

 そして103号機の気付整兵も……


「今日も万全でありますっ!」


 和人が愛機に乗り込む前、市郎は決まってこう声を掛ける。

 正直言って、機体のコンディションの回復は望むべくもない……数々の空中戦を戦い抜いた機体は、各所に深刻なダメージを受けている。補修をしたくとも部品はなく、飛べなくなった他の機体から取り外して使用している……継ぎ接ぎだらけ……の機体だ。

 それでも墜落もせず生還してくるのは、偏に和人の並々ならぬ技量に支えられてきたからだと市郎は確信している。


「ご苦労」と声を掛けた和人は、操縦席に収まりながら発進準備を始める市郎に声を掛けた。


「越智君!  君はたしか俺と同郷だったな!?」

「はいっ! 左様であります! 最上大尉だいい殿!」


『栄21型』エンジンが轟々という音を立てている中、市郎は和人のいる操縦席に駆け登って大声を張り上げた。


「では、これを君に託しておこう!」

「はっ!  何でありますか!?」


 今迄、和人からこんな話をされた事は無かった。

 市郎が首を伸ばすと、和人は一通の白い封筒を取り出した。


「これを……届けておいて欲しい!」

「……はっ!」


 和人が差し出した白い封筒を市郎は受け取る。が、すぐに彼の表情が凍り付いた。それが彼の遺書であることは、すぐに判ったからだ。


「じきに戦争は終わる……もし俺が戻って来なかったら、君がこの手紙を俺の家族に渡して欲しいのだ」


 飛行帽を被り、その上に日の丸の鉢巻きを巻いた和人が操縦席から手を伸ばして、市郎の手を握って笑う。「万が一の時の為だと」言いながら笑う。

 しかし市郎の体は小刻みに震え、まだあどけなさの残る瞳から涙が溢れていた。


大尉だいい殿……自分は……自分は大尉だいい殿が全力で戦えるよう、無事に生還いただけるように精一杯整備してきたつもりであります! 死なせるために整備している訳ではありません!!」


 その言葉を上官にでも聞かれたら、またしても制裁を受けてしまうだろう。それでも構わずに市郎はエンジン音に負けない程の声を張り上げていた。


「心配ない。俺は空に行くだけだ……還れなかったとしても、俺は大空でこの世界の行く末を見守っている。だから……」


 和人は市郎の頭をポンと叩き、彼が手にした封筒をそのままポケットに押し込んだ。


「頼んだぞ、これは上官命令だ!」

「……はいっ!」


 市郎が流れる涙を拭おうともせず和人に敬礼を施す。


「車輪止め外せーーっ!」


 和人の声と共に『栄21型』エンジンの回転数が上がり、轟音と土煙が舞い上がっていく。

 そして和人は愛機の上で立ち上がり、振り返る。

 基地を囲うようにしてそびえる山々と、その中に既に葉桜に変わった桜がちらほら見えた。


 だが和人の目には、別のものが映っていた。

 故郷の桜と、その下で穏やかに微笑む母と、妹、そして、志乃。

 誰もが楽しそうに、微笑み合っていた。


「母さん、慶子……志乃……行ってくる!」


 和人はもう一度笑顔を見せてから、愛機に着席する。

 和人の目に迷いはなく、その表情はどこまでも穏やかで、神々しかった。


「離陸始めっ!」


 指揮官の号令と共に、零戦隊が轟々という爆音を響かせ、一機、また一機と滑走路を駆け抜け、大空へと舞い上がって行く。

 故国の山河はただ静かに、唸りを上げて飛翔していく『零戦』を見守っている。


「総員!  帽、振れぇ!」


 見送る整備員や他の搭乗員、そして指揮官達が帽子を脱ぎ、離陸していく戦闘機に向かって振り始める。

 和人から手紙を託された市郎も、狂ったように帽子を振り、涙を流しながら和人達が出撃していくのを見送る。

 そして、手渡された手紙に目を落とした。


「最上志乃 様」


そこには、そう書かれていた。



□■□■□■



 アメリカ海軍空母USS『ヨークタウン』(CV-10)は、弘道が戦死したミッドウェー海戦で撃沈された同名艦の名前を引き継いだ新鋭の『エセックス級』航空母艦だ。

 1944年9月に就役し、沖縄戦では、沖縄水上特攻作戦により出撃した戦艦『大和』以下の水上特攻隊に対する空襲作戦にも参加し『大和』の撃沈に貢献した。

 その間、特攻を含む日本軍の航空攻撃を数回受けるが一度も損傷することはなかった。

 沖縄戦が一段落した後は、第38任務部隊と言う高速空母機動部隊に加わり、日本本土各地に対する空襲作戦任務を遂行していた。

 既に日本軍の『カミカゼ・アタック』は散発的となり、大規模な通常攻撃の様子もない。艦載機のパイロット達も、日本の降伏も近いと思っている。勿論命令があれば、即時出撃して見かけた日本人は皆殺しにするつもりだ。


 本土上陸ともなれば、日本人は徹底抗戦するだろう。『オキナワ』で見た『バンザイアタック』は、兵士達にとっては恐怖だった。というのも彼等に『自殺』の観念はない。それは神に対する冒涜であり、背信行為でもある。だから、特攻と言う攻撃を行う日本人の心理など到底理解できないし、そんな事をする日本人ジャップは人間ではないという者もいる。


 『ヨークタウン』第1戦闘飛行隊に所属するセオドア・H・ティベッツ大尉は、コクピット下に22個の旭日旗撃墜キルマークで飾られた愛機『F6Fヘルキャット』に乗り、僚機と共に母艦を発艦した。

 この作戦が終了し母艦が母港に帰港となれば、彼の兵役も終了し、故郷のアイダホに帰る事ができる。


 数々の戦いがあった。南洋諸島への攻撃に始まり、フィリピン、台湾、そして沖縄と戦い続け、多くの日本機を葬って来た。ごく一部の手練れを除けば、日本軍機のパイロットは下手なアマチュアばかりなので怖くはない。おまけに翼や胴体に弾丸を打ち込めばすぐに火だるまになる。『七面鳥撃ち』とはよく言ったものだと彼は思う。

 最近は、空戦の機会も減って地上攻撃を行うようになった。

 漁船や自動車などは恰好の標的になるし、走っている列車などは行き先が判っているから完全にカモだ。逃げ惑う人間に機銃掃射するのにも何の躊躇いもない。


――真珠湾が先だ!


 卑怯な騙し討ちをした日本人ジャップ……平べったい顔、黄色い肌、何を考えているか判らない行動は、彼にとっては嫌悪しか浮かばない。フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人……民間人と軍人を問わず……に、奴等日本人ジャップ共がどんなふうに扱ったのか知っている。彼等は当然の報いを受けなければならないのだから、日本人ジャップが何人死のうが、彼の人生には全く関りがない事だ。


――確かに軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。

  だが、戦争は全て道徳に反するものだ。だから日本人は全て殺す。

 『キル・ジャップ!キル・ジャップ!キル・モア・ジャップ!』だ


 この言葉は、この部隊の提督であるW・F・ハルゼイ大将の言葉の受け売りだったが、彼はこの言葉を素直に受け止めていた。

 そして輪形陣の最外円を守備する対空レーダー装備の駆逐艦が、敵編隊来襲の報を告げると、ティベッツ大尉はニヤリと笑った。


――さぁ、この俺を愉しませてくれ……イッツ・ショータイムだ……


 彼等第1戦闘航空隊は、20機のF6Fが出撃し、日本軍の来襲を待ち構えていた。他の空母からも20機ずつ計100機。

 彼等の勝利は決定的であった。

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