第8話 第731海軍航空隊

「何故なんですっ!?」

 乱暴に机を叩く音が、司令官室で響いた。

 第731海軍航空隊の司令官小谷大佐だいさに向かって、感情も剥き出しに抗議しているのは、和人だった。


 第731海軍航空隊は、特攻兵器として開発された『桜花』というロケット推進方式の特殊滑空機を運用する実験・訓練部隊として編成され、太平洋戦争終盤に沖縄戦線で桜花を含む対艦特攻に従事している。731空の通称は「天雷部隊」であり、ロケット兵器である『桜花』の速度と轟音を『天雷』の如くであったことから名付けられた。


 和人はこれまで、第203海軍航空隊に所属し、これら特攻部隊を直掩するために戦い抜いてきた。

 そして戦局が絶望的な状況となり、本土決戦も必至だと思われた4月。彼もまた乗機の『零戦』と共に同じ鹿屋基地に所属する731空に転属し『零戦』中隊の指揮官になっていた。


――もう覚悟はできている。志乃との別れも済ませたんだ……


 そう思い、彼は出撃命令を待ち続けた。

『中隊長殿! お先に参ります!』

 攻撃隊に選ばれた年若い特攻隊員が、次々に二度と還らぬ出撃をしていくが、和人には一向に命令が下されなかった。

 24歳の和人にとって、予科練出身の特攻隊員は、実の妹の慶子よりも若い少年達だ。

 彼等は特攻兵器『桜花』の棺桶のような操縦席に乗り、発射母機となる機体『一式陸上攻撃機(一式陸攻)』の胴体下に『桜花』ごと吊り下げられて目標に接近、敵艦近くで母機から切り離され、そのロケット推進力で体当たりをする。


 迎撃できないほどの速度と1,200kgの爆薬を積んだ『有人対艦ミサイル』の登場は、攻め寄せる連合国軍艦隊を震撼させたが、航続距離の短さが大きな足枷となっていたため、すぐに対策が講じられてしまった。

 つまり『桜花』は、その形状から機外に装備せざるを得ず、そのために起こる空力の悪化、全部で2.3トンになる『桜花』自身の重量、さらには米兵から『ワンショット・ライター』と綽名されるほど防御の薄い母機の脆弱性と相まって、『桜花』を切り離す以前に敵機に捕捉・撃墜されるようになってしまい、目を見張るような戦果は上がっていない。


 それでも、小谷司令は『一式陸攻』と『桜花』による攻撃……『天雷作戦』……を止めようとはしなかった。その度に『一式陸攻』と『桜花』の搭乗員、合わせて9名が無為に命を散らせている。

 挙句の果てに小谷は、損耗した『一式陸攻』に代わって、新鋭の陸上爆撃機『銀河』を新たな母機と定め、改造を指示したのだから堪らない。この戦術に、歴戦の和人の怒りはついに爆発したのだ。


「何故、零戦隊も特攻に出さないのですか!このまま戦力の逐次投入では各個撃破され、戦果を挙げる前に部隊は壊滅です! ここは敵艦隊に対し、全機出撃の飽和攻撃をすべきと意見具申いたします!」


 憤懣遣る方ない様子の和人に、小谷は冷ややかな視線を浴びせ付けながら、口を開いた。

「『零戦』の25番(作者注……250kg爆弾)では、空母や戦艦に損傷を与えられん。駆逐艦如きを沈めたとて、大勢には影響を及ぼさんのだ」

 司令官の執務机に両肘を付いて、小谷は厳しい眼差しを和人に向けた。

「ならば我々零戦隊を直掩に付けてください!『桜花』に乗る予科練生達は、使い捨ての駒ではありません!」

 和人は、窓の外で対空陣地や塹壕を構築している少年達を指を差し、小谷はそれを静かに眺めていた。

 司令官室には沈黙の時間が流れ、やがて静かに口が開かれた。



□■□■□■



 和人のように兵学校から航空学生に進む者だけがパイロットになる訳ではない。操縦士の育成を目的とした組織は他にもある。海軍飛行予科練習生は、需要が高まる操縦士育成を目指して発足した制度で通称『予科練』と言う。

 予科練を卒業した練習生は、太平洋戦争勃発と共に下士官として航空機搭乗員の中核を占め各地で戦い……そして散っていった。


 ところが、戦局の悪化と装備と燃料の枯渇から予科練教育は凍結され、各予科練航空隊が解隊したのは、今年の6月の事だ。これにより任務を失った彼等予科練生は、日々、基地や防空壕の土木作業や建設などに従事している。

 この航空隊で、特攻兵器『桜花』に搭乗するのは彼等だった。いつ招集が掛かるのかは判らないという中途半端な状態のまま、土木作業に従事する彼等は、自らを土方どかたにかけて『どかれん』と呼び、半ば自嘲気味に過ごしていた。


 そして、徐々に『予科練だった生徒』に立場が近づいている者達がいた。

 機体を整備する整備兵達だ。第731海軍航空隊付で配属されている『特別機整隊』に所属する彼等は、特攻機となる機体の整備を担当する。


 しかし、機体を整備する側に立てば、その気持ちは複雑だった。

 特攻という、機体自体を一つの爆弾として見立て体当たり攻撃をする。当然機体は操縦士もろとも木端微塵になる……そのために整備をする……それが任務とは言え、やりきれない思いを抱えてしまうのも事実だった。


「ああ、クソッ! このナットはダメだ……締めたら折れた」


 彼は溜息を吐くと『不良品』と書かれた箱の中に、折れたナットを放り込んだ。ある程度纏まったら回収し、溶かして再生産する事になるであろう箱の中には、こうした規格外の部品が少なからず積まれている。


「こうした部品も勤労奉仕の女学生が作っているらしいぜ」


 同じ整備兵仲間の若者も、オイル塗れになった手を手拭いで拭いながら機体の点検口から顔を出した。


「材質も悪くなっているしな……」


 そう言って彼は、損傷して飛べなくなった機体に歩き、部品を取り外し始めた。それは彼等が今整備している機体に部品を流用するためだ。


「塗料も無いから、識別表も書き換えられない。ここだけの話……世も末だな……」


 切迫した状況はひしひしと彼等整備兵達にも伝わっていて、様々な情報が間断なく乱れ飛んでいた。


 彼……越智市郎おちいちろう二等整備兵は16歳……『海軍特別年少兵』だ。

 『海軍特別年少兵』は、帝国海革の基幹となるべき中堅幹部の養成を目的に昭和16年創設されたもので『少年航空兵』『少年電信兵』(それぞれ16歳以上)よりも若い14、15歳であることから、海軍では『特年兵』と略称された。


 特年兵教育は一般志願兵の教育と比較して、特に訓練と普通学に重点を置くことに特徴がある。午前は普通学科、午後は軍事訓練と体育に充当されたており、厳しいという言葉が生易しく感じる程の猛訓練と猛勉強が海軍の網領に基づき厳正に実行され、 一日24時間、全く容赦をしない帝国海軍伝統のスパルタ教育が課せられていた。

 越智二等整兵は、その訓練を終えて同期の特年兵とともに整備兵として配属されていた。


「予科練の連中、この間松の木伐採に駆り出されたみたいだぜ」


 仲間の整備兵の話を聞いて、市郎は暗澹たる気持ちになった。

 南方からの原油還送が困難となって燃料事情が極度に逼迫していた日本は、ドイツから松の木より航空用ガソリンを製造しているという技術情報を元に、国内で同様の燃料を製造することが検討された。当初は松の枝や皮を材料にすることが考えられたが、日本には松根油しょうこんゆ製造という既存技術があることが林業試験場から軍に伝えられ、松根油しょうこんゆを原料に航空揮発油を製造する事となった。

 以来、日本中の松林が次々に伐採されていく。


「あんな物を掘ってまでなんて……いつまで保つのかな…………?」


 それは、誰もが思っていた事だった。しかしその事を口に出してしまえば『必勝の信念無き者』として、鉄拳制裁や罰直の対象となってしまう。そんな言葉を市郎が口にしたので、仲間の整備兵は驚いてシッ!と制した。


「ちょっと……滅多な事を口にするな……上官に聞かれでもしたら只じゃ済まないぞ!」


 押し殺すような声で市郎を窘めたが、少々遅かったようだ。


「おい貴様等!今何と言ったか!?」


 激しく詰問するような鋭い声が響き、市郎達の前に二等兵曹の階級章を付けた男がツカツカと歩み寄って来たので、彼等は慌てて作業を止め直立不動の姿勢を取る。するとすぐに市郎の頬に激しい衝撃が走った。


「ガソリンの一滴は血の一滴だ! それに今の話は何だ!? 必勝の信念無くして何とするか!!」


 その二等兵曹は、蹲った市郎の腹部を蹴り上げると、一緒にいた仲間2人を次々に『鉄拳制裁』した。それは『私的制裁』そのものであったが、海軍はそのような暴行が頻繁に行われていた。


「それ位にしておけ!」


 その時、整備兵達に制裁と言う名の暴行を続けている二等兵曹の肩を強く掴む者がいた。


「ああん!?」


 自らの行動を急に中断された怒りで血走ったまなこを向けた二等兵曹だったが、その表情が驚愕に変るのに時間は掛からなかった。彼自身が慌てて直立不動の姿勢を取り、素早い速さで敬礼を施した。


「失礼しましたっ! 大尉だいい殿!」


 特攻機の整備場に整備班以外の将校が顔を出す事など予想できなかったのであろうか、その二等兵曹は額に汗を浮かべていた。そして殴られて蹲っていた市郎等も、よろよろと起き上がり敬礼する。


「こいつは俺が乗る機体だ……その整備兵を負傷させられては困るのだ。言っている意味は判るな?」


 そう言って、二等兵曹の顔を覗き込んだのは和人だった。エンジンを覆うカウリングが外され、各種点検口が開いている愛機に手を添えて、和人は強く念を押す。


「判るよな?……判ったと言え!!」

「はっ!判りました! 大尉だいい殿!」

「ならば行け!」

 そう言って、和人は二等兵曹を格納庫から追い払った。


 尾翼に『03-103』と黄文字で描かれ、胴体の日の丸の近くには水色のストライプが施された『零戦52型乙』は、配備されてからずっと彼の愛機だった。市郎はこの『03-103号機』専属の整備兵であり、和人が転属になった時、機体と一緒に転属してきたのだ。


 もっとも第731海軍航空隊も、前に所属していた第203海軍航空隊も今は同じ鹿屋基地に展開しているので市郎の仕事に変化があった訳ではない。


「あの……中隊長殿!」


 市郎が、口から血を流しながらも和人に声を掛けるが、和人は構わずに手を振った。


「喋らなくていい。血が止まったら、またよろしく頼むぞ……貴様達にはいつも頼りにさせて貰っているからな」


 そう言って、和人は手に持っていた大根の包みを取り出し、市郎に手渡した。


「差し入れだ……近所の農家から分けて貰った。食べるが良い」


 その時、少年である整備兵達の顔がパァッと明るくなった。民間に比べてまだ余裕がある筈の軍隊でさえ、もう日々の糧食さえ事欠く有様なのだ。


――判っている……この戦は俺達の負けなんだ……


 彼の愛機『03-103号機』にしても、他の機体の部品を使わなければ飛ぶ事すらできない。この731空に配備された『零戦』は初期型の『11型』から最新の『62型』までが混成している。表現を悪くすれば『各地から飛べる機体を寄せ集めた』編成になっている。同じ『零戦』でも、形式が異なれば性能は大きく異なる。これではまともな部隊編成など望むべくもない。

 司令官の小谷が麾下の『零戦隊』を戦力として見なしていない理由も此処にある。


「思えば『103お前』とも長い付き合いになった」


 大根を抱えて大喜びしている整備兵達の向こうにある愛機の胴体を撫でながら、和人は呟いた。

 正式名称『零式艦上戦闘機五二型乙(A6M5b)』……格闘戦での航空優勢を確保する為に開発された『零戦』としては、初めて速度強化と武装強化を図った機体であり、この形式から本格的な防弾装備が導入されている。

 和人がこの機体に乗ったのは前年の秋。すでに大尉だいいに昇進し、分隊長となっていた和人の専用機として配備されたのだ。そして和人は、敢えて自分に敵をひきつけるため、この『103号機』に水色のストライプ模様の塗装を施した。


 搭乗員の練度の低下が著しくなっていた状況下で、和人は、常に最前線で戦い、危うい所へ参入し列機を逃がす間、自身は最後までそこへ留まり、空戦では故障機に乗った部下を庇いながら戦う事もあった。

 所属する第203海軍航空隊が徐々に撤退を繰り返す中、常に殿しんがりを務める彼に付き従っていたのは、この『03-103号機』だった。


「こいつは他の『零戦ヤツ』より頑丈です。中隊長殿」


 気が付けば、和人の隣に市郎が立っていた。この機体の気付整備兵である市郎の言葉に、和人は「そうか」と答えた。

 この少年なりの気遣いなのだろう……和人の出撃する空は、いつも圧倒的不利な状況なのだ。この機体が無傷で戻ってきた事など一度もない。酷い時は機体が穴だらけになっていた事もある。墜落しなかったのは、彼が熱心に整備していてくれたからである。

 和人は市郎の肩にポンと手を置いた。


「いつもありがとうな、越智君!」

「中隊長殿……」


 ニカッと笑う和人に、市郎は目を見開いた。

 そして気が付いた……中隊長は死ぬ気だと……


「最上大尉だいい殿!」


 少年の汚れのない真っ直ぐな瞳が和人を捉える。


「小官は『103号機こいつ』の専属整兵として、大尉だいい殿には存分に戦って頂けるよう整備しております!ですから……」

――死なせるために整備する訳ではありません!

「どうか……ご武運を……」


 それは、市郎の心の叫びにも似た思いだった。

 見事な敬礼を施す年少兵に、和人も軍人として答礼して見せる。

「ああ、この機体は君の物でもあるからな……最善を尽くすよ」

 和人は表情を崩し、慶子に接するような優しい顔をした。

「酒保(作者注……売店)には、俺の名前で味噌と醤油を用意するよう言ってある……特整隊の皆でふろふき大根でも作って食ってくれ」

 和人なりの感謝の顕れであった。その言葉を聞いて大喜びする少年兵達の歓声は、重苦しい雰囲気包まれていた基地内に久々に響いた明るい声だった。


 その様子を見て、和人は穏やかに相好を崩す。

 しかし再び愛機を見つめる時には、その表情は一転して厳しいものへと変わっていた。

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