第1話 山桜の木


 茹だるような暑さが続く夏の日の午後、とある駅のホームに、一組の家族が降り立った。

 東京から新幹線で岡山。岡山から瀬戸大橋を渡って宇和島に向かう特急列車に乗って、ようやくたどり着いた場所は、愛媛県にある彼女の父親の本家だった。

 分家である父親が、本家に家族を連れて来ることなど滅多なことがない限り行わなかったが、今年は彼女の曾祖母が他界して6年後にあたる。


「兄貴が迎えに来ている筈だ」


 彼女の父親は列車での長旅が堪えたのか、何度も伸びをしたり屈伸したりして、旅の疲れをほぐそうとしていた。


「しかし、シーノは本当に本が好きだな」


 彼は高校2年生になる長女を見て妻に声を掛けた。


「あなたに似てね」


 妻もまた、大きなスーツケースの上に腰掛け、静かに本を読んでいる娘を見て夫に答えた。


「あははは。やはり血は争えないということか?」


 困ったように頭を掻く父親の様子を一瞥して、彼女は小さく溜息を吐いた。


「お父さんのは、本と言うより、説明書じゃない……」


 一緒にして欲しくないなという気持ちが、思わず沸き上がってくる。

 自分の住んでいる場所とは全く異なる、長閑のどかという表現が相応しい町。周りから蝉時雨せみしぐれが絶えず降り注いでくる。彼女の家の近所も蝉は鳴いているが、これほど騒々しくはない。

 でも、その全てが彼女には心地良かった。少なくとも車や雑踏の騒々しさに比べれば何と心落ち着くことか。


 やがて、先にやって来ていた彼女の叔父が、駅まで迎えに来て彼女の一家を車に乗せた。

 さすがに車の中で本を読むと車酔いしてしまうので、彼女は本を鞄の中にしまい、流れゆく車窓の景色を眺めると、瀬戸内の穏やかな光景がそこには広がっている。


 彼女……最上科乃もがみしなの……は、他界した曾祖母志乃の7回忌法要に参加するために、この地を訪れていた。

 まだ幼かったので、彼女に曾祖母の記憶はそれほど多くはない。しかし、いつも笑顔で笑っていたし、幼い自分に色々な物語をしてくれる優しいお婆ちゃんという印象しかなかった。

 やがて、最上家本家に近づいてきたのか、科乃しなの達家族を乗せた車が交差点を左折した瞬間、科乃しなのの目には長い桜並木が飛び込んできた。


 今は夏。桜の花はそこにはなかったが、桜の木々は緑一杯の葉を生い茂らせている。


「ここの桜は、名所でね。お父さんも小さいときは、よく此所で遊んだもんさ」


 助手席に座る父親が、並木を指さしてこの並木の由来を話す。

 そんな父の言葉を何の気なしに聞きながら、窓辺を眺めると、桜並木の向こうに一際大きなヤマザクラの木があった。樹齢は300年近くなると言われており、桜並木の桜とは大きさも枝振りも異なっており、この木が最上家の目印だった。


――すごい……立派な木……


 科乃しなのは身を乗り出して、その木を眺めた。

 ここまで大きくなるのに、どれだけの月日を費やしてきたのだろう。また、その時々に住んでいた人達の願いや思いを受け止めてきたのだろう。


<<……………………………………………………>>


 その時、科乃しなのは何かの気配を感じた。間違いなく木の傍に誰か立っているように見えた。しかし、次の瞬間、その人影らしきものは消え去っていた。


――えっ、何?


 目の迷いだったのか、気のせいだったのか判らない。もう一度目を凝らしてヤマザクラを見ようとした。


「おっ、見えてきた。この辺りの主の木だ。相変わらず見事なもんだな。なぁ、シーノ!」


 彼女の集中力を削ぐように、父親が感嘆の声をあげ科乃しなのに話しかけてくる。


「この木はな、他の桜並木の木とは違って……」


 父親のことは大好きだったが、この時ばかりは、話を続ける父親の声を煩わしいと思った。その瞬間、桜の木から感じていた気配は消えていた。


――もう……


 本を読むこともできず、物思いに耽ることも出来なくなった科乃しなのは、珍しく不機嫌になっていた。しかし、彼女が向かう家はあの大きな木の近所だ。科乃しなのは、到着するまで休もうと思い、後部座席で腕を組み、そのまま目を閉じた。




<<先輩……私、黒崎摩耶くろさきまやには判るのです……見えるのです……>>



 一つ下の後輩である黒崎摩耶くろさきまやが、彼女に向かって言い放った言葉が不意に過ぎった。

 それは夏休み前の図書室でのこと。

 いつものように図書館の受付デスクで、図書貸出カードと本の整理をしていた科乃しなのの前に、摩耶まやが静かに立っていた。


 手にしているのは『詳説 西洋呪術史』。摩耶まやは頻繁にこの本を借りに来ており、今日もいつもと同じように図書室にやって来て、科乃しなのの前にスッと本を差し出していた。


「あっ、ごめんなさい……」


 摩耶まやの気配に気づかなかった科乃しなのは、ペコリと頭を下げて本を受け取ろうとしたその時、科乃しなのの手に冷たい感触が伝わった。科乃しなのに負けず劣らず色白の肌。それはどちらかというと生気が薄いような感じもするが、端正な顔つきの摩耶まやには、それがますます彼女を際立たせている。


「黒崎さん……本当に、よくこの本を借りるのね……?」


 科乃しなのは興味本位で摩耶まやに尋ねた。そんなに面白い内容なのか?正直なところ、科乃しなのには皆目検討がつかないジャンルであった。


「クフフ……この魔道書、なかなか興味深い物ですよ……先輩も一緒に見てみるのも面白いと思う……」


――ま、魔道書って……


 思わず引き攣るような作り笑いが浮かんでしまう。科乃しなのには、この本が単なる学術書にしか見えない。

 科乃は、淡々と答える摩耶まやに、どう返したものか笑顔を浮べながら必死に考えた。同じ種別のタイプと言っても、一人一人の特徴は千差万別だ。


「この書は、これが全てではない……いにしえのまつろわぬ白き民が授けし力……その欠片が記されている……」

「えっ……?」


 摩耶まやの言葉に、科乃は瞼を瞬かせた。


――えっと……これって『中二病』って奴なの?


 戸惑う科乃しなの摩耶まやの言葉が重ね掛けられていく。


一度ひとたびの闇を力を得て、時の定めより解き放つが、この書に込められし願い。私はそれを果たしているに過ぎない……」


――えっと……要するに、古い本で内容が難しすぎて読み切れないまま、返却期限が来たから一度返して、また借りるって事なのかな?


 何にしても、世の中の殆ど事がスマホやタブレット、パソコンなので見たり聴いたりする事が出来る時代の中で、紙媒体の本を読んでくれるのは、本を愛する者としては嬉しい。

 淡々と言い放つ摩耶まやの言葉の意味を、彼女なりに解釈した科乃しなのは、作り笑いから本当の笑顔になった。


 摩耶まやの顔つきは、オカルト研究部の新部長で同級生の三島唯衣みしまゆいよりもキリッとしているので、存在感はあるが、やはり知識の面では唯衣の方が上なのかもしれない。そう思うと、科乃しなの摩耶まやが可愛らしく思えた。


――英玲奈えれなは、ファインダーで本質を覗いているのかな……?


 友人であり写真部の新しい部長になった篠山英玲奈しのやまえれなの『女子撮りコレクションリスト』にも、彼女がリストアップされていた訳がよく判った気がする。


「長期貸し出しの手続きも出来ますけど……手続きしましょうか?……もう夏休みになりますし……」

「えっ!マジでっ!?」


 直後、摩耶まやの顔がパッと輝いた。年相応の少女の反応だ。

 しかし、素の自分を曝け出してしまった事に気が付いた摩耶まやは、コホンと咳払いをして、直ぐに我に返り表情を引き締めた。


「ええ……大丈夫ですよ……じっくりとこの本に向き合ってくださいね……」


 本好きなら大歓迎だ。たとえ自分の専門外のジャンルでも、図書室に置いてある本をここまで大事に読んでくれる生徒は多くはない。


「私と先輩とは……魂が繋がっているのです」

――いや、その言い回しいいから……


 再び摩耶まやの中二病独特の言い回しで、彼女が言葉を紡いできて、科乃しなのは再び乾いた笑顔を浮かべてしまう。


「運命には逆らえない……それが摂理……私は甘んじて受け入れる」


 彼女なりのお礼のようだ。夏休みの間、摩耶まやはしっかりとこの本を読み通してくることだろう。手渡した本を受け取ると、摩耶まやはまっすぐ科乃しなのを見つめ口を開いた。


「先輩……私、黒崎摩耶くろさきまやには判るのです……見えるのです……」

「はいっ?」


 科乃はキョトンとした。今度はいったい何だろう?


「先程、先輩の手を触った時、大きな力を感じましたわ……まさにまつろわぬ魂の力と言うべきでしょう……」


 何かに憑かれているとでも言いたいのかと科乃しなのは訝った。


「最上先輩は、その魂に触れる事になるのです……そう遠からず……」


 そう言い残すと、摩耶まやは静かに図書館を立ち去った。それは、科乃しなのに対する摩耶まやなりの感謝の形であった。


「えっと……」


 立ち去る後ろ姿を科乃しなの呆気あっけにとられながら見送った。



 車の中で目を閉じた時、不意に摩耶まやの言葉がフラッシュバックしてきた。言われた時は何だか判らなかったし、時間が経つ程に科乃しなのの記憶の表層からも薄れてしまっていたことだ。


――でも……わたし、霊感ないからなぁ……判らないと思う……


 それが科乃しなのの正直な気持ちだった。



□■□■□■



 それから家に到着するのに、さほど時間は掛からなかった。家の中で待っていた彼女の祖母も、科乃しなのを温かく出迎えた。

 大阪や広島と言った大都会に出て行ってしまい、年頃の若い女性の数が少ないこの町に久しぶりにやって来た孫娘は、それはそれは美しく成長している。

 だからこそ、科乃しなのは下へも置かない待遇を受けており、自宅にいる時よりも自由に行動することが出来た。

 地方の町に行ったのだから、科乃しなのも女の働き手として、明後日開かれる7回忌法要のために、色々な事を手伝わなければならないと覚悟していただけに、この扱いはむしろ拍子抜けだった。


 科乃しなのも何度かこの家を訪れた事があったはずだが、幼かったので家の中の事は、あまりよく覚えてはいない。

 それでも幼心に、この家を包み込むような気を感じたことは間違いなかった。それが何なのかさえも判らぬまま、16歳になって再びこの家を訪れた。


 しかし、この大きなヤマザクラの木だけは見覚えがある。

 飛び抜けて運動神経が優れている訳ではないから、科乃しなのがこの木によじ登ったことはない。しかし、この幹や木の枝に触れるとなんとも言いようがないほどの安らぎと温かさを感じてしまう。


――この木の下で本を読んだらどんなに心地良いだろう……


 そう思った科乃しなのは、その思いを実現しようと行動に移した。

 東京のそれとは異なり、こちらの蚊は刺されると痒さも一入ひとしおなので気になるが、防虫スプレーをしておけば本を読む間ぐらいは何とかなるだろう。

 祖母が用意してくれた浴衣に袖を通し、科乃しなのは、家から本と椅子を持ち出してきて、木陰に格好の読書スペースを作り上げると、そこに腰掛け静かに本を読み出した。


 この家は、古くから建っていることもあって、いろいろな本が置いてある。まさに古本屋を開いてもおかしくない程の量がある。それは、亡くなった曾祖父の蔵書だというから、本好きな科乃しなのの興味を引くのに十分だった。

 幼い頃は何が何だか判らず、何となくカビ臭い匂いがして苦手だったが、今日改めて部屋に入ってみると、興味深い本が山のようにあった。


――明日はこの部屋お掃除しようっと……


 目についた本を数冊手に取り、科乃しなのは部屋を出た。

 今彼女が読んでいる、古い装丁の本は、今では図書館でも殆ど見ることが出来ない。それが何冊も積んである。


――この本を集めたのは曾お祖父ちゃんってお祖母ちゃんが言ってたけど……凄い尊敬しちゃうな。


 今となってはとても貴重な本だ。確かに文体が文語体かつカタカナ表記で、21世紀生まれの科乃しなのには読み辛い。

 しかし、それを補って余りある程の文字の海は、瞬時に彼女をその世界へと誘っていく。こうして科乃しなのは一心不乱にページを捲り、時が経つのを忘れて読み耽っていた。


<<キニイッテクレタカイ?>>


 そう聞こえた。


「………えっ!?………」


 思わず顔を上げて、辺りを見回した。しかし周りに人影はなく、青い空と大きなヤマザクラの木があるだけだった。


「……気のせいかな?」


 ふと腕時計を見る。手首に回した文字盤は、すっかり午後5時を回っていた。


「いけない……もう戻らないと……」


 さすがにいつまでもこの場所に居るわけにもいかない。科乃しなのは、そそくさと椅子と本を抱えて、その場を立ち去ろうとした。



ザッ……



 その時、つむじ風が吹き抜け、科乃しなのの浴衣の裾を揺らし、水色の長い髪を靡かせる。


「きゃっ……」


 思わず身を屈めながら振り返ると、ヤマザクラの枝が大きく揺れていた。

 その枝の動きは、まるで人が手を振っているようにも見え、何かを出迎えているように科乃しなのには思えた。

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