第3話 いばらの魔法

 それはまさに魔法だった。

 魔法使いは何食わぬ顔で扉という扉を自由に行き来しているというのに、王子にはそれらを通り抜けることが出来なかった。


 朝食の後、驚くことに王子には、自由時間が与えられた。


『好きにするがいい。好きにできるものならな』


 黄色い目でにやにや笑いながら言い放った魔法使いの言葉を、王子は今、痛感していた。

 城の中は自由に歩けた。が、いざ外に出ようとすると、扉も窓も頑なに王子の行く手を遮んだ。つい今しがた魔法使いが通ったばかりの扉ですら、その後を追った王子が手を掛けるとガチリと重く鍵の阻む音がした。

 幾度か同じことを繰り返し、王子はさすがにくたびれて、頑として開こうとしない扉を前に嘆息した。扉たちは溶けた鉄で固めたかのごとくぴったりと口を閉じ、押しても叩いてもびくともしないどころか、揺れてガタゴト鳴り響くことさえしなかった。


 途方に暮れてとぼとぼと暗い廊下を進みながら、王子は愛する我が城のことを想った。

 父王や母上は無事だろうか。

 負傷した兵士達も多かった。

 石に変えられた招待客達はどうなったろう。あの中には隣国のナーランジュ王子も居た筈だ。


 ナーランジュ王子。

 その名を胸に浮かべただけで、瞼が熱くなってきた。


 ナーランジュ王子は、美しい黒髪と深緑の瞳を持つ、四つ年上の優しい青年だ。博識で勇敢で、彼は王子の憧れだった。兄のように慕い、友として誇らしい、そんな相手だった。


「ロイス王子は本当に愛らしいな」


 ナーランジュ王子が白い歯を輝かせてそんな風に零すたび、ロイスは不満げに唇を尖らせたものだ。


「ナーランジュ王子、僕はもう小さな子供ではありません。もうすぐ、十四になるのです」

「はは、すまない。あまりに可愛らしかったもので、つい」


 詫びながらも再び「可愛い」等と口にするナーランジュ王子に、ロイスは腹が立つどころか、むしろ可笑しくなってきて、ついつい小さく噴き出した。その笑顔につられるように、ナーランジュ王子までもが朗らかに笑いだした。


 悔しいけれど、仕方ない。

 ロイス王子の若草色の瞳は長い睫毛に縁どられ、あごの高さで揃えられた真っ直ぐな金髪は微かなそよ風にもさらさらと揺れた。珊瑚のように艶やかな唇からは真珠のような歯が覗き、丸い頬はふんわり柔らかな薔薇の色を乗せている。

 姫君の様に愛らしいと謳われることも少なくなく、けれどロイス王子は、愛する母から譲り受けたこの容姿を、母を慕う分と同じだけ愛していたのだ。


 一方のナーランジュ王子は、年上ということを差し引いても尚、頼もしく、大人びていた。

 顔立ちが凛々しいだけでなく、その背はがっしりと高く、肩にはしなやかな筋肉がついており、男から見ても惚れ惚れとする。逞しく勇敢で腕が立ち、剣技大会でも幾度となく優勝を修めている。ナーランジュ王子の祖先はかつて恐ろしい怪物を退治し、その武勲により国王になったという伝説が残されているが、成程、ただの言い伝えでもなさそうだ。

 あまりに立派な彼の隣で、ロイスは少し悲しくなって、金の睫毛をそっと伏せた。


「僕はもうじき十四になり、その翌年には十五になります。成人の儀を迎えたら、戴冠式も遠くない。なのにこんな、情けない男でお恥ずかしい」

「何を言うのです、ロイス王子!」


 突然の剣幕に、ロイスは大きな瞳をぱっちりと見開いてナーランジュ王子を見つめ返した。ナーランジュ王子は大きな手でロイスの華奢な肩を掴むと、力強く言い切った。


「ロイス王子、貴方は強い。誰よりも強いものを持っている。それは勇気だ。臆さず、屈せず、己を信じることのできる強さだ。私はそんな貴方を心から――」


 と、ふいにナーランジュ王子が口ごもった。そしてみるみる赤面すると、慌てて両手をパッと離した。


「っ、失礼した、ロイス王子! どうか、ご無礼をお許しください」

「失礼だなんて、そんな。ありがとうございます、ナーランジュ王子」


 答えてにっこり微笑むと、ナーランジュ王子はますます顔を赤くして、慌てたように視線をふいと逸らしてしまった。その様子が、今の言葉が嘘や世辞ではない事を証明していて、ロイス王子までもがくすぐったくはにかんだものだ。




「ナーランジュ王子……ご無事でいらっしゃるといいが」


 彼の名を口にすると、切なさもいや増した。じんわり浮かび上がった涙を慌ててぐいと拭い去る。


 自分は王子だ。この国を背負う、れっきとした王子なのだ。

 昨日、十四にもなった。

 あの人は言ってくれた、自分には勇気があると。こんな所でめそめそなどしていられるものか。なんとかしてこの魔の城から脱出し、皆をあの魔法使いの術から救わねば。


 王子はきゅっと唇を噛み、強く強く頷くと、城内探検を再開した。



 魔法使いの城は歩いてみると、さしたる広さを持っていなかった。

 どこまでも続くように見えた廊下も、幾多の扉もまやかしで、実際には同じ部屋や構造が魔法で繰り返されているだけだった。

 庭も小さく、城内同様朽ちる寸前まで荒れ果てていたが、石畳が広がる中庭だけはやけに広々としており、明らかに何らかの用途を感じさせた。が、それが何なのかまでは、王子には見当もつかなかった。


 訪れる部屋訪れる部屋、いずれも埃が酷かったが、唯一、奥の厨房だけは、鍋から床まで全てがぴかぴかに磨かれていた。



 ひととおり城内を巡り終えた頃には、日が傾きかけていた。脱出できそうな場所も、魔法使いと戦えそうな武器も見つけられなかった王子は、歩き続けた脚以上に心がへとへとにくたびれ果てて、ずしりと重たい気持ち抱え、深く、深く項垂れていた。


 もう、休もう。元気になって、それからまた明日頑張ろう。

 魔法使いから与えられた自室に戻ろうと踵を返した王子の目に、ふと、細い階段が映りこんだ。廊下の隅から薄暗く伸びる、螺旋状の細い石段。おそらく、この城の尖塔に続いているのだろう。王子はまるで誘われるように、その石段を登り始めた。


 登っても登っても、ちっとも最上階へと着かなかった。それはこれまでのまやかしとは違い、本物の石段だったのだ。

 少し息を切らした王子は、休憩がてら、小さな窓から城外を眺めた。

 城壁の外には深い森が広がっており、遠くには青い山脈が、その手前には王子の生まれ育った白亜の城が、ほんの小さく見えていた。あまりに儚いその姿は、溜め息をこぼそうものなら、音もなく消えてしまいそうだった。


(――こんなに、遠くまで)


 王子は心細さを振り払うように左右に首を振ると、キッと凛々しくその顔を上げ、再び足を前へ進めた。


 それから少し登ったところで、階段は唐突に終わっていた。狭くて丸い踊り場の奥には、木製の古い扉が、ただポツンと据えられていた。

 王子は扉に手を伸ばし、しかし、ピタリと動きを止めた。中からあの、忌まわしいしゃがれた声が聞こえてきたからだ。


「さて、サラよ。王国に要求するのはやはり領地が良いだろうか? それとも、生贄の乙女を百人程いただこうか?」

「いいえご主人様、折角ですから王子自身に呪いをかけるのが面白いかと思います」


 ころころと鈴の転がるような可愛らしい声で、不穏な言葉を紡ぐサラ。愛想は良くてもやはり魔法使いの手先だ、二度と油断はしまいと、王子は固く心に誓った。そのサラの台詞に、魔法使いが感慨深げに相槌を打つ。


「ふむ、ふむ。しかし、何の呪いがよかろう? その姿を猫にでも変えるか? それとも、あの美しい声を奪おうか」

「そうですね、いばらの魔法なんてどうでしょう?」


 王子はついに辛抱溜まらず、勢いよく扉を開け放った。しかし大きな音に驚いたのはサラだけで、魔法使いはひょうひょうと、尖ったあごひげを撫で続けていた。


「ノックも無しかね、トンチキ王子」

「僕に、何の呪いをかけるつもりだ!」


 王子が肩をいからせて詰め寄ると、魔法使いは芝居がかった顔を作り、肩を竦めてため息をついた。


「おお、王子はなんとせっかちなことか。焦らずともじきにその身をもって思い知るというのに」

「ふざけるな! 一体なんだ、いばらの呪いというのは!」

「いばらの『魔法』だ、王子よ」


 魔法使いはひょろりと高い長身を屈めて王子と視線を合わせると、人差し指の長い爪で王子の胸をトンと叩いた。


「よかろう、そこまで言うならかけてやろう、この世で最も幸福で屈辱的な魔法を。後悔しても遅い、泣いても喚いてもそれは我輩を喜ばせるだけだ」

「……受けて立とうじゃないか。僕は何者にも屈したりしない!」


 魔法使いはくっくっと喉の奥で笑うと、蜘蛛の足のように長く痩せた指をわしゃわしゃとくねらせた。そして掠れた声で、戸口から洩れる北風のように囁いた。


「いい度胸だ、ナマイキ王子。やがて貴様の胸にいばらが根付く。棘は貴様の胸を刺す。そして真っ赤な花が咲く」


 古い詩でも暗唱するかのようなひどく勿体ぶった言葉に、王子はきつく魔法使いを睨みつけながら、こくりと小さく息を呑んだ。


「その純白の花は貴様を苛み、貴様は今日という日を一生後悔することになる」

「……さっきは『真っ赤な花』と言ったじゃないか」

「ソイツは王子の心次第」


 魔法使いは尖った鼻をツンと上に向けると、にやにやと王子を見下ろした。


「夕陽のように黄色い花かもしれんし、乙女の頬のような春色の花かもしれん。ともあれ貴様は、その花が美しければ美しいほど哀しむことになる」

「上等だ」


 王子は吐き棄てるようにそう言うと、くるりと背を向け部屋を出た。扉の向こうではいつまでもいつまでも、胸が悪くなるような魔法使いの高笑いが響いていた。

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