第500話 巫女とドラゴン

「くそッ!」


 高貴な女性とは思えぬ台詞を口にしながらも、翼を羽ばたかせテーブルを飛び越えるセシリア。

 予期せぬ突風に、皆が顔を背けた瞬間。セシリアはキャロの後方へと回り込み、その首に腕を回すと持っていた短剣をキャロの頬に突きつけた。


「動くなッ!」


「セシリアッ! 落ち着くにゃ! 早まるんじゃにゃい!」


 慌てふためく八氏族の代表達。キャロを傷付ければ黒き厄災の怒りに触れかねないのだ。必死になるのも頷ける。

 そんな緊迫した状況にもかかわらず、九条一人だけがニヤニヤと余裕の表情を浮かべていた。


「何がおかしいッ!?」


「いや? 刀身の付いてない短剣で、何がしたいのかと思ってな」


 言われてハッとしたセシリア。その手に握っていた短剣が妙に軽くなっていることに気が付き、視線を落とす。

 九条の言う通り、何故かそこには刀身がなかった。セシリアは革の巻かれた木製のグリップをキャロに突きつけていたのである。


「なッ!?」


 刀身を落としてしまったのかとキョロキョロと足元を確認しだすセシリアに、九条は一人大爆笑。

 息苦しそうにヒィヒィ言いながらも、自分の膝をバシバシと叩く。

 気付いていないのはセシリアだけだった。それは僅かな間に行われたのだ。

 キャロが持っていたぬいぐるみの縫い目からそっと引き抜いたのは、黒刃の短剣だった。

 子供の手には余るものだが、それをセシリアの短剣にちょっぴりくっつけただけ。そして、キャロはそれをすぐにぬいぐるみの中へと仕舞ったのである。

 九条が、キャロに護身用として持たせていたのは武器喰らいウェポンイーター。所謂魔剣と呼ばれる物の一種だ。

 刺されても文句は言えない状況にもかかわらず、キャロはセシリアの武器だけを無力化した。キャロは、まだセシリアに更生の余地があると判断したのだ。


「く……九条殿……流石に笑い過ぎでは……?」


 そういうアッシュも笑いを堪えているのが丸わかり。

 セシリアは刀身を探すのを諦め、持っていたグリップを力いっぱい投げ捨てると、キャロを抱えながらジリジリと後退していく。


「言っておくが、下には熊がいるぞ? 食べられたくなければ、窓からの脱出は諦めたほうが身のためだ」


 窓からチラリと下を覗くセシリア。そこには、逃げられないようにと待機している従魔達。


「オーライオーライ! 鶏肉は何時でも大歓迎だ! ガハハ!」


「確かに翼は鶏肉と呼べなくもないが、どちらかといえば人肉ではないのか?」


 冷静なツッコミをいれるワダツミを無視し、嬉しそうに手を振るカイエン。その姿は餌が投げ入れられるのをせがむ動物園の熊そのもの。

 不謹慎にも有翼種ハルピュイアの手羽先はどんな味がするのだろうと考えてしまった九条は、頭を振り一瞬にしてその考えを払拭すると、セシリアに最後のチャンスを与えた。


「2度は言わない。今のうちに諦めておけ。悪いようにはしない」


「まだよッ! キャロは渡さないッ!」


 勢いよく開かれた窓。そこから飛び出したセシリアは、キャロを抱えたまま大空を舞った。

 それを追うかのようにバタバタと窓際に集まり、飛び去って行くセシリアを見つめる八氏族の代表達。その表情には焦りが感じられるが、九条だけがその場から動かず、僅かに沈んだ表情を見せていた。


「九条殿! 本当に追わずとも良いのか? キャロが……」


「大丈夫です。キャロが誰の巫女なのか、ご存知でしょう?」


 不安気な顔で振り返るクラリスに、九条はただ大きく溜息をつき、静かに両手のひらを胸の前で合わせた。


 ――――――――――


「キャロ! ディメンションウィング様を呼びなさい! このままだと、あなたも落ちてタダじゃすまないわよ!?」


 全盛期より退化してしまった有翼種ハルピュイアの翼。通常生活で使うことがあるとすれば雪下ろしで屋根の上に飛び乗る程度。

 鍛えているのは騎士や兵士としての職に就いている者くらいであり、それでも長距離飛行は絶望的だ。

 フラフラと覚束ない様子で空を飛ぶセシリアは、それだけで必死。雪が降っていなかったのが、不幸中の幸いである。


「セシリアさん。諦めましょう? 今ならまだ間に合います」


「うるさい! 早く呼べッ! お前だけ落としてもいいのですよッ!?」


 眼下に広がるメナブレアの街。時折ガクンと高度を落としては、僅かばかり持ち直す。

 そして、セシリアが目の前に迫る巨大な防雪壁を超えようと、翼に力を込めた瞬間だった。

 遥か上空から甲高い音を響かせ降下してくる黒き厄災。それは一瞬にしてセシリアを鷲掴みにすると、一気に高度を上昇させる。


「よくやったわ、キャロ! このまま東へ向かいなさい。そこに巫女の為に用意した隠れ家がある。そこに一旦身を潜めましょう」


 ひとまずは助かったと考え、セシリアには笑顔が戻る。

 鋭い爪に少々の痛みを覚えながらもホッとしていたセシリアだが、これからの事を考え辟易ともしていた。

 もうメナブレアにセシリアの居場所はない。だが、目標である巫女の奪取は出来たのだ。

 失ったものは大きいが、まだ最悪の状況ではない。キャロと黒き厄災がいれば、人間達には復讐が出来る。

 見せしめに人間の都市を幾つか蹂躙すれば、志を同じくする同胞たちが自然と集まる。セシリアはそう考えていたのだ。


 メナブレアは既に霞むほどの距離。見納めだとばかりに暫く感慨に耽っていると、セシリアは違和感に気が付いた。


「キャロ? ディメンションウィング様は何処へ向かってるの? 私は東に向かえと言ったの。高度はもう十分よ。もう下からじゃ私達は視認できないはず……」


 その返事はキャロからではなく、頭上から聞こえた。それは雷鳴が雲の中で轟くような、お腹に響く重低音。


「何故、我が貴様の言う事を聞かねばならぬ?」


「ま……まさか! ディメンションウィング様がお言葉をッ!?」


 評議員室では、キャロの身体を借りて喋っているのだとばかり思っていたのだ。驚くに決まっている。


有翼種ハルピュイアのメスよ。よく聞け。これから貴様に試練を与える」


「試練!?」


「貴様が我を使うに値する者かどうか、我が直々に見極めてやろうと言っているのだ」


 セシリアにとっては願ってもない機会だ。詳しくは不明だが、人語を操れるのなら巫女を通さずとも意思の疎通が可能であるということ。

 黒き厄災から直々に選ばれた。自分が言葉を交わす価値がある者であると認められたのである。

 セシリアの気分が高揚するのも仕方ない。


「やります! やらせてください! どうすれば!?」


「なぁに簡単なこと。危機的状況での判断力を試させてもらうまでよ」


 そう言うと、セシリアは空中で解放された。


「えっ……」


 突如始まる自由落下。黒き厄災の後ろ姿が徐々に小さくなると、すぐに視認できなくなった。

 一瞬にして引く血の気。こんな高所からでは、たとえ羽ばたいたとしても着地まで体力が持つはずがない。

 当然気流の乗り方なぞ知る由もなく、絶体絶命と呼べる状況ではあったがセシリアは諦めなかった。

 万が一でも生き残ることが出来れば、黒き厄災の力はセシリアの思い通り。それは命を賭けるに値するのだ。


「ごめんね、キャロ」


「えっ?」


 セシリアはそれだけ言うと、抱き抱えていたキャロを手放した。それは冷酷な選択であったが、仕方のない事だった。

 重量を減らせば、それだけ生き残る確率は上がる。巫女が死んでも、新たな巫女が選定されるだけだ。今はキャロより自分が生き残る方を優先したのである。


 後は実力と運次第。セシリアが迫りくる地面を見据えた、その時だった。

 黒い影がセシリアを横切り、キャロはその背に攫われたのだ。


「巫女を守ろうとする気概を見せるどころか、切り捨てるとは……。貴様に我を使う資格なぞない」


 すり抜けざまに言われたその言葉が、セシリアの全てを支配した。

 セシリアは選択を誤ったのである。求められていたのは生き残る為の機転ではなく、仲間を見捨てない覚悟であったのだ。

 絶望に溢れた歪んだ表情。遠のいて行く黒き厄災の後ろ姿に、助けを求めるよう伸ばした手は何も掴むことはなく、セシリアはそのまま落ちていった。


「仲間の庇保こそ獣人の誉だと言われていた時代も既に無し――ということか……」


 巨大なドラゴンから出た盛大な溜息は、ほんの少しだけ炎が漏れ出てしまうほど。それは、時代を跨いだ者だけが知る事の出来る憂いでもあった。

 デカイ図体に似合わず遠くを見つめ、哀愁に耽る。そんな中、キャロはその長い首を一生懸命よじ登る。

 そして、ようやく頭の上まで登頂すると、恐らく耳があるであろう付近で優しい言葉を囁いた。


「ありがとう。ファフナー」


 太陽のような明るい笑顔を見せていたキャロであったが、残念ながらファフナーからそれを見ることは叶わない。

 だが、わかっていた。その感情の乗った声が、ファフナーの古い記憶を呼び覚ましたからだ。

 それは最後の巫女から向けられた、とびきりの笑顔であった。


「ふっ……礼を言うのは我の方だ……。2000年前の過ちを繰り返すことなく巫女の命を救えた……。我にはそれだけで十分なのだよ……」


「そっかぁ」


 キャロはその場にペタリと座り、その頭を優しく撫でた。

 ゴツゴツの分厚い皮膚を持つドラゴン種なだけに、ファフナーには触られているという感覚すら皆無であったが、うっすらとした温度変化だけは感じ取れていたのだ。


「キャロよ。寒くはないか?」


「全然平気! むしろ気持ちがいいくらい! もう怖くないよ?」


「そうか……。ならば、このまま空中散歩といこうではないか。マスター殿には終わったらすぐに帰るよう言われているが、待たせておけば良かろう。どうせこれが最後なのだからな」


「うん!」


 まさに夕日は沈んだばかり。そんな薄紫色の地平線を境に、地上には街の灯りが。そして上空には、無数の星々が輝いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る